第9話「下調べと買い物は慎重に」

「まさか、本当に完食するとはな」


 俺は綺麗に空になったグラスに畏怖の混じった視線を向けて声を震わせる。

 当の本人は優雅に食後のココアなど楽しみつつ、パラパラとメニューを流し読んでいる。その背筋のぴんと伸びた端正な居住まいは、先ほどの物理の壁を超越した食べっぷりを微塵も感じさせない。

 ちなみに制限時間はあと五分以上も余裕を残している。


「リアルだと絶対できませんけど、ここなら物理的制約はありませんし」

「だとしても精神的に負担が掛かるだろ」

「そうでしょうか?」


 ほどよい満足感です、と彼女は下腹部をぽんぽんと叩く。

 あの細い腹は、どう考えてもさっきまでテーブルに鎮座していた圧倒的質量を納めるには不釣り合いだ。


「それよりも、何か面白い情報ありました?」

「ああ、そうだな……。スクリーンショットは専用のカメラと〈撮影〉ってスキルを使えば色々自由度が広がるそうだ」

「レティにはあんまり関係ないですね、それ」

「ブロガーとか、wiki編集者には必須らしいぞ?」


 そう言ってみても彼女の反応は芳しくない。

 あまり発信者側には興味が無いようだ。


「それと〈始まりの草原〉の原生生物がwikiで纏められてるぞ」

「そういう情報ですよ、レティが待ち望んでいたのは」


 レティがさっきまでとは一転し、テーブルの上に胸を乗り出して耳を傾ける。

 突然すぐ近くまで少女の顔がやってきて、思わずどぎまぎしてしまった。


「あ、ああ。いるのはネズミとトリで、あとはヘビが稀に見つけられてるらしい」

「ネズミとトリですかー。ネズミはともかく、トリ肉はいろんなお料理に使えていいですよね」


 あれだけ食べたというのにまだそんなことが言えるのか。若いというのは素晴らしいな。

 彼女の場合は若さだけで説明が付く気がしないが。


「ネズミからも肉がドロップするらしいぞ。レシピもいくつか公開されてる」

「へぇ。どんな味なんでしょうか」


 てっきり嫌な顔をするのかと思ったが、レティは予想に反して興味を示す。

 やはり彼女の食欲は生来のものらしい。


「俺もネズミは食べたことないから分からん。トリは飛べないみたいだから、鶏みたいな感じかもな。ヘビは……大きさもよく分からないから、実際に見ないことにはなんとも言えないか」

「出現する原生生物って、時間帯によっても変わるんでしょうか?」

「否定はできないし、個人的には可能性は高いと思う。そっちの方が自然だからな」


 これだけリアリティを追求している世界だ。それくらいのことは当然のようにやっている気がする。

 そして恐らく、大半のプレイヤーもその前提で考えている筈だ。


「しかしまあ、なんだ。原生生物のことは実際に外に出て確かめないことにはよく分からん」

「それもそうですね。他の、スキルとかについて情報を集めるほうが有意義でしょうか」

「かもな」


 とはいえ、ゲームが始まってまだ一日と経っていない。wikiに纏められている情報もまだ序盤のものばかりで、それよりも掲示板のほうが小刻みに更新され続けていた。


「とりあえず、〈野営〉スキルは結構見直されてるみたいだな」

「ですね。夜間の活動には必須でしょうし」


 前評判ではあまり芳しくなかった〈野営〉スキルの評価は、実際に惑星イザナミの夜を迎えたことで逆転していた。

 今や、効率を求めて日夜を問わず狩りに励むならランタンの装備は必須級、というのが掲示板の色々なスレッドに跨がった主要な論調だ。

 それに加え〈道具作製〉スキルを持ったプレイヤーによってレシピが発見されると、その取引は輪を掛けて活発になっているらしい。

 俺はと言えば、別に自分が『発光』の利便性を広めたわけでもないというのに、何故か胸のすく思いである。


「あ、でも夜間の狩りに使うだけならスキルレベルは10程度でいい、とも書かれてますね」

「ぐ。まあいいさ。俺は俺の道を行くだけだ」


 レティから告げられたオチに思わず力が抜ける。

 たしかにスキルレベルは合計値の上限が決まっているから、ビルドによっては余裕がない。普通のプレイヤーは期待する効果が得られるだけのスキル値を確保すれば十分だ。

 しかし、だからこそ俺みたいなニッチを攻めるプレイヤーが輝く、かもしれない――可能性があるのだ。


「それじゃあそろそろ出ましょうか」

「え、もう出るのか? まだ夜だぞ?」

「でも買い物もしておかないと。スキルカートリッジとか買っておかないとレベルも上げられませんよ」

「そんなものもあったっけか……」


 スキルカートリッジというのは、テクニックを習得する際に使用するアイテムのことだ。サバイバーパックの中には『発光』と『焚き火』のカートリッジも含まれていた。


「レティは〈鑑定〉と〈戦闘技能〉のカートリッジが欲しいです」

「〈戦闘技能〉はともかく、〈鑑定〉スキルは戦闘職に必要なのか?」


 〈戦闘技能〉というスキルは読んで字の如く、戦闘に関する便利なテクニックを内包したものだ。たしか、一番初めのテクニックは『威圧』といって原生生物の敵愾心を集める効果があったはずだ。

