第11話 彼女ってことになるんだけど

開いていく商店街。幼い子供を自転車に乗せて保育園に向かうお母さん達。朝早くから開いているスーパー。寂れたパチンコ店。携帯電話ショップ。働く八百屋さん。背広姿の若いサラリーマン。道を掃除する老人。


そんな景色を見ても今日は寂しくならない。


それはきっとユズルが隣にいるからだ。


ユズルの視線は明るい。


視線が乗り移ってイツカの視線まで輝くのだ。


手を繋ごうか、思い切って。


いやいやいや、それはできないよな。


私はそんなキャラじゃないよ。


離れている手と手。


「なあ、お前静かだな、いつも」


「うん」


「俺たちロックバンド組もうか」


「はあ? 何それ?」


「ロックバンド組もうよ。静けさのロックバンド」


「静けさのロックバンド?」


「世界一静かなロックバンド。世界一静かなギターリフ。世界一静かなベースライン。世界一静かなボーカル。世界一静かなリズムセクション。世界一静かなコンサート。観客たちはいないし、チケットも売らない」


「それでもロックバンド?」


「そう、ゆっくりでいいってこと」


「何が?」


「付き合うってやつ」


「うん」


「静かにゆっくり行こう」


「うん」


私達は静けさのロックバンド。


「ほら、漫才師もそうだろ? あれは片方が太陽で、片方が月。そういうもんだよ。コンビってのは。お前、月になれ」


「ユズル君が太陽?」


「じゃねーか? じゃねーとうまくいかねーよ。そういうもんだ。俺がギターで、お前がベース。そんな感じだろ?」


「なんか負けた気がする。その言い方」


「うわっははは。負けとけよ、イツカ」


月と太陽‥。


月と太陽なら時々しか出会えないじゃん。日食とか月食とかに出会えて別れる。


「じゃなんか食い行く? お前、朝メシ食ったか?」


「食べてない」


「じゃ行こうか。どこがいい?」


「ファーストフード」


「うわ。俺は悪いけどファーストフード、ダメなんだ。あれってカロリー読めないので。ハンバーガー」


「カロリーが読めない? インスリン打ったら、なんでも食べられるんじゃないの?」


「なんでも食べられるよ。注射したら。でもハンバーガーはカロリーが読めない。ムズイんだ。フィレオフィッシュはカロリーが高い。なーんでだ? クイズ」


「えーと、魚?」


「ちげーよ。油だよ。揚げてるから、カロリーは高い。まあ、教えてやるよ」


結局、私達は24時間営業のカラオケボックスに入った。個室で二人きりは恥ずかしい。私、歌、下手だし、だいたい来ないよ。カラオケボックスに。しかも朝食で。


ユズルは個室に入るなり、内線電話で注文した。


「すいませーん。俺、ステーキ。お前は?」


「じゃナポリタン」


「ナポリタンとステーキで、飲み物は烏龍茶2つ」


ってかステーキ?


