第76話「侵蝕する絶零の白牙」

「レティ、生物鑑定で詳細を調べられるか?」

「うにゅぅ……。ステータスに差がありすぎるみたいで殆どなにもわかりません!」


 巨大な蟹はまだこちらの存在を認知していないのか――もしくは外敵と見なしていないのか――、行動らしい行動は取っていない。

 しかしゆっくりと脚を前に動かすだけでもそのスケールの大きさ故に進行速度はかなりのものになる。


「かなり近づいてきたな……」


 左右を氷漬けの蟹の壁で守られているとはいえ、それは前後にしか動けないことと同義でもある。

 このまま進めば、あのデカブツにあっけなく踏み潰される未来が鮮明に見通せる。


「レッジさん!」

「どうした?」


 レティが何かを決断したらしく声を張り上げる。

 そこに打開策を求めて耳を傾けると、彼女は突飛な発想を伝えた。


「――登りましょう」

「登るって……あの蟹にか!?」


 彼女が頷く。

 蟹の甲殻は、その巨大さ故に表面の凹凸も大きい。

 ロッククライミングの要領で登ると言う発想に至ることは理解できなくもないが……。


「あんなに動いてる山を登ろうなんて、ちょっと厳しいんじゃない?」


 エイミーが俺の思考を代弁してくれる。

 巨蟹は動きこそ緩慢としたものだが、一歩ごとに大地を揺るがすような力を放つ。

 登ろうと手を掛けても振り落とされるのが関の山ではないか。


「――動きを止めればいいんだね?」


 そこへ真後ろから声が掛かる。

 声の主はラクト。

 氷属性のアーツに傾倒し、探求し続けた少女。

 彼女は顔に自信を漲らせた笑みを浮かべる。


「できるのですか?」


 トーカが訝しげに首を傾げる。

 それを見てラクトは勝ち誇ったように鼻を鳴らした。


「わたしを誰だと思ってるの? 氷属性は行動阻害に於いて他の追随を許さないこれ常識!」


 高らかに啖呵を切りながら彼女は俺の背中から飛び降りる。

 転がるように地面を走り、聳え立つ巨蟹を睨む。


「LPも回復したし、いっちょぶちかますよ!」

「しょうがないな。――『増幅する炉心コア・ブースト』」


 やる気に満ちたラクトの背中に向けてアーツを放つ。

 それを見てレティたちも同調し始める。


「時間は稼ぎますから、必ず止めて下さいよ!」

「守りなら任せなさい!」


 黒鉄のハンマーを振り回し、レティが言う。

 エイミーは双盾を打ち鳴らし、襲いかかる蟹たちからラクトを守る。


「……分かりました。私もできる限りやりましょう」


 そう言ってトーカは刀を鞘に戻し、腰を低く前傾姿勢を取る。

 無防備になった姉が力を溜める間、ミカゲが周囲を機敏に走って敵を翻弄する。


「さっきほど贅沢に時間は使えないよね……。『属性の矢エレメントアロー』……」


 ラクトは周囲の戦況を冷静に判断し、的確にテクニックを取捨選択していく。

 使える時間、敵の配置を記憶しつつ、最適なアーツを組み上げる。

 同時にいくつもの思考を並列させる一種神がかり的な高い集中力を余すことなく投入し、彼女はトランス状態へと思考を移行させていく。


「『プッシュガード』『発勁』ッ!」


 アーツの展開に注力する彼女の傍らに立ち、エイミーが守護する。

 仲間の氷像を乗り越えて強襲する蟹の鋏を片腕で受け止め、絶え間ない打撃の連続で打ちのめす。


「はぁぁああああっ! 『波撃』ッッ!」


 レティが巨大なハンマーを地面に打ち付ける。

 激震が波となって周囲へ及び、無数の蟹を突き上げる。


「彩花流・三式抜刀ノ型――『百合舞わし』」


 銀閃が走る。

 宙へ浮いた蟹の紅い甲羅を切り刻む旋風が吹き乱れる。

 白い花弁が周囲を包み、鮮血の飛沫を吹き上げる。

 無数の蟹が踊るように身体を回転させて飛んでいく。


「レティ、避けて!」


 密集する蟹が一掃され、瞬間的に生じた空白を狙い、ラクトが叫ぶ。

 レティが大きく横飛びに跳躍し、進路を開ける。

 そこを目掛け、ラクトは緻密に構築したアーツを乗せて、弦を掴んでいた指を開く。


「――『浸蝕する絶零の白牙アブソリュートゼロ』」


 それは小さな欠片だった。

 白い輝きを放ちながら、細い針が突き進む。

 彼女たちが開いた僅かな隙間を縫って、それは一点を目指す。

 回転しながら、怯むことなく、それは土にまみれた深紅の甲殻をめざし――


「いけぇええええ!」


 レティが叫ぶ。

 ラクトの放った矢が巨蟹の甲殻に触れた瞬間、深紅が瞬く間に漂白された。

 分厚い氷が広がり、巨木の幹のような脚を凍結する。

 勢いは衰えず、氷は蟹の脚を駆け上がる。

 白が赤を喰らい、脚から胴体、胴体から他の脚へと浸蝕していく。


「ぐ、くぅ……!」

