俺とヒゲダンス

ろくろだ まさはる

俺とヒゲダンス

俺が小学生に上がった頃、それこそドリフターズは大人気でした。


こう書くと年齢がバレますが、そこはスルーして下さいw


で、言わずもがな加藤茶&志村けんの人気は飛び抜けていて、子供のアイドル、大スター。

今の人はピンとこないかも知れませんが、男女問わず大人気だったんです。


ただ、ウチの家庭環境は世間一般とは少し違い、親父がテレビの主導権を持っていました。


いや、テレビの主導権を親父が持っている家庭は、その当時そこら中にあったと思いますが、

ウチが特殊だったのはドリフの番組のみ規制対象だった事です。


親父は野球が好きでも、プロレスが好きでも、

ドラマや報道が好きな訳でも無い。

万遍なく観る。


更に言うと、バラエティやお笑い番組も観る。

なのにドリフは観ない!

ドリフのみ規制されている。

なんというか、特殊過ぎる環境でした。


なので、たまに親戚の家に行くと観れるドリフが俺にとって最高に楽しい時間だったんです。


あの頃のバラエティは、どこかのホールで生放送や公開収録している番組が多く、8時だよ全員集合も客前での生放送がメインだったと記憶しています。


壇上に設えられたセットを縦横無尽に駆け回るメンバーと、それを見守る客。

緊迫感と臨場感のある生の笑いの感覚に、大勢の視聴者が魅了されたにではないでしょうか。


たまにしか観れない俺も、大興奮で見守っていたのを覚えています。

この親戚の家での視聴は、なぜか規制されることは無かったんですよね。


番組の中で、特に人気だったのがヒゲダンス。


燕尾服の加藤茶、志村けんが音楽に合わせて無声映画の如く、大道芸チックな展開で大爆笑を取っていたコーナーで、その人気は社会現象になっていました。


本当に、めっちゃ楽ししかったんですよ。

リアタイで見ていて興奮しまくりでした。


そんな中、親父の仕事の関係で引っ越しをする事が決まりました。

当時、小2だった俺は引っ越しや学校を転校する事にいまいちピンときていなくて、転校する当日まで普段通り過ごしていました。


友達と別れる事も、知らない土地に行く事も何もかも分かっていなかったんですよね。


午前の授業が終わり、給食を食べ、掃除をし、

さあ午後の授業が始まるときに、先生が、

「今日の5時間目は鹿路田くんのお別れ会をしましょう」

そう言って、みんなに机を下げさせて、教室をワンフロアにし、ラジカセを取り出しました。


スイッチを入れたラジカセから流れてきた曲が、

ヒゲダンスのテーマで、俺が驚いていると。

「みんなこの曲知ってるよね。楽しく踊って鹿路田くんとお別れしよう」

そう言って先生が俺に手作りのヒゲを付けてくれたんです。


そこは小学生、はしゃぐのが大好きですから、

みんなで大騒ぎしてヒゲダンスを踊りまくり、

主役の俺の周りで、友達や好きだった女の子がコミカルに踊り、騒ぎ、俺を送り出してくれました。


その状況の中、みんなと別れる寂しさが込み上げてきたのを覚えています。


あの時の俺は、志村けんに成り切っていました。


志村けんさんの訃報を知り、俺の中に小2だった俺と、ヒゲダンスが降りてきています。


改めて、御冥福をお祈りすると共に、

ありがとうございましたと言わせて頂きます。



余談になりますが、

ウチでドリフが規制された理由を。


大人になって母親から聞いた話では、

「あれはお父さんがドリフの真似をするから、私が禁止した」

との事でしたww


歳取った今でも、親父は直ぐに見たギャグを真似しているので、なるほどな、と思っていますw



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