第9話 消えないことかな
本当にユズル君はバスケの部活に出ないのだろうか。
新しい病気って?
アイハに相談する、と言った。
アイハもユズル君に放課後会ったと言った。
私がそこに存在してもいいのだろうか?
未来よ、許して。
そう考えながら名神高校までの道のりを歩いた。
だんだんと早足になる。
いつの間にか走っている。
携帯電話を取り出し、確認する。
7月13日。
7月13日は終わっていない。
私は存在しているし、ユズル君も、アイハも、存在している、と確信する。
正門からなかに入ると、体育館に向かう。
バスケ部は?
そっと体育館に侵入して、バスケ部のコートのなかにユズルを探す。
いない。
アイハと多分いる。
それともユズル君は遅刻して参加する?
とにかく辺りを探すと、先生から呼び止められ、部外者は存在してはいけないということで、学校から追い出される形になった。
正門前で立って、空の色が変わっていくのを見つめ続けた。
携帯電話を見る。
7月13日。
すっかり夕暮れの空色。
体育館で何かが起こっている様子もない。
イツカは未来よ、許して、と心の中で繰り返し、すっかり辺りが紫になると、学校の側に流れる川辺に向かった。
川の流れと、光と、僅か紫色に残る西の空と、飛ぶ鳥。
と、土手に座り込むイツカの隣に、誰かがいるような気配がしたので、顔を上げると、ユズルが座っていた。
「やっぱお前か。後ろ姿でもわかるもんだな。なんだよ、幽霊みるような顔してさ」
「部活は? アイハは?」
「ブッチした」
「心臓、痛くない?」
「ちょっといてー」
「アイハと何話したの? 何か新しい病気のこと?」
「アイハとは会ってない。保健室で寝てた」
「会ってない? アイハと約束してたのに?」
「お前、不安なの? 彼女なのに? お前、彼女ってことになるんだけど」
「うん」
ユズルがいること。アイハがいないこと。私がいること。
アイハの時間を私が奪ってしまった。残酷な自分が扉をノックした。
ハロー、残酷な自分。
紫色に世界が染まり、夜になっていく僅かな時間。
「ねえ、ユズル君にとって、生きるって何?」
そう訊くと、ユズルは大声を出して笑った。
「うわっはは。お前、このタイミングでそれ言う? イツカだっけ? 不安だったら、そんなの見ないで、俺見とけ」
イツカはユズルの横顔を見る。ユズルは小石を拾って川面に投げていく。
「俺はこの病気に誇りを持ってる。この病気は大抵、子供時代に発症するから、他の人もそうなる。一生治らない病気って、いろんなことに挑戦できて、感謝するようになんの。前にしか進めなくなんの。病気ってそういうとこあるじゃん」
「うん」
「新しい病気は一型糖尿病の合併症で、バセドウ病っての。首の下にある甲状腺の炎症」
「どうなるの?」
「じっとしてるだろ、俺。でも俺は今、百メートル走を全力で走ってんの。心臓はそれくらいに早く動く。体の機能が止まってくれない。だるくなるし、疲れる。でもこれは薬でコントロールできる。薬が効かなかったら手術で治る。一型もインスリンの注射でコントロールできる。不安?」
「部活しないでよかった」
「まあ、今日はね。でもレギュラーになるから、コントロールしながらできる。挑戦ってやつ。お前、夢ってあんの?」
イツカは少し考え、言う。
「峰不二子になりたい」
「ルパンの? うわっははは。お前、このタイミングでそれ言う? なんで、峰不二子なのさ。うわっははは」
「子供の頃から大きくなったら、あんな体になると思ってた。女って自動的に」
「胸か?」
「全部よ。カッコいいじゃん。でもそうはならないってことがわかってびっくりした。背もちょっと小さいし」
「うわっははは」
よかった。ユズル君が私のジョークに笑ってくれて。
「ユズル君の夢は?」
ユズルは小石を拾うのをやめて、川面の流れを見る。川は流れている。光る。
「必要とされること、かな」
そのマジな答えにイツカは嬉しくなった。ユズルが続ける。
「心を動かす。心を通わせる。必要とされる。必要になる。消えない。消えない人になる。そういう順番」
イツカはまたユズルの顔を見る。ユズルもイツカの顔を見る。小さな声でやっと言う。
「消えないで。ユズルが必要」
「消えないよ、だからあの早朝、の電車に乗ってる。いつも同じ行動をする。誰かに必要とされたくて、その人に気づかれたくて」
「うん。ユズルを見てる。ユズルを見てた。気がついた。心が動くこと。私は追いかける。ユズルをずっと追いかけてきたんだよね。これ、マジだよね」
「うわ。ストーカー現る?」
そう言うとユズルが大声でまた笑った。
「うわっははは。じゃまた明日。俺、アイハの家行って謝ってくるわ」
ユズルが立ち上がると、イツカも立ち上がる。
「アイハとはどんな関係?」
「秘密。彼女じゃねーよ。いづれちゃんと言う。アイハのプライベートなことも関係あっから」
「わかった」
「じゃ、明日、いつもの電車で待ってる」
ユズルが駆けていく背中に、イツカは叫ぶ。
「明日! いつもの電車で!」
ユズルが去り、イツカも土手をあがる。その道をさらりと自転車が通った。
イツカの前を過ぎる時、気づいた。
自転車に乗っているのはアイハだ。
その時、風が吹いた。
残酷な自分に気がついた。
アイハがイツカに気がつき、大声を出した。
「あ!」
突風が吹く。
アイハは振り返り、イツカを指差す。
私はアイハの時間を奪っているんだ! 私がいることで、未来は変わった!
ああああああああああ!
突風に体ことイツカは後ろに弾け飛び、時空の中へ飛んだ。
待って! ユズル君!
イツカは風となり、去っていくユズルの体をすり抜けた。
消えていくイツカはユズルを一瞬、抱きしめる。
大声で叫んだ。
「憶えてて! ユズル! なかったことにしないで! ユズルが必要! 消えないで!」
気がつくと、イツカは自分の家の前の花壇に立っている。
よかった、花は踏んでいない。
また7月13日の早朝がやってきた。
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