「ラクト!」


 レティたちが凍る蟹の脚に手を掛けようとしたとき、ラクトが呻きながら片膝を突く。


「アシストコード使えないとかなりきついね。ふふ、レッジも早く登って」

「アホか。こんなとこで寝てると死ぬぞ」

「いいよ。もう仕事は終わったし」


 虚ろな目で笑うラクト。

 俺は大きくため息をついて、彼女を背負う。

 驚いた様子でラクトはポコポコと背中を叩く。


「わたし背負っちゃ、登れないでしょ」

「登れるさ。こんなこともあろうかと〈登攀〉スキルもそれなりに上げてんだ」


 猛烈な勢いで減っていく彼女のLPを回復しながら、俺は歩き出す。


「レッジさん!」


 蟹の脚を半分ほど登ったレティが声を掛ける。

 彼女に向かって手を振って、俺はインベントリから縄を取り出す。


「うわ、縄まで準備してるんだ?」

「〈罠〉スキルで使うこともあるからな」


 クスクスと笑うラクトを縄で固定して、氷漬けの脚に手を掛ける。

 ひんやりと冷たいが、登れないわけではない。


「よっ、ほっ」

「おわわ、おっとと」

「ちゃんと掴まっとけよ」


 ディレイが終わった瞬間に回復を掛け直しながら、なんとか巨蟹の背まで登り切る。

 小さな広場ほどもあるそこでは、すでにレティたちが待っていた。


「ラクト、結構無理してたんですか?」

「みたいだな。まだLPの消費が続いてる」


 ラクトの八尺瓊勾玉と俺のアーツによるLPの回復、アーツの使用によるLPの消費。

 二つのバランスはギリギリマイナス。

 徐々に全体量は減少し、何かしら対策を講じなければ彼女はLPを全て失ってしまう。


「うぅ、わたしはもう死に戻ってもいいよ」

「何言ってるのよ。ここまで来たんだから、限界まで生きてもらうわよ」


 エイミーがアンプルでLPを回復しながら笑う。


「そうだラクト、〈アーツ技能〉の最初の方のテクニックにLP回復速度を増加させるやつなかったか」

「『スリープ』のこと? あれ使っちゃうとアーツの効果も無くなっちゃうよ」


 うつらうつらとしながらも、ラクトは間髪入れず質問に答える。

 アーツに精通している彼女が、俺程度が思い至ることを検討していないはずがないか。


「……俺以外、か」

「レッジさん? どうかしましたか?」


 突然考え込んだ俺を見て、レティが首を傾げる。

 そんな周囲の様子にも気付かずに、俺は掴みかけた何かを追って思考を巡らせる。


「おーい、レッジさん?」

「……うん」


 ひらひらと目の前をレティの手のひらがちらつく。

 どうでもいい。


「どうかしたんですか?」

「……うん」


 彼女の赤いうさ耳がぴこぴこと揺れる。

 無視しよう。


「今度デートしましょう」

「……うん。……うん?」


 なんか今、重大な事に頷かなかったか?


「よっしゃぁ! レティ、元気百倍、今ならこいつもぶっ倒せる気がします!」

「ちょっと待て何言ってるんだ!?」

「もう言質は取りましたからね! 覚悟の準備をしておいてくださいね!」

「あーあー、レッジも責任は取らないとねぇ」

「エイミー!?」


 俺は何をしでかしたんだ!?


「レッジさん……」

「と、トーカもどうしたんだ?」

「……なんでもないです」


 ぷいっと頬を膨らませてそっぽを向くトーカ。

 本当にどうしたんだ。


「あっ」


 その時、唐突に閃いた。

 俺は背中のラクトをそっと蟹の背に下ろし、インベントリを開く。


「……レッジさん? 何してるんです?」

「いやな、ちょっとした思いつきだ」


 そう言って俺はインベントリから荷物を取り出す。

 レティたちが驚愕の表情を浮かべたのを見て、俺は思わず笑みが零れた。


「れ、レッジ、本当にそれやるの?」

「ていうか、できるんですか?」


 困惑する彼女たち。

 しかし俺は胸を張って頷く。


「ああ。俺は、今から……」


 薄氷の覆う巨蟹の甲殻に、それを突き立てる。

 俺たちが立っていて、そこに十分な広さがある以上、システムは許可を出している。

 だからこそ俺は高らかに宣言するのだ。


「ここをキャンプ地とするっ!」


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Tips

◇『侵蝕する絶零の白牙アブソリュートゼロ

 三つのパーツチップからなる中級アーツ。氷の矢が触れた対象を、術者のLPが続く限り氷漬けにする。発動に必要なLP及びアーツの継続のため消費するLP量が莫大であり、使用後はまともにアーツを扱えないほどに消耗してしまう。


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