第26話「しばしお別れ」
沼地の泥と同化したトラバサミが、脂ぎった太い前足で踏み抜かれる。
瞬間、バネが収縮し勢いよく刃が立ち上がる。それは柔らかな皮膚に噛み付き、堅く固定した。
「今だっ!」
冷気が収斂し、一本の矢が形作られる。
それは鋭い鏃を固定して勢いをつけて射出される。吸い込まれるような一条の射線の先には、カエルの虚ろな瞳。
貫き、凍らせ、破砕する。すぐに二の矢が構えられ、放たれる。
断続的な衝撃はその巨体を貫き、そのたびに赤いバーを大きく削る。
やがてカエルは碌な抵抗もできないままに、浅い沼地へと沈んだ。
「ふぅ。結構慣れてきたよ」
ラクトは手近な岩の上に座り込み、額の汗を拭う。
「おつかれさん」
「これで五匹目ですか。結構狩りましたねぇ」
邪魔にならないようテントの影に隠れていたレティと俺が姿を現すと、ラクトはふっと目を細めて今し方倒したばかりのオイリートードを見た。
「〈攻性アーツ〉と〈アーツ技能〉のレベルも上がって、キャンプで連続して『凍てつく鋭利な針の矢』が撃てるようになったのが大きいね」
野営地は一定のダメージを受けるか、俺が回収しない限りは永続的に存在して効果を発揮し続ける。その間も僅かながらもスキルの上昇判定はあるので、微量だがLP回復速度の上昇効果も高まっている。
それもあってかラクトもここに逃げ込んでしまえばある程度アーツを連発できるようになって、より効率的に狩猟を進めることができていた。
「しかしもうトラバサミがない。全部壊されたぞ」
一度物凄く暴れる個体がいて、罠を二個使ったためすでに手持ちのトラバサミがなくなってしまった。
そのことを伝えると、レティは“鏡”で時刻を確認して頷いた。
「時間も良いですし、一度スサノオに帰りましょうか」
「半日ずっと居たからね。LPがすぐに回復できるってすごく快適だよ」
夕暮れも迫り、のんびりしているとすぐに夜が来る。
そうなれば例え野営地であっても危険性は増すだろう。という訳で俺たちは一度町まで撤退することにした。
オイリートードの解体を済ませ、野営地を回収する。
「それじゃあ戻ろうか」
半日拠点として活躍してくれた岩場に感謝の念を送りつつ、その場を後にする。
帰還は〈猛獣の森〉まで戻り、そこにあるヤタガラスのポータルを使えばすぐだ。
「おお、なんだか懐かしいですね」
「半日離れてただけなんだけどなぁ」
レティが列車の窓から乗り出して、夕日を受けて浮かび上がるスサノオの巨影を見上げる。
「各方角のボスもいくつか討伐されはじめてるね」
席に座って掲示板を見ていたらしいラクトが顔を上げる。
「そうか。俺たちは〈猛獣の森〉しか行ったことがないけど他のフィールドもあるんだよな」
〈猛獣の森〉はスサノオから見て〈始まりの草原〉を挟んで西に位置している。それと同じように他の三方にもフィールドが広がっていて、それぞれに異なる種の原生生物も生息しているらしい。
「南の鳥と北の牛が討伐されてるね。東のトカゲはまだ討伐報告は上がってない」
「となると源石も多少は出回り始めたかな?」
「かもね。って、そう言えばレッジたちもカイザーは倒したんだよね」
話の途中でラクトは今気付いた様子で言った。
これからも仲良くしていけるだろうし、隠さなくてもいいと判断して、俺は最初にカイザーを倒したパーティであることを明かす。
「ほんとに!? すごいなぁ。実力者っていうのは案外近くにいるもんなんだね」
「えへへ。そんなに褒めなくてもいいですよぉ」
ラクトが手を叩いて称賛し、レティがだらしない笑みを浮かべて耳をパタパタと揺らす。
「俺としては、単独でカイザーを倒したラクトの方が凄いと思うけどな」
「相性が良かっただけだよ。初手に『拡散し凍結する矢』を使って、後は適当にアーツを使うだけで完封できたんだ。まあアンプルを使いすぎて物凄い赤字だったけど」
