第51話「湖沼の底の主」

 第1回イベントへの参加という目標を掲げ、俺たちはよりいっそうレベリングへの気合いを高めていった。エイミーも加わり、レティたちは早速連れ立って狩りへと出かけている。俺もキャンプで留守番をしつつ、自分に任された仕事をこなしていた。


「ふぅ。こんなもんか」


 簒奪者のナイフを引き抜いて、纏わり付いた油を拭う。

 大柄なオイリートードの解体は、体表の粘着質な分泌液も相まってなかなか骨が折れる。

 俺はレティたちが討伐し、キャンプへ運び込んでくる原生生物の解体を進めていた。彼女たちの狩猟ペースは驚異的なスピードで、解体役が俺しかいないこともあってだんだんと作業が追いつかなくなっている。


「その分レベリングが捗るからいいんだけどな」


 カチコチに凝り固まった腰をガンガンと叩いてほぐす。

 機械の身体なのだからここまで再現しなくてもいいと思うのだが……。油でも差せばスムーズに動いたりしないだろうか?


『ブモァァ』

「うおっ!? な、なんだお前か」


 突然背後を突かれて飛び上がる。

 振り返ると黒く塗装された機械牛がこちらを見上げて目を光らせていた。


「ぷふふ。レティ、ほんとに飛び上がって驚く人初めて見ました」


 飼い主も口元を押さえながら姿を現し、ピコピコと耳先を動かす。

 俺は一つ咳払いして話を誤魔化す。


「余計なことを……。それよりまた随分狩ってきたな」


 機械牛の角からはワイヤーが伸びており、後ろにはオイリートードたちが足を括られて引きずられていた。それとは別にレティもスケイルサーペントの尻尾を握っているし、なかなかの収獲だ。


「今、エイミーとラクトが狩りを続けてるのでまだ増えますよ。レティとカルビは少し休んだらまた往復してきます」

「カルビってその牛の名前か?」

「はいっ」


 素直な返事に思わず眉間に手を当てる。

 その機械牛はレンタルだから、スサノオに帰ったら返却する必要があるのを忘れてるんじゃないだろうな。


「しかし予想以上のペースだな。キャンプを張っておいて良かった」


 俺はテントの隣にうずたかく積み上げられた原生生物たちの素材の山を見上げて声を漏らす。当初の想定を軽く上回る頻度で原生生物は持ち込まれ、すでにかなりの量になっている。