「ステーキこそカロリー大丈夫?」


「それがお肉は実はカロリーが低い。高いとみんな思ってるじゃん。カロリー高いのはソースの方。お肉は実はカロリー低くて、俺はいくら食べてもいいのでーす」


「へえ」


知らなかった。イツカは自分の知識を疑った。イツカの知っていることは、小説から学んだことがほとんどで、一型糖尿病の人の食事は全くわからない。


「じゃまたクイズな。意外なもので、カロリー0のものがある。なーんだ?」


「わかりません、先生」


「お刺身」


「お刺身ってカロリーないの?」


「イカはあるよ。でもほとんどのお刺身はカロリーがない」


「うそーん」


しばらくして食事と飲み物が運ばれてくると、ユズルが血糖測定器を出して、血糖を確認し、注射器でお腹にインスリンを打った。


「インスリンないと俺、死ぬからな。覚えとけよ。膵臓は、消化と、エネルギーを調整する役目を持つ臓器で、糖をエネルギーに変えるためにインスリンを作ってんの」


「うん」


「膵臓がインスリンをまったく作れなくなるのが一型。二型は膵臓の働きがまだ少しあるから、薬で調整できる人が多い」


「子供の頃からインスリンを打ってるの? 小学一年生とかでできるの?」


「できなきゃ死ぬからな。看護士に教えてもらうってわけ」


イツカは母親が看護士であることをふと、思う。父親も医師だったと聞いている。


「ま、食べようぜ」


食べながら、ふとイツカは思う。


「バレンタインは? チョコは?」


「そこはお肉で」


「クリスマスケーキは?」


「そこはお刺身で」


イツカは微笑む。かわいいな、それ。


「さ、早く食って歌うぞ?」


「何歌うの?」


「X JAPAN、ラスティネール」


「マジ? まだ朝だよ。そんな高音でんの!? 静けさのロックバンドは?」


ユズルは見事に高音を出して、X JAPANを歌う。明るいなあ、ユズル。イツカは笑う。拍手する。


「で、お前は?」


「下手だよ。ロンリーチャップリン」


「デュエットじゃん」


「わざと」


「仕組んだな。峰不二子」


「謎の女だから」


照れながら二人でデュエットし、歌い終わると、ユズルはマイクを離さず続け様に十何曲も歌った。楽しかったけど、こんな時間の過ごし方でいいのかな。


夕暮れの死の時間帯がまだ気にかかる。


イツカはユズルが歌っている間に、思いつき、言葉が逃げないうちにノートを出して、詩を書き始めた。


愛が静かに育っていく音を鳴らす。音楽家は愛が静かに育っていく音を鳴らす。黙って、この世界で、夕暮れの中で、感情を読み取るんだ。生まれる音たち。育つ音たち。僕たちは、静けさのロックバンド。愛が静かに育っていく音を見つけた。ほら、そこで、すこし、光る


それから水族館へ行き、沢山の魚を見て、ユズルが、うまそーだな、とか言うので、イツカは可哀想、まだ生きてるのに、と怒り、結局仲直りして、海へ向かった。


昼の海は輝いていた。太陽が光の道を作ってキラキラ光る。小さな波が幾重にも連なり、繰り返す。誰も人はいない。


ユズルが靴と靴下を脱いで波へ入って笑った。波をすくって、イツカにかける。イツカは飛沫を受けながら、丸くなって、恥ずかしくなる。でも笑う。


並んで浜に座った。ユズルが砂を手に取って、さらさらと落とす。それを繰り返す。しばらく黙って海を見る。イツカは小さな声で言う。


「人と人って偶然出会うのかな?」


「偶然じゃねーよ。何かに挑戦するじゃん? イツカも挑戦するじゃん? 挑戦と挑戦が人を出会わせるんじゃない? 運命とかじゃなく。挑戦なんじゃない? だからイツカと俺は出会ったんだよ。きっとな」


そう言って微笑むんだね、ユズル君。私はもっと卑屈だ。ハロー、残酷な私。


「私は挑戦したことない」


「気づいてないだけだよ。息をしてるだけでも、挑戦だ。走ることもな、挑戦だ。お前、走ってたんだろ? あの早朝の電車にいつも乗るためにな」


「うん」


ユズルを初めて見つけた朝のことを思い出した。夏の朝が気持ちよくて、早朝の電車に乗ってみたくて、走ったんだ。まだ涼しい風と光と影の中を。そうしたら、ユズルと3両目で出会った。


私は未来を呼び寄せたのかな。挑戦してたのかな。呼吸に。心臓に。足に。時間に。未来に。きっとそうだ。ユズルが存在する意味がわかりかけた。


人はそうやって存在しているのかな。


「だから時間をループさせた」


ん?


急にユズルの話がわからなくなった。


「ユズルが時間をループさせてるの?」


「そうだよ」


「未来人か何かなの?」


「ちげーよ。お前、小説の読みすぎな。もっと普通に時間はループできるじゃん」


イツカは首を左右に何度も振った。


「ないないない。これ、普通じゃないよ!」


「偶然見たアニメに俺の考えてることを言ってくれたセリフがあんの。浦島太郎の話ってあるじゃん?」


何、急に浦島太郎が出てきたぞ。


「浦島太郎は海の底の竜宮城へ行くだろ? それがもし、浦島太郎が俺で、お前も一緒に行ったとしたら、どうなるよ?」


「わかんない」


わかんないよ、ユズル?


