第7話 イツカの秘密、ごめん、私の気持ち

アイハと別れたあと、イツカは学校の制服のまま自分の部屋のデスクに座ってまた頭を抱えていた。


デスクの上には携帯電話のホーム画面。


7月14日‥。


夜になったばかりで部屋の電気も点ける元気もなかった。


時を飛び越えたり、また戻って7月13日はやってくる。


そしてユズル君の死の秘密の時間帯をいつも私には存在できない。


あれ?


時間を飛び越えているのは、私だけなんだろうか? 


飛び越えた時間世界はどうなってる?


たとえばパリは? ニューヨークは? アフリカは? 


いやいやいや。


でも誰かが何かを隠してる。それは私自身もしれないし、他の誰かかもしれない。


トントントンと階段を上がってくる足音がまた聞こえる。


きたーーー。


心の中でイツカは囁き、デスクを立ち上がり、そっと扉の前に立った。


私は私を捕まえる。


捕まえれば何かが起こるかもしれない。


ドアが開かれる。


と、そこには母親が立っていた。


「ママ‥」


「どうしたの、イツカ。青ざめた顔して。部屋の電気くらい点けなさい。外食いくわよ」


「何分後?」


「すぐ」


確かに母親は外着を着て、もうハンドバッグを肩からかけている。


イツカの母親は看護士だ。夜勤の時もあるので、家にいるのは疎らだった。だからよく外食にイツカを誘う。いつものことだ。


いつものイタリアンバーに向かい合ってパスタを食べる。ここの日替わりパスタはいつも変わって面白い。今日はトマトソースのリングイネだった。


「ママ? 好きな人に自分が死ぬところを見せるのは嫌?」


「うーん。猫とか犬とかは、飼い主の前で死ぬのを見せたくないっていうけど。ママはよく患者さんの死と立ち会うけどね」


「犬とかの猫の話じゃないもん」


「誰のこと?」


「だから、好きな人」


「好きな人? 好きな人に死んじゃう時に側にいて欲しくないって言うの? その彼。片思い?」


「両思いだと‥思う」


その言葉を聞いた母親はテーブルに頬杖をついて微笑んだ。


「恋する娘よ。悩んでるの? 付き合ってんの? その彼と」


「いや‥それが‥」


もちろん、母親には、同じ日を繰り返してるとは言えない。


「じゃ付き合って、って言えば?」


「それがうまくいかない。ママは死んだパパに言えた?」


「うん。自分の気持ちは伝えなきゃ未来はどう変わるかわからないじゃない。パパ、死んじゃったからねー」


母親は遠い目をする。


「あなたがまだお腹のなかにいた頃、パパはもう命が少なかったのよ」


「パパの記憶ない」


「あなたが生まれてすぐに亡くなったもん。だから、あなたの名前には、秘密が隠されているのよ」


「秘密?」


秘密って?


「そう。イツカって名前は、いつかまた会おう、って意味。パパの願いが込められてる。それから、あの頃、いつか。と、過去へも行ける。未来にも過去にも行ける。パパの最後の願い」


それを聞くとイツカは、もしかして、と思うのだった。


パパ?


この時間の体験を仕掛けたのはパパ?


この名前?


泣きながらイツカはパスタを物凄い勢いで食べた。食べながら、訊いた。


「ママはどうやってパパと付き合うことになったの?」


「告ったわよ、ママが。手紙だったけどね」


手紙?!


イツカの頭がぐるぐる回転して、思わず立った。


「手紙!」


イツカは母親に、急用思い出した、と言って、鞄を手に取り、店を飛び出した。


商店街を全速力で走った。


手紙! 手紙を渡せばいいんだ!


途中、自転車とぶつかりそうになったが、なんとかイツカは走り続ける。


自転車の倒れた音が聞こえた。


そして文句。


また誰かを傷つけてしまった。


「ごめんなさい!」


それでもイツカは走る。


手紙、手紙、手紙。


家に着くと、慌てて二階の自分の部屋に駆け込み、鞄からノートを取り出して広げる。


そこには7月13日の昼に自分で書いた詩が書かれていた。


その二つ目の詩を読む。


私の背中に薔薇が咲いた。見ることはできないが、私は私の背中に薔薇が咲いたことを感じる。知っているとでも言えばいいのか。背中にもう一つの心臓ができて、それは私の背中を押す。前へ行け、と。私の背中に薔薇が咲いた。く


前へ行け、イツカ。


独り言を言って、さあ、ユズルへのラブレターを描こうとした時のことだった。


まず風が吹いた。


風?


部屋なのに風?


イツカは部屋の窓を確かめる。


閉まっている。


ふと、ノートの詩たちに目を落とす。


ノートに書かれている詩が一文字ずつ、消えていく。


文末から文字が消えていく!


消失。


待って、私の気持ち!


文字ははらはらと一文字一文字消えていく。


あの時の私の気持ち!


それを捕まえたかったけれど、詩はすっかり消えてしまった。


イツカは呆然と天井を見る。


行ってしまった気持ちに嘘はなかったと泣きながら手を振った。


この気持ちに終わりが来ないかと、手を振って、また君に会える日を夢見る。


イツカは携帯電話を取り出し、日付けを確認する。


7月13日!


時が戻っている。


今は、何時?


早朝‥。


イツカはカーテンを開けて、窓を開けると外が明るいことに気がつく。


風がイツカをまたふきつける。


イツカは、ノートを鞄にしまうと、また走り始める。


手紙を書く時間がないよ!


ごめん、私の気持ち!


イツカは玄関を飛び出すと、またあの早朝の電車の3両目に向けて走った。


私の名前はイツカ。


イツカだよ!


君のいない未来から来ました。


イツカは走り続ける。


なぜか涙が出てきて、止まらないよ。


夏の光と風と影が吹き飛んだ。

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