第8話 手紙
いつもの早朝‥。
7月13日の早朝の電車の3両目‥。
窓辺で涼しい顔をしてユズルは景色を眺めている。
その前で静かにイツカはノートにペンを走らせる。
途中でアイハが乗ってきたけど、それも気がつかないくらいの静けさの中でイツカは手紙を書き綴った。
【ユズル君へ
あなたの前でこの手紙を今書いています。
いつもあなたの前に立っている女の子、それが私です。
私の名前はイツカです。
いつからかあなたのことを見つけて、気になって気になって、毎朝、この電車に乗るために走ってきました。
ユズル君ももしかして、この電車に乗るために走っている?
そうなら嬉しい。
私はただのちっぽけな女の子だけど、あなたに会うことが大好きです。
トンマなあなたはまだ音楽を聴きながら窓の外を見ています。
私の大好きなユズル君は、泥にまみれて、からっぽで、何やら必死に戦ってる。
それを私は知ってる。
あなたの相手はまわりの空気らしく、そこらにめがけてパンチを放つ。
どれだけ経ってもやめないし、私の大好きなユズル君って人は。
あなたのいない未来なんて、丸めてゴミ箱へポイしたい。
よく覚えていて。
あなたは今日、死ぬのです。
だからバスケの部活は出ないで!
走らないで!
私の隣にいてください。
付き合ってください。
この7月13日の3両目で、いつも待っています。
あなたがこの手紙を夕方の放課後までに読んでくれることを。
命はまだ当価値で存在しています。
信じて。
私と生きてください。
イツカ‥LINE @itsukaamemiya】
ユズルが電車を降りると、イツカも一緒にその駅で降りた。
「どうして? なんか用?」
イツカは深く頷くと、ノートの一枚を差し出した。
「読んでね。放課後までに」
そう言うと、ユズルは首を傾げた。手紙を受け取った。
「いくわ」
「うん。いつもなんの音楽聴いてるの?」
「ドビュッシーのアラベスク」
「アラベスク」
「知ってる?」
「うん。私の一番好きな曲。子供の頃から」
「じゃな。明日も」
イツカは頷いて手を振った。
ユズルが走って、改札口を出て行くのを見送り終わると次の電車に乗り、普通に自分の高校に向かった。
普通の7月13日。
授業を受けながら、お願い、読んで、と繰り返した。
体育の授業にも出て、お願い、読んで、と繰り返した。
読んでくれたら、奇跡は起こるとイツカは信じる。
昼休み。
イツカはいつかのようにノートに詩を書いた。窓辺の席で、入ってくる風に短い前髪が揺れた。
窓まで遠い。窓はどこまでいっても遠い。窓はどこまで手を伸ばしても届かない。わずかな光が見えるけど、窓まで遠い。窓を目指して私は立ち上がるのだけれど、窓はどこまで歩いても近づかない。窓まで、旅をする。汽車に乗り、光に乗り、月を飛ぶ。そして私は君の窓を開ける。
息をしているだけでも、たいしたものだ。立って歩くだけでも、たいしたものだ。くすりと、笑ってみたら、奇跡みたいなもんだ。
蝶を手渡す。あなたに蝶を集めてブーケのかたちにして手渡すことができるだろうか。蝶は様々な色をしてそれぞれどこかへ飛び立とうとしている。うまく手渡せるかな。あなたにやはり手渡すことはできず蝶たちが思い思いに飛び立つの? 花が爆発したように飛び立つの? 蝶を手渡す。
そっとささえてくれるもの。そっとささえられているもの。何かはわからない。誰かは気づかない。でも誰かにとって、そっとささえてくれるものは意外なものかもしれないね。意外な人かも。そんな誰かと誰かが見てる同じ月。
イツカが空を見上げると、月が出ている。三日月。
昼でも三日月は見えるんだ、とイツカは眺め続ける。
そのまま学校が終わり、靴を履いて昇降口から外に出ようとしている時だった。
イツカの携帯が鳴った。
見るとLINE電話だった。
受信する。
「もしもし」
「このLINEであってる? お前、いつも電車の3両目の子? あってる? イツカって名前の子?」
「あってる」
「手紙、読んだ」
手紙、読んだ。
その言葉でまだ7月13日だと確信した。読んでくれた。
読んでくれたら、何が起こるの?
「俺、死ぬの?」
「うん。死ぬよ」
「なんで?」
「ユズル君、今日、体、だるいでしょう? それで、バスケの部活出ようか迷ってるでしょ?」
「まあな。だりーんだ。今日」
「休みにしな」
「お前って、何者?」
「看護士の娘よ。走らないで。約束してくれる?」
「そういうこと? OKだよ」
ん?
時間が変わった。
変わっていく今。
奇跡が起きたの?
奇跡の言葉を聞いたの?
イツカの瞳から涙が溢れようとしている。
「会いたい」
「いつ?」
「今から。今からユズル君の高校へ行く」
「わりー。今日はアイハと話さなきゃ。新しい病気のことで相談するから。また今度な。でもOKだよ」
新しい病気?
OKって?
「何がOK?」
「付き合うってやつだよ。お前が手紙に書いてあったこと」
「私と?」
「何度も言わせんな。切るぞ。今、命は等価値なんだろ?」
イツカが返事する前にLINE電話は切れた。
まだ話したいことがイツカにはあった。
でもLINE電話は切れてしまった。
そうよ。ユズル君。
命は等価値で存在してる。死んじゃう人も、生きている人も、今、という時間のなかでは、等価値。
もしかしたら私が先に死んじゃうかもしれない。交通事故とかで。それは誰にもわからない。
今を抱きしめたいよ。
ユズル君‥。
ん?
ユズル君、私と付き合うって言った?
あれ?
言ったよね?
イツカの瞳から涙が零れて、顔を覆って泣き続けた。
泣いてもいいよね? ユズル君!
今を抱きしめたいよ。
イツカは携帯電話のホーム画面を見た。
7月13日。
未来よ、待ってて。
そしてイツカはその足で未来への第一歩を踏み出した。
未来へ!
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