 この〈戦闘技能〉は戦闘職を目指すなら持っていた方がいいものの、なくてもなんとかなる気もしたので、俺は取る予定がない。

 次の〈鑑定〉スキルは、アイテムの詳細なパラメータを読み取るスキルだったはずだ。こっちは俺も取る予定だった。


「〈鑑定〉スキルの初期テクニックに、『素材知識』とは別に『生物知識』というのがあるんです。それがあれば原生生物の弱点なんかが分かるので、戦闘職にもおすすめだとか」

「ほう、そんなものがねぇ。もともと俺は『素材知識』の方を取る予定だったし、役割は被らないか」


 しかし、『生物知識』なんてテクニックがあったのか。やはり情報収集というのは大事だな。

 レティのきめ細やかな情報集めに感心しつつ、俺たちは喫茶店を出る。

 まだ夜の明けぬ町ではあるが、ロボットたる俺たちにそんなことは関係ない。相も変わらず賑やかな通りに戻り、その足で立ち並ぶ商店の一つに飛び込んだ。


「イラッシャイマセ!」


 スケルトンの店員に出迎えられたその店は、スキルカートリッジを専門に販売している所だった。

 俺たち以外にもそれを求めるプレイヤーが、棚にずらりと並んだカラフルなラベルのカートリッジを眺めて思案に耽っている。


「えーっと、『素材鑑定』と『撮影』と……」

「結局〈撮影〉スキルも上げるんですね」

「そりゃあ、元々そういうつもりだったからな」


 しかし初めの町にも拘わらず多種多様なスキルとテクニックに溢れている。どれもこれも興味深くて、しきりに目移りしてしまうな。

 そんな俺とは対照的に、レティは目当てのものを掴むとすぐに会計を済ましていた。


「レッジさんまだですかぁ?」

「ま、待ってくれ。このスキルも面白そうだ」


 ぷっくりと頬を膨らせるレティに罪悪感と焦燥感を覚えつつ、いくつかのカートリッジを掴んで店員に話しかける。

 自動的に代金が支払われ、カートリッジはインベントリに納められる。


「おまたせ、待った?」

「めちゃくちゃ待ちました」


 そこは普通、今来たとことかじゃないのか? いや、来たも待ったもないが。


「ああそうだ、カメラも買わないといけないな」

「普通にスクリーンショットじゃ駄目なんですか?」

「〈撮影〉スキルが適用されるのはカメラを使った撮影なんだよ」


 そう言うと、彼女は仕方ないと頷いた。

 レティに少し待って貰い、事前に調べていたカメラを売っている雑貨店で買い物をする。

 写真50枚が保存できるメモリーカードと一番安いカメラがセットで800ビットだった。結構高い……。


「これ、金も稼がないといけないなぁ」


 一瞬で寂しくなった財布を見て声を漏らす。

 カートリッジが全部で400ビットもしたので、残金はかなり頼りなくなってしまった。


「それなら中央で任務を受注しましょう」

「任務? ああ、そういうのもあったな」

「これは基本事項ですよ……」


 俺の反応を見てレティががっくりと肩を落とした。

 彼女の言うとおり、任務というのはこのゲームの根幹を支えるものだ。

 中央制御区域の端末から受注できる任務は、惑星での調査を進める名目でアマテラスから下される。

 それを受注して、その任務の達成条件を満たせば、ビットやアイテムを報酬として受け取れる。

 言ってしまえば、このゲームでの一番基本的なお金稼ぎだ。


「そろそろ夜も明けますし、任務を受けたらフィールドに出かけましょう!」


 そう言うレティの声は明るく、彼女が胸を躍らせているのがよく分かった。


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Tips

◇NPC

 プレイヤーたち機械人形の支援を行う拠点にて、各種ショップの管理などを担当している下級機械人形。プレイヤーたちのような高度な思考はできず、中央制御区域制御塔内の中枢コンピュータによって管理されている。とはいえ最低限の自我は存在するため、ぞんざいに扱われると不快感を覚えたりするので礼儀を持って接することが推奨される。


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