 地面などに放置されたアイテムは、特別な理由が無い限り一定時間で消滅する。こうして集積できているのは、キャンプの範囲内では消滅しないという効果があるからだ。

 これらを全部売却すればそれなりの資産になるだろう。


「しかし、これは全部持って帰れるか?」


 文字通り山のような量だ。カルビの運搬能力は絶大だが、それでも全て持ち帰れるか少し怪しくなってきた。


「そろそろ狩りを止めて、引き揚げるか」

「ですね。レティたちも結構スキルレベル上がりましたし」


 やはり適正レベル帯のフィールドでの狩りは効率が良いようで、彼女たちの戦闘スキルは順調に上がっているらしい。

 それならば一度町に戻って、精算するのも良いかも知れないと判断する。


「よし、じゃあエイミーたちにも連絡しておいてくれ」

「分かりました!」


 方針を定め、レティに伝言を頼む。

 彼女はぴしりと芝居がかった敬礼をして、荷物を置くとまたカルビと共に外へと出て行った。


「――よし、じゃあこっちももう一踏ん張りだな」


 残されたオイリートードとスケイルサーペントを見上げ、気合いを入れ直す。

 レティたちから通信が入ったのは、それらを全て解体し終えた時のことだった。


『レッジさん! レッジさん!』

「どうした? なんか慌ただしいな」


 応答から間髪入れず、電話口の向こうから切羽詰まった声が響く。

 訝る俺に、レティが捲し立てる。


『ぼ、ボスと対敵してしまいましたっ』

「はぁぁっ!?」


 思わず大声が飛び出す。

 助けて下さいぃ、と情けない声が遠くの方で聞こえる。

 このフィールドのボスは、まだ情報が何もない。たしか掲示板にも有力なものは流れていなかったはずだ。それを彼女たちは、偶然にも見つけてしまったようだ。


「とりあえず落ち着いて、状況を説明しろ」

『ふぇぇ……』

『レッジ? ちょっとレティが混乱してるからわたしが説明するよ』


 取り乱すレティは要領を得ず、代わりにラクトの声が届く。


『今、わたしたちはボスの巣らしき所にいる。沼の底にある隠れた横穴だよ。エイミーが必死になって抑えてくれてるから連絡を入れられてるんだ』

「沼の底!? そんなところ、よく入ったな」

『レティが敵に吹き飛ばされて沼に飛び込んで、偶然見つけたの。場所は分かるよね? 助けに来て欲しい』

「……分かった。頑張って耐えてくれ」


 切実な要請だった。

 俺は地図を開いて彼女たちの現在地を確認する。二次元的な表示では沼の真ん中に見えるが、そこに横穴があるのだろう。


「しかたないか」


 俺がキャンプの領域から出ると同時に、その機能が停止する。

 自然回復促進効果をはじめ、原生生物に対する威嚇効果、更にはアイテムの保存効果も。恐らくは、彼女たちが頑張って集めてくれたアイテム達は諦めなければならないだろう。


「よしっ」


 しかしそんなことは言っていられない。

 俺は地面を蹴り、飛沫を上げて走る。

 手に持つものを簒奪者のナイフから、ファングスピアへと取り替える。

 久々の感覚に戦闘の高揚感が腹の奥底から沸き立つのを感じた。


「――ここか」


 しばらく進み、俺は巨大な湖沼の畔に立っていた。

 混濁した水面の底は見えず、青灰色の水面が緩やかに揺れている。


「誰か聞こえてるか?」

『はいはい。エイミーが絶賛対応中。レティもなんとか気を取り直して前線に出てるよ』


 接続したままだったため、ラクトからすぐに返事が返ってくる。

 その口調は軽いが、背後に響く剣戟の様子からして余裕はあまりないらしい。


「今から潜る。もう少しだけ耐えてくれ」

『うん。待ってるよ』


 その声を聞くと同時に、濁った水面に飛び込む。

 冷たい水の中を藻掻いて進み、彼女たちの位置を示す点を目指す。

 水質は悪く、視界は殆ど望めない。

 頼りになるのは“鏡”に表示させた地図の二次元的な情報だけだ。


(水泳が上がるのか)


 泳いでいると、連続してレベルアップの表示が流れる。

 〈水泳〉というスキルが勢いよく上がっていた。


(――あそこか)


 そうして水中を進み、やがて薄らと穴の影を見つけた。

 傾斜をつけて上に延びる穴の水面に顔を出すと、壁に反響して戦闘の音がかすかに響く。


「穴に着いた。もうすぐだ」

『ありがとう。こっちももう少し頑張るよ』


 ラクトに報告し、濡れた身体のまま走る。

 水濡れという状態異常が付いているが、それに構う余裕はない。


「近いぞ」


 走り続けていると、だんだんと激しい音が大きくなっていく。

 硬いものが打ち合う音が響き、時折少女の声が混じっている。


「ここかっ!」


 細長い通路は唐突に終わり、俺は広い空間へと躍り出る。

 壁にはぼんやりと薄く光る苔が生していて、陽の光がないのにもかかわらず視界は安定していた。


「レッジ!」

「ラクト。待たせたな」


 通路のすぐ側の壁際にラクトが立っていた。

 彼女は大きな岩の陰に隠れていて、手招きしている。そこへ滑り込み、状況を確認する。


「レティとエイミーがいないが、どうしたんだ?」

「二人は奥だよ。わたしはレッジを迎えに来たの」


 そう言って彼女は立ち上がる。

 その手に引かれ、空間の奥にある穴へと入る。

 入り口よりも短いそこを抜けると、また新たな空間へと辿り着く。


「なんっ、だ、こいつは……」


 そこには盾を構えるエイミーとハンマーを握るレティがいた。

 そして彼女たちを睥睨する、巨大な存在も。

 俺はそれを見上げ、絶句する。


「でかすぎるだろ」


 白い鱗に覆われた頭がゆっくりとこちらを向く。

 金色の瞳が、俺を睨んだ。

 他の二つの頭はなおもレティたちを攻撃し続けている。


「三つ首の蛇――ッ!」


 大きなとぐろを巻き、空間の中央に座る一匹の蛇だった。

 図体は、スケイルサーペントよりも更に大きい。

 一つの身体からは、それぞれ金、青、赤の瞳をした頭が伸びていた。


「シュァアアアアッ!」


 真ん中の金眼が大きく顎を開いて吠える。

 その声で正気に戻り、俺は巨蛇の足下に立つレティたちを捜す。


「レッジさん!」

「レッジ、来てくれたのねっ」


 彼女たちも俺に気付き、声を上げる。

 二人のLPは大きく削れ、危ない領域へと踏み込んでいた。

 俺は急いで駆け寄り、アーツの詠唱を始めた。


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Tips

◇〈水泳〉スキル

 水中での行動を容易にするスキル。熟達すれば地上を走るよりも素早く、長時間にわたって自由自在に泳ぐことも可能。水に魅入られ水を愛し、極限の境地まで至った者には畏敬の念を込めてとある妖怪の名を送られる。


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