第12話 止まれ! 止まれ! 止まれ!
いつもの早朝‥。
7月13日の早朝の電車の3両目‥。
いつもは窓辺で涼しい顔をして景色を眺めているユズルがいない。
その空白の前で静かにイツカは佇んでいる。
どうして今日はユズルがいないのだろう?
遅刻したのかな?
それとも‥。
その時だった。
「おはよう」と声が聞こえた。
おはよう?
イツカは自分に声がかけられたわけじゃないよな、と空白を見た。
とてもスラリとした美少女がいて、イツカは隣を向いた。
そこにはアイハがいた。
「あれ? ユズル君、いつもこの電車に乗ってるのにいないね?」
髪の長い瞳の大きなアイハがイツカに話しかけた。
イツカは答える。
「うん。どうしてだかいないの」
「ふむふむ。どうやらいないようだ。私、テスト勉強あるから空いてる席に座るね? 単語覚えなきゃ、だし」
それをイツカは引き留めた。
「待って待って。ちょっと心配なの」
「ユズルが?」
「そうか。あなた、でしょ? ユズルが言ってた早朝の電車の3両目の子って。いいこと教えてあげる。あなたのこと気になるってさ。ユズル。脈あり、なんじゃない? 抱きついちゃえよ」
脈あり?
「でもアイハこそ、ユズルのこと想ってるんでしょ? バレバレ」
イツカは微笑み、アイハは頷いた。
「うん。ユズルは凄いよ。私が一型になった時からずっと側にいてくれたんだあ」
「え? アイハも一型糖尿病?!」
「ってか、なんであなたは私の名前知ってるの? さては‥ユズルにもう話しかけた? 地味な感じなのになあ。でもあなた、強い目をしてるね? ユズルと何かあった? 聞いてない! マジ、聞いてないー!」
イツカは頷く。
「え? ってことは、もうすませた?」
イツカはびっくりして、両手で否定する。
「ないないないない! アイハこそ怪しい!」
アイハはユズルの空白へと移動して佇んだ。涼しい瞳で景色を見る。
「私とユズルは挑戦する仲間ってとこ。もちろん、私は子供の頃に出会ってからずっと好きだよ。神様はユズルだったよ。一途に想っていた。女の子だもんね」
イツカは思う。幼い二人が病院で出会い、血糖測定器を教え合い、注射の打ち方を教え合い、友情を育くんでいくのを‥。
宝石のようだな。
眩しいな。
イツカはアイハをじっと見つめ、挑戦する仲間だな、と思って嬉しくなった。
手を差し出した。
「私はイツカ。友達になろう」
「お、おう。イメージと違うじゃん。結構、カッコイイじゃん。私はアイハ」
二人は握手して、手を振った。
駅なのだ。
イツカは見えなくなるまでアイハに大きく手を振った。アイハも大きく手を振った。
大丈夫、未来がくる。
ユズルにも?
それがイツカには心配でならなかった。
イツカは普通に学校へ行く。
窓から吹き込んだ夏の風がイツカの前髪を揺らす。
休み時間、窓辺の席でいつものように詩を書いた。
私の大好きなあの人は、泥にまみれて、頭をからっぽにして、何やら必死に戦ってる。相手はまわりの空気らしく、そこらにめがけてパンチを放つ。どれだけ経ってもやめないし、私の大好きなあの人は。
パジャマのまま、新聞を取りに玄関先へ出た。とても雨上がりの道が綺麗で、ふらりとそのまま数歩歩いた。歩くことで道は反射してキラキラ光りまた私は歩く。そのまま走り出し、彼氏の家まで来て、新聞を盗み、さらに駅まで来て、電車に乗って、海の波を飛び越えた!
海の波を飛び越えたいよ!
そこへクラスメイトで髪をポニーテールにしたナギサがやってきて、イツカの机の端に座る。
「ガムいる?」
「うん。貰うよ。貰ってあげる」
「貰ってあげるだとー? なんだそれ。挑戦状?」
「いやいやいや。ありがとうってこと」
「うわ。やばいやばい。イツカがやばくなってる」
ナギサはみんなの輪の中に帰り、談笑し始めた。みんなの冷たい視線。笑い声が廊下にも響く。
ユズルが教えてくれたこと。自分の価値や生き方を対等に扱ってくれる大切な存在。自分一人じゃ知ることはできなかったこと。心を通わすということ。それが生きたり、挑戦すること。生きているってそういうことだ。
イツカはひとり頷いた。
本当にユズルはどこだ?
今、何をしていますか?
バスケの部活に出るんだろうか?
心配だよ、あの人は。
イツカは未来よ、許してと願うが、心配の方が勝つ。
未来に挑戦する。
そう決心してイツカは立ち上がり、教室を駆け出した。
私が止めてみせるんだ。
時を止めてみせるんだ。
変えてみせるんだ。
正門から夏の中へ駆け出すと、風と光と影が吹き飛んだ。
隣町の名神高校!
怖くないよ。ユズル。自分が死ぬところを恋人に見せることを避けるより、恋人に生きてるところを見せようよ。
どうか、時よ、許して!
どうか、時よ、変われ!
どうか、時よ、止まれ!
そう考えながら隣町まで走った。
何も考えず走った。
止まれ、止まれ、止まれ!
止まれー!
イツカは道路を突っ切ろうとした。
車が全速力でやって来る。
止まれー!
と、イツカは急に腕を掴まれて、立ち止まった。
その瞬間、イツカの鼻先をかすめて、車は猛スピードで行き過ぎた。
振り返ると、そこにはイツカの腕をしっかりと掴んだユズルがいた。
「つっかまーえたっ!」
「え?」
ユズルがいる。ユズルがいる。どうして?
「いっつも走ってんな。お前。あぶねーんだよ」
ユズルが救けてくれた?
「救けてくれた?」
ユズルが微笑むので、イツカは抱きついた。ユズルが照れて、逃げ出して、自分の高校へと走っていく。
その輝く背中にイツカは訊く。
「ねえ、バスケの部活には出るの?」
「いや、でねーよ。だりーんだ、今日」
「走っちゃダメだよ」
「わかった」
と、言ってもまだ走っていく。
「また、7月13日は繰り返すの? あの電車に乗るの?」
ユズルが立ち止まり、振り返る。大声で叫ぶ。
「もう7月13日は来ない! もうループは止まったもん! お前を救けたもん!」
「ありがとうー!」
「俺も部活でない! ループする必要はなくなったんだ! じゃな!」
そう手を振って去っていくユズルを忘れない。今でもイツカの心の中に残っている。
イツカは夏の空を見上げた。
止まった‥。
空には巨大な入道雲がででいた。
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