第21話「凍てつく鋭利な針の矢」

「思った通り、歩きにくいですね」


 泥濘んだ足下を見下ろして、レティが眉を八の字に寄せる。

 狼の革製の分厚いブーツにねっとりと泥が纏わり付いて、思うように動けない。重りを付けたような感覚で、だんだんと歩くことすら危うくなってくる。


「これはなかなか大変そうだ。っと、なんかスキルが上がったな」


 疎らに生えている木の幹に手をつき泥の中から足を引き抜く。ちょうどその時、スキルのレベルアップを知らせる音が響いた。

 早速“鏡”を確認してみると、〈歩行〉というスキルが上昇してレベル1になっていた。


「〈歩行〉? ステータス系のスキルっぽいな」

「こういう沼地みたいな悪路を歩きやすくするスキルみたいですね」


 レティもスキルが上がっていたのか、訳知り顔に説明してくれた。

 ステータス系スキルというのは、テクニックが存在せずレベルが上がることで様々な行動に補正が掛かっていくスキルのことで、レングスが持っている〈解読〉スキルもその一種だ。

 〈解読〉スキルはレベルが上がると未知の言語を読解できるようになるらしいが、この〈歩行〉というスキルはレティの言ったような効果があるのだろう。


「このスキルはある程度上げておいた方がいいのかもなぁ」


 旅人というプレイスタイルにはぴったりだろうという理由から、俺は特にスキルの上昇設定は弄らず上がるに任せることにする。


「でもステータス系のスキルはアイテムや装備で代用できることもありますよ?」

「己の足で悪路を踏破してこその旅人だろう?」

「……よくわかんないです」


 俺が胸を張って言うも彼女にはあまり響かなかったらしい。呆れた様子で耳を中ほどで折って、彼女は先を進み始めた。


「とりあえず今回は、どんな敵がいるか探ろう」

「そうですね。今のところ気配はしませんが、最初にここに辿り着いた人は瞬殺されたらしいですし」


 浅く水の張った沼地を、緩やかな波紋を広げながら進む。

 薄霧に朝日が反射して明るさは問題ないが視界はあまり良くない。レティはいつでも攻撃できるようにハンマーを構え、俺はいつでもシャッターを切れるようにカメラを構えて歩く。


「レッジさん」

「どうした」


 前を歩いていたレティが声を殺して手を上げる。

 彼女の背後まで移動すると、レティはすっと前方に向かって指を伸ばした。


「あそこの木の陰にエネミーがいます」

「むむ……」


 彼女の指し示す方向へ目を凝らす。

 濃い霧の中に、細い木が一本生えていた。


「木の根元です。水面ぎりぎり」


 視線を少し下にずらす。


「ああ、見えた」

「ぴっ!?」

「どうかしたか?」

「い、いえ……」


 俺が呟くと同時にレティが肩を強張らせ、耳をピンと張る。様子を窺うと、彼女は視線を伏せて首を振った。

 その後もなにか呟いていたが小さすぎて聞き取れなかった。ひとまず今は目の前のエネミーだ。


「あれはカエルか?」

「たぶん。……目しか見えてないですけど」


 彼女の言う通り、木の根元の水面からぷくりと丸い目が二つ僅かに見えている。

 金色の無感情な目はよほど注意していないと気づけない。恐らく体は泥の中に埋まっているのだろう。


「ちょっと肩借りるぞ」

「ふぇ? ひにゃっ!?」


 レティの肩に腕を預け、カメラを向ける。

 目だけだが一応被写体として認識してくれた。シャッターを切り写真に収める。


「よしよし、ありがとう」

「と、突然なにしゅるんですかっ」

「いやぁ、結構遠かったからブレないようにだな。すまんすまん」


 ぷっくりと頬を膨らせて抗議するレティ。

 俺は彼女の赤髪を撫でて宥める。


「それでどうする、戦うか?」

「うぬぬぅ。……今はまだ戦いません。近づいても逃げられそうですし」


 不満げに俺の手を払い、レティは言った。

 たしかにあれだけ隠れている生物へ不用意に近づいても逃げられるだけか。

 少なくとも写真には収められたから、収穫ゼロというわけではない。

 というわけで俺たちはその場を離れ、更に沼地の奥へと進むことにした。


「しかしまあ、なんだか静かな場所だな」


 霧が薄く掛かっているせいもあるのか、全体的に静寂が支配しているフィールドだ。〈猛獣の森〉もそれなりに静穏ではあったが、それでも木の枝の擦れる音や葉のざわめきなど、耳を澄ませば音が止むことはなかった。