どうやら彼女はなかなかのゴリ押し戦法で勝ちをもぎ取ったらしい。それができるのもアーツの魅力なのだろう。
「レッジさん、そろそろ着きますよ!」
レティの声で現実に戻る。
列車はスサノオの分厚い壁を抜けて町中に入り、やがて中央制御区域にある塔へと進んでいく。
ゆっくりと速度を落として侵入した地下のホームには、すでに多くのプレイヤーがいた。
「ここも結構人が増えてきたね」
「攻略班もやる気一杯ですからね。あ、源石もそろそろ使って良いですよね」
列車が完全に停止する前にレティはインベントリから源石を取り出す。
「何に使うんだ?」
「そうですねぇ。やっぱり最大量かなって」
言いながら彼女は源石を使用して、LPの最大量を増やす。
「LPの回復は、レッジさんが居ればなんとかなりますから」
期待してますよ、とレティが視線を送ってきた。
「野営地は色々カスタムできるみたいだからな。楽しみにしといてくれ」
列車が静止しドアが開く。
プラットホームに降り立つと、冷たい空気が頬を撫でた。
「ああそうだ。アイテムの分配だけしておかないとな」
今日の狩りではカエルの肉を筆頭に多くのアイテムが集まった。レティとは〈猛獣の森〉でもかなりの戦闘をしたから、そっちの素材も多いだろう。
二人にも分担して荷物を持ってもらっていたから、それらを併せて等分する。
「いやぁ、こんなに稼げたのは初めてかも」
インベントリに移されたアイテムを眺めて、ラクトが感激の声を上げる。
所持重量限界において他のタイプに劣るフェアリーである彼女は、一度狩りに出てもあまり沢山のアイテムを持ち帰れないらしい。
俺とレティはリュックがあるため、そのあたりは多少有利だ。
「あー、レッジ。ちょっと頼みたいんだけど」
ラクトが少し悲しそうな表情でこちらを見上げる。
何事かと首を傾げると、彼女は眉を顰めて言った。
「重量限界超えてて、動けない」
「ああ……」
たしかに、等分すればそうなる。
一旦俺とレティでラクトの荷物を預かり、駅を出る。
端末の前でアイテムを再度渡して、そのまま彼女はストレージへと移した。
「助かったよ。またよろしくね」
「ああ。声を掛けてくれたらすぐ行くよ」
そうしてラクトはログアウトする。
彼女の残像が消えていくのを見送って、俺たちは一息ついた。
「むぅ、そろそろレティもログアウトしないとですね」
「結構時間経ってるからなぁ」
サービス開始と同時にログインして、すでにゲーム内時間では数日経っている。
ゲーム内ではかなり時間の進行が早いとはいえ、リアルでもそれなりの時刻にはなっていた。
俺は気ままな独身一人暮らしということもあってまだ余裕はあるが、レティはそうも行かないらしい。
「レッジさんはいつもこれくらいの時間にログインしてるんですか?」
「そうだな。そのつもりだ」
「分かりました! じゃあ、また明日もぜひ」
「ああ。待ってるさ」
そう言ってレティもログアウトしていく。
手を振って彼女を見送り、やがて俺一人になる。
道行く人々をぼんやりと見つめながら、これからどうしようかと考える。
「……とりあえず、野営地のカスタムについて考えるか」
そう一人呟いて、俺はスサノオの町中へと歩いて行った。
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Tips
◇オイリートード
水蛇の湖沼に生息する大型のカエル。体表には大量の粘性のある分泌液を纏っており、柔らかなゴム質の皮膚と共に強い打撃も受け流す。非常にタフであり体力も多い。その巨体故普段はあまり動かないが、一度標的を定めると延々と追走する粘着質な性格。肉が非常に多く取れるため、タンパク源としても優秀。
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