第6話 切ない傷と切ない恋
早朝の電車の3両めの窓辺にユズルがなんでもなくいること。
涼しい瞳で景色を見ながら携帯電話で、音楽を聴いていること。
イツカはその向かいに立ちその当たり前を遠い目で眺めている。
いつ頃からこうやって通学していたんだろう。
何度目の同じ朝なんだろう。
やはりアイハが乗ってきた。彼はイヤフォンを片方だけ外して、視線をアイハに向けた。
「ユズル君、いつもこの電車?」
「そうだよ。お前、今日は早いな。学校で何かあるの?」
「少し早く行ってテスト勉強するだけ。じゃアタシ座って単語覚えるから。ユズル君立ってるでしょ、いつも」
「まあね。景色好きだからな」
アイハは空いている席に座った。
ユズルが予想通りのセリフを言う。
「彼女じゃねーぞ」
「わかってる。私はイツカ。最初はユズル君を見てるだけにしようと思ってた」
「俺を?」
「そうユズル君を」
「俺はいつも気になってたけど。目の前にいつもいるから」
会話が変わった。
「明日もこの車両?」
「待って! 今日、走った? この電車に乗るために」
「走ったよ。じゃ明日。降りるわ」
イツカは降りようとするユズルに向かって手を伸ばす。
降りようとするユズルの小指とイツカの小指が一瞬触れ、離れる。
ユズルは電車を降りる。
イツカも電車を降りた。
二人は黙ってホームに立っている。
「どうした? なんか用?」
「うん」
「何?」
「あなたの病気知ってる」
そう言うとユズルは言った。
「見えないところに隠し持ってることだよ。誰にも見えないところに隠し持ってることってあるだろ?」
「うん」
「そういうこと。そんな話はしたくないよ。傷つくから、さよなら」
「心臓大切にしてね」
「だからそんな話したくねーの。特にお前とは」
ユズルは歩いていく。
その後ろ姿に叫ぶ。
「ユズル君! 私もこの車両に乗るために走ってた! 毎日毎日、走ってた」
ユズルは振り返りもせず、走って去っていった。
どうしてこうなるの?
ユズル君を怒らせてしまった。
傷つけてしまった。
さよなら?
本当にさよならかもしれないのだ。
イツカは空を見て、涙を溜める。
本当はわかっているんだ。
私がしていることは、まわりまわって人を深く傷つけているんだ。
同じ朝を繰り返すということに、切ない気持ちで、手を振って、また君に会えることを信じていた。
でも死んでしまう人の時間を変えること。救うこと。本当にそれはしてもいいこと?
イツカはそう考えながらどこかの道を歩いた。
開いていく商店街。幼い子供を自転車に乗せて保育園に向かうお母さん達。朝早くから開いているスーパー。働く八百屋さん。背広姿の若いサラリーマン。道を掃除する老人。
切ないよ。
イツカは携帯電話のホーム画面をまた見る。
7月13日。
歩いて学校まで行くと遅刻だった。
友達とも話さず、体育の授業も休み、ひとりの教室でノートを広げた。気持ちを詩にしてみる。
白い体操着が窓の外見える。誰かの声。
あなたが誰にも見えないところに隠し持っている花束たち。背中に隠し持っている愛を。歌を。美しさを。棘を。やさしさを。見えないところに隠し持った花束。
私の背中に薔薇が咲いた。見ることはできないが、私は私の背中に薔薇が咲いたことを感じる。知っているとでも言えばいいのか。背中にもう一つの心臓ができて、それは私の背中を押す。前へ行け、と。私の背中に薔薇が咲いた。
枯れた花と一緒にお風呂に入った。私が水をあげなかったために花を枯らしてしまった。浮かぶ枯れた花を見て、疲れた自分と再生と終わり。枯れた花にキスを送ろう。その時、旅は終わった。
この気持ちに終わりが来ないか、そっと胸を探る。
昼になり、早退して、あのいつかの三角公園のブランコに揺られたかった。
そこでアイスクリームを食べながら、今日の夕方にユズルの名神高校へ向かって死を阻止するか、行かないか、ずっとイツカは考えてた。
そこへアイハが現れた。アイスクリームを持っている。
「いた! 見つけた! イツカ、約束は?」
「アイハ、どうしたの?」
「一緒にお通夜にいく約束だったでしょ? お通夜始まってるよ」
アイハが滑り台にもたれて、ゴミ箱にアイスクリームを投げると入った。
「イエイ」
いつのまにか辺りは夕暮れだった。イツカは胸が痛んだ。
「ユズル君は運動はしてよかったの?」
「ユズルは病気を誇りに生きてた。この病気を前向きに感謝してて、普通に挑戦してた。明るかった。カッコよかった。その強さが。でもこの病気は合併症で出る危険性がいつもあった」
「知ってるよ」
「血管がモロくなるから、心臓には負担がかかるの。10万人に一人の病気。昨日は心臓大事にするべきだった。私が、部活休むように言うべきだった」
アイハはイツカの手を取り言った。
「ユズルのいない未来に来ちゃったね」
イツカは携帯電話を見る。
7月14日。
また、ユズルの死を飛び越えてしまった。
「でも明日の早朝、あの電車の3両目に乗ってみる。普通にユズル君はいるかもしれない」
「いたら、キスしちゃいな」
「まさか」
おそらくきっとユズル君はあの早朝の電車の3両目にいるだろう。
こんなことばかり、続けてる日々じゃぜんぜんだめだってちゃんとわかってる。
このままじゃいつか大切な人もまわりまわり巡って深く傷つけるんだろう。
まだちゃんと胸が痛むよ。
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