「浦島太郎は海の底から戻ってきたら100年時間が経ってる。でも、もしイツカと俺が二人で行って、竜宮城から戻ってきても、100年時間は経ったことになんのかな? もしあの電車そのものが竜宮城に行ったとしたら、その乗客はみんな行ったとしても100年時間は経ったことになんのかな? それがもし地球の人みんなだったら? それでも時間は100年経つのかな? もし誰も気づかなかったら」


イツカは膝を抱えて丸くなる。


「ループの正体ってそういうもんだよ。時間ってそういうもんだよ。誰しもが同じ電車に乗ったんだよ。7月13日の早朝に」


イツカにはわからない。でもユズルが例え話をしているのがわかる。ユズルは何かを隠そうとそんな話をしている、と怪しんだ。


「ユズル? そんなに自分が死ぬところを見られたくなかった?」


ユズルが頷いた。


「好きな人でも? 彼女でも?」


ユズルが告白する。


「うん」


「どうして?」


「好きな人を救うためだよ」


「え‥私を?」


「うん」


イツカは考える。頭がぐるぐる回る。


「私に、本当は、何かあったの? 7月13日の夕暮れに‥」


「夕暮れじゃなかったけどな。じゃなきゃこんなこと起こるわけないだろ?」


ん?


私は‥私達は‥。


「大切だった。好きになる途中だった。イツカのこと。昼休み、偶然、学校のテレビのでそれを見た。撮られていた防犯カメラの映像がテレビで流されてた。こうするしかなかった。こうなるしかなかったんだ」


イツカはしっかりとユズルの横顔を見た。


「お前はそれを俺に見せたい? 俺は見ちゃったんだよな」


イツカは大きく首を振った。


それからユズルがゆっくりと本当の7月13日を話し始めたんだ。


イツカは7月13日、路上に倒れているところを発見された。


イツカは路上で血を流して倒れていた。


目撃した人は誰もいなかったが、防犯カメラの映像でそれは証明された。


よくある交通事故だった。


頭を強く打ち即死だった。


ひき逃げした犯人はすぐに捕まった。


そうユズルは告げると、空中を殴った。何もない空中を。


「だから、俺はバスケの部活に出たんだ。お前の死に挑戦するために。俺はお前を思いながら必死に部活したんだ。心臓のことも忘れてた」


聞き終わるとイツカは思った。


時間に甘えていた。時間は、等価値だ。残酷な時間に手を振って、また君に会えるのを夢見ていた。ずっと。ずっと。


てっきりユズルにはもう時間がないと信じていた。それを信じてイツカは未来に挑戦して走っていた。いつも。いつも。


ああああああああああああああ。


イツカは空を見上げた。見上げ続けた。涙が浮かび、ゆっくりと流れた。


イツカは携帯電話を見た。


7月13日。


昼休み。


イツカはそのまま黙って、夕方まで泣いて、なんでもないようにユズルに話しかけた。


「で、ボーカルは? ロックバンドの話。静けさのロックバンド組もうよ」


「ボーカルはアイハだろ?」


「可愛いし。私より。私、地味だよ、どーせ」


ユズルは、ちげーよ、と言って笑った。いつものユズル君。


イツカは訊いた。


「7月13日はまた来るの? あの早朝の電車はまた来る?」


「来るぜ、きっとな。不安な時は俺を見とけ」


「うん」


「なんとかしてやっから」


イツカはユズルの肩に自分の頭を乗せた。しばらくそうしていたかった。時間よ、許してください。私達を。残酷な私達のことを‥。


そしてユズルがイツカを顎を持ち上げると、そっと二人はキスをして、そのあとハグをした。


最高な気分とちょっぴり切ない気分でキスをして、この気持ちに終わりが来ないかとそっと胸を探るよ。


世界は夕暮れだ。


イツカはハグされながら言った。


「ありがとう。一日だけの彼氏さん。私はあなたに会うために生まれてきたんだ。ユズルが教えてくれたことが私には価値があるってことだ。生きてるってことだ」


ずっと挑戦を続けてあなたに会いに走って来ました。きっとこんな言葉じゃ私達の気持ちに追いつけないよね。私達にはね‥。


そしてユズルが微笑んで言った。思いを言葉にしてくれたんだ。


「君のいない未来から来ました」

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