第32話「牛踏んじゃった格闘家」

 キャンプから出てきたレティ達を見て、俺は勢いよく手を振る。

 後ろからは今もドスドスと激しい足音が迫り、状況は緊迫している。

 俺一人ではどう考えても太刀打ちできないから、どうしても二人の助けが必要だった。


「おぉぉい! 二人とも、助けてくれ!」


 だと言うのに、俺がどれほど叫んでも二人は何やら話し込んでいて顔を上げない。


「ぐぅ、何やってるんだ。やっぱり放置して勝手に行動しすぎたか?」


 もしかしてレティたちも一緒に撮影散歩がしたかったのか。それで拗ねてるのか?


「あ、あの……」


 後ろから声が掛かる。

 走りながら振り向くと、長い髪を揺らす女性がこっちに空色の瞳を向けていた。

 彼女が後ろの巨牛に追われていたプレイヤーで、俺は咄嗟に間へ入ったものの、どうすることもできずこうして情けなく彼女の手を引きながら走っているのだ。


「助けて頂いてありがとうございます。でもあの、このままだと貴方も一緒にやられちゃいますし、私を置いて……」

「いや大丈夫。あそこの二人が気付いてくれたらなんとかなる」


 仮にも共に狩りをしてきた仲間だ。彼女たちの心強さは誰よりも知っているつもりだった。

 そう思いながら答えると、瞳を湿らせていた女性は少し驚いて、そのあとに花のような笑みを見せた。


「それは――。とても頼もしいですね」


 そうだろう、と俺が頷こうとしたその時。


「『拡散し凍結する矢ディフュージョンフリーズアロー』!!」


 一条の冷気を帯びた矢が顔の傍を掠める。


「うおっ!?」

「きゃぁ!」


 驚き仰け反ったせいで足が縺れて草原に転ぶ。

 咄嗟に女性の肩を寄せて庇ったせいで背中に強い衝撃が走った。


「だ、大丈夫ですか!?」

「平気だ。それより牛は」

「こ、凍ってしまいました」


 よろよろと立ち上がり、後ろを見る。

 巨牛の左前足に氷の矢が深々と刺さっていた。更にそこから冷気が放たれ、牛の全身を凍結させている。


「ラクトだな。いい仕事だ」

「そりゃどーも!」


 上手く足止めしてくれた彼女のことを褒めると、後ろから本人の声が返ってきた。


「うわっ、居たのか」

「酷いなぁ。駆けつけてあげたのに」


 思わず声を上げると彼女は唇を尖らせてこっちを見上げる。


「とりあえず、はやくキャンプに戻りませんか。効果時間もありますし」

「レティも来てくれたんだな。ありがとう」

「つーん!」

「ど、どうしたんだ?」


 ラクトと一緒にやってきたレティは、俺の顔を一瞥してぷいっとそっぽを向いてしまう。

 その反応の真意が分からずおろおろしていると、彼女は頬をリスのように膨らませてしまった。


「仮にもボス格だから足止めもそう効かないね。とりあえずここは一旦引こう」


 巨牛の様子を見ていたラクトの判断もあり、俺たちはキャンプへと逃げ込む。

 天幕の内側へと隠れてしまえばキャンプの隠蔽効果と威嚇効果が発揮されて、自然解凍された巨牛はキョロキョロと周囲を見渡した後、のそのそと元いた場所へと戻っていった。


「ふぅ。なんとか一難去ったな」


 天幕の隙間からそれを見届け、俺は額を拭いながら振り返る。


「そうですね。それじゃあ話して頂きますよ」


 訂正。

 一難去ってまた一難だ。


「あー、そう話すこともないが……」


 俺の背後には頬を膨らせ眉間に深い皺を寄せたレティが不機嫌そうに立っていた。

 焚き火の前で座っているラクトもチラチラとこちらを見ているし、その隣の女性はおどおどとしている。

 そこまで来て俺はようやく、彼女の名前すら知らないことに気がついた。


「撮影しながら歩いてたら、あの牛に追われてる彼女を見つけたんだよ。それで助けに入ったは良い物の何もできなかったから助けを求めに帰ってきたんだ」

「むぅ……。はぁ、なんていうかレッジさん、お人好しですね」


 説明を聞いたレティはしばらく唸った後で呆れたように肩を竦める。


「情に厚いとか、頼りがいがあるとか、そういう風に言ってくれるとありがたいんだが」

「無鉄砲に飛び出したあげく助けを求めてくるっていうのは……」

「なんでもない」


 潔く頭を下げる。

 レティはクスクスと笑うと、俺の肩にぽんと手を置いた。


「まあそこがレッジさんのいいとこでもあるので、大丈夫ですよ」


 なにが大丈夫なのかは分からないが、知らない間に彼女の機嫌は直ったらしい。

 ほっと胸をなで下ろす。


「あのあの! お名前教えてもらってもいいですか?」