 だがこの湖沼は、ひとたび足を止めれば一切の音が無くなる。まだプレイヤーがほとんど到達できていないことも理由に挙がるのだろうが、それにしたって動きというものがない。


「エネミーの気配も感じませんし、どうなってるんでしょうか」


 俺よりも鋭い感覚を持つレティでも周囲の状況は捉えづらいらしく、彼女は困った様子をしている。


「さっきのカエルもそうだったが、基本ここの原生生物は待ちの姿勢なんだろうな」

「そういうことなんでしょうか」


 いろいろな意味で森とは対照的なフィールドだ。

 森では夜になってしまえば獰猛な狼たちが牙を剥いて、呼んでもないのにやってくる。我武者羅に攻め寄せる奴らは煩わしかったが、こうも静かなのもそれはそれで落ち着かない。


「あれ?」


 そうして歩くこと数分。

 またしても先頭のレティが立ち止まる。


「どうかしたか?」

「いえ。その、見間違いかもしれないので」


 彼女は首を傾げ、耳を倒す。自信がないらしい。


「別に見間違いでも良いさ。言ってくれ」


 俺が一言押すと、彼女は少し悩みながらも言葉を続けた。


「人影? のようなものが見えたような。でも結構小さくて……」

「人影か……」


 〈水蛇の湖沼〉はまだ到達できるプレイヤーが少ないフィールドだ。とはいえ、だからといって俺たち以外に一切のプレイヤーが存在しないわけでもなく、むしろそちらのほうがおかしい気もする。

 だから彼女の見間違えという訳ではないと思うが……。



「よし、とりあえず行ってみよう。どっちだ?」

「こ、こっちです」


 俺は頷き、進路を変えることを提案する。

 レティは人影の見えた方へと歩き出す。


「結構水位が深くなってきたな」

「はいぃ。歩きづらいです」


 柔らかい泥から足を抜き、歩を進める。

 進むほどに水位が上がっていって、今ではレティの膝下ほどまでが水に浸かっている。お陰で〈歩行〉スキルは勢いよくレベルアップを重ねているが。


「本当にこっちなんだよな?」

「れ、レティが見たときは確かにこっちに居たんですけど」


 しかしこの深さと歩きづらさは尋常じゃない。

 例え俺たちを見て逃げたとしても、何かしら分かるような痕跡が残ると思うが……。


「レッジさん!」


 俺が考えこんでいると、レティの鋭い声が響く。

 慌てて顔を上げる。彼女は目を見開き、俺の後方に視線を向けている。


「なん――?」


 身を捩ろうとしたその時、頭上に黒い影が落ちる。

 見上げると、金色の瞳と目が合った。


「ぎっ……!」


 水に溶けるような銀色の鱗が煌めく。細かな飛沫が顔に掛かった。それは大きく顎を開き、鋭い牙を光らせて飛びかかってくる。


「水蛇!?」

「レッジさん、避けて!」


 レティが叫ぶ。

 無茶を言うな。足下は深い泥が絡まって咄嗟には動けない。

 俺は目を閉じ、死に戻りを覚悟する。


「シャァァアアアッ!」


 掠れたヘビの声が降り注ぐ。

 その時だった。


「――『凍てつくフリーズ鋭利な針の矢ニードルアロー』」

「ジャッ!?」


 突如として氷の矢がどこからか飛来し、ヘビの横顔に突き刺さる。

 その衝撃のままにヘビは水面に倒れ込み、大きな波を立たせる。


「レッジさん!」

「くっ」


 その隙に俺は足を引き抜きレティの下へ駆け寄る。

 しかしまだヘビは生きている。すぐに再度首をもたげ、俺を睨む。


「こっちです!」


 氷の矢の飛来した方角から声が掛かる。


「行きましょう」

「ああ」


 今は他に頼る物がない。

 俺たちは頷き合うと、脱兎の如く駆けだした。


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Tips

◇〈歩行〉スキル

 沼地や瓦礫の上など移動の際に困難となる悪路を踏破するためのスキル。様々な状況を歩き、データを蓄積することであらゆる環境に適応できる。


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