 レティはいつの間にか焚き火の方へと移動して、女性へと話しかけていた。

 あのアクティブさは見習いたいな。

 女性の方は少し驚いた様子だったが、すぐに肩の力を抜いてそれに答えた。


「私はエイミーといいます。助けて頂き、ありがとうございました」

「エイミーさんか。よろしくね。わたしはラクトだよ」

「レティです!」

「あぁ、レッジだ」


 ラクトの流れに乗って名乗ると、エイミーは一人ずつ頷いて胸の前で手を合わせた。


「三人は一緒にプレイされてるんですね。とても仲が良さそうです」

「むふふん、やはりそう思いますか? 隠しきれないですものね、このパーティの和気藹々とした雰囲気は!」


 先ほどのことはすっぱり忘れたのか、レティは耳まで反らして胸を張る。


「こういうところだし、エイミーも敬語じゃなくていいぞ」

「そう? じゃあ、そうさせてもらうわね」


 レティは敬語だが、彼女自身があまりタメ口をする性格じゃないらしいからノーカウントだ。

 エイミーは口元を手で隠してふわりと笑う。

 泣きぼくろのある垂れ目がちな目もあって、どことなくおっとりとした雰囲気がある女性だ。なんとなく年上っぽい。


「エイミーは戦闘職なの? それにしては武器を持ってないみたいだけど」


 ずっと気になっていたんだろう、ラクトが話の隙間を見て口を開く。


「ふふ。まだ初心者ですけど戦闘職を希望してるわ」


 そういってエイミーはぎゅっと両の拳を握りしめる。


「もしかして格闘家ビルドですか?」

「うん。重たい武器とか使ったことないけど、若い頃にちょっとだけ武道をやってたから」


 ぴょこんと耳を立てて言ったレティにエイミーは頷く。

 格闘家ビルド、というのは武器スキルの中でも少し変わった立ち位置にある〈格闘〉というスキルを主軸に置いたスキル構成のことだ。


「自分の腕と足を武器にして戦うスキルだよね。そっちの方がエネミー相手だときつそうだけど」

「最初はとても怖くて後悔してたけど、そのうち割り切れるようになってきたわ」


 慣れってすごいわね、とエイミー。

 武器には間合いというものがあり、例えば俺の扱う槍なんかは近接武器の中では広い間合いを持つ。しかし素手というのは自分の腕の長さがそのまま間合いの広さ、つまりかなり密着しなければ攻撃すら当たらない。

 それに慣れるというのは、エイミーはかなり適性のある格闘家なのだろうか。


「しかし、なんでまたボスクラスの牛に追いかけられてたんだ?」

「うっ。それはその……」


 俺が尋ねるとエイミーは息を詰まらせて俯く。

 首を傾げていると、彼女は渋々と口を開いた。


「今日初めて〈始まりの草原〉から出て、〈牧牛の山麓〉にやってきたの。それで、生産者でも護衛なしで歩けるくらい安全って言われてたから……」


 胸の前で指を絡ませ、もじもじと身を捩る。

 俺たちが興味の視線を向けていると、彼女は頬を赤らめて言った。


「お、お散歩してたらあの牛の尻尾を踏んづけちゃったの!」


 顔を真っ赤にして俯くエイミー。なぜかその頭からプシューと蒸気が昇っているような気がした。


「ぷ、ぷふっ」

「ふふっ。す、すみませ……ふふふっ」


 数秒の沈黙のあと、ラクトとレティが口を押さえて笑い声を漏らす。


「うぅ。笑わないで……」


 エイミーが顔を両手で覆って言う。

 二人は謝っているが、その言葉の途中にも堪えきれず吹き出していた。


「じゃ、リベンジするか」

「うぅ……。えっ?」


 俺の言葉に、少し遅れてエイミーが顔を上げる。


「そうですね。逃げたまま町に帰るのも嫌ですし」

「今度は本気のアーツぶち込みたいし!」


 更に言葉を続けるレティとラクト。

 俺たちの顔を見上げ、エイミーはきょとんとしていた。


「あの、わたしもいいんですか?」

「当然。エイミーのためにリベンジするんだからな」


 戸惑いながら言う彼女に向けて深く頷く。

 彼女は表情を和らげ、すぐに細い眉を立たせる。


「ありがとう。……よろしく!」


_/_/_/_/_/

Tips

◇〈格闘〉スキル

 己の肉体を唯一の武器として戦うスキル。拳と蹴りによる打撃は、やがて何よりも鋭い斬撃へと昇華される。テクニックの傾向は極端な短ディレイ小消費LP小威力。文字通り手数を重要視し極限まで特化した、絶え間ない連撃が特長。


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