四
「
帝は現れた
「藍……。
(寝殿?!)
顔を引きつらせた藍を師は面白そうに見つめ、帝は安心させるように微笑む。
「もちろん。寝室はわしとは別だ。安心するがよい」
「はあ…ありがとうございます」
ここでありがとうとお礼を言っていいかわからなかったが、とりあえず藍は安堵の息を吐く。
「さて、帝。明日は愛妾の御披露目を考えております。よろしいでしょうか?」
「ああ、かまわぬ。式所と話を進めるのだ」
( 御披露目? 聞いてないですけど?)
「あ、すまないね。言うのを忘れていたっけ?明日は御披露目だから。がんばってね。今日はその分休むといいよ。寝殿なんてめったに泊まれないところだから楽しんでおいで。
(粗相とか。お披露目とか、え?)
藍の驚きをよそに、内所と呼ばれたかっぷくのよい女性は美しい呪術司の笑顔に気をよくしてうなずく。
「呪術司殿。ご安心ください。この私がばしばしと鍛えてあげますから」
(ひえぇええ。そういえばこのおばちゃん、怖かったんだよね)
藍はやる気を起こす内所をちらっと見る。
「内所。藍は正式な愛妾ではないのだ。そう張り切ることもないだろう」
「しっかし」
「帝。正式といわずとも明日はお披露目です。内所に少しぐらい鍛えてもらったほうが助かります」
「そうか?」
「そうですよ。帝」
(この意地悪!!)
にんまりと笑う師に藍は鋭い視線を向ける。
本当は怒鳴り返したいところだが、帝と怖い内所の手前そういうわけにもいかなかった。
「さあ。藍殿。呪術司殿もそう言っております。明日に備えて私がみっちり礼儀作法を教えてあげますよ。帝、よろしいですか?」
「かまわぬ。しかし……」
「帝、藍なら大丈夫ですよ」
(大丈夫じゃないんですけど?!)
「さ、藍殿。行きますよ。帝、私の代わりに式所を呼んでおきます。それでは失礼いたします」
ぐいっと藍の腕を掴むと内所は帝に深々と頭を下げる。そして戸惑う藍を引きずるようにして連れて行く。
(典様~~!!)
救いを求めるように師を見るが、典は楽しそうな笑顔で手を振るだけであった。
(元に戻ったら、絶対に絶対に変な呪いかけてやる~~)
視界の隅に消え行く師の笑顔を見ながら藍はそう心に誓った。
(疲れた……)
二刻後、藍は寝殿の自分に与えられた部屋に戻ってきていた。
明に教えてもらったのだが、内所にかかればなってないのもいいところで、藍はパシッと扇子で指先を叩かれながら礼儀作法をみっちり教わった。
講義から開放されたのはすっかり闇が宮を覆ったころだった。夕飯を内所と一緒にしたのだが、作法、作法といわれながら食べたので食べた気がしてなかった。
(とりあえず疲れたし、明日は朝から街に繰り出すって言ってから、寝よ)
藍は羽織っていた重い鮮やかな着物を脱ぐと立てかける。
通常であれば世話をするものがいるのだが、藍は面倒だったのですでに帰ってもらっていた。
下着の役割をする薄い着物だけになると、藍はほっとして腰を下ろす。
敷かれた布団に横になり、寝ようとしたところ、トントンと襖が叩かれる。
「藍。わしだ。寝てしまったか?」
「帝様?!」
藍がぎょっとすると布団から体を起こす。そしてあたふたと脱いだ着物を羽織る。
そのまま応対するにはあまりにもだらしなかった。
「寝てしまっていたんだな。すまなかったな」
乱れた髪、適当に羽織った着物の様子でわかったらしく、帝はそう言った。
「いやいいですけど。どうしたんですか?」
そう答えながら藍はふと内所の言葉がよぎる口をふさぐ。
(言葉使い、言葉使い)
「藍。気にしなくてもよい。今は二人だけなのだから」
(二人?!二人ってぇえええ!!)
目をぱちくりさせ慄く藍に帝は笑いだす。
「藍。誤解するではない。わしはそういう意味でいったわけではないのだから。その姿を見ると確かに触れたくなるが、お前が麗じゃないことはわかっておる。安心するがよい」
「…はい。すみません。ありがとうございます」
訳のわからぬ返事をして、かしこまる仮の愛妾に帝は麗と異なる可愛らしさを見出す。しかし、彼女の立場を考え、節操のない自分の心を叱咤し、自嘲した。
「帝?」
「すまぬな。藍。……わしは頼みがあってきたのだ。わしの散策に少し付き合ってくれぬか?」
こちらを伺うようなしぐさの帝に藍の胸がどきっとする。この国の頂点に立つものでありながら、今目の前にいるのは同世代の普通の青年のようだった。
同世代ではないのだが、その華奢な体、髪を下ろすと幼く見えるその顔が藍に錯覚を与えていた。
「……もちろん。いいですよ」
藍がにっこりと笑うと帝は一瞬驚いた顔を見せる。しかし、微笑を浮かべると立ち上がった。
*
藍殿?帝?
夜の警備を部下に任せ、自室の戻ろうとした強(キョウ)の視線の先に、帝と藍の姿が見えた。
(またこんな時間に!)
苦言を言っておかねばと足を踏み出したが、二人の楽しそうな様子に足を止める。
感じたこともない息苦しさに襲われる。
それは胸を刺されるような痛みで、強は眉を潜めた。
『藍のこと好きなんだろう?』
親友の言葉を浮かび、強は首を横に振る。
(そんなわけがない。警備隊長の俺がそんな思いを抱くなんて)
強は空を見上げ、深く息を吸う。
頭上には落ちてきそうなくらい星が輝いており、強はまぶしくもないのに目を閉じる。
息を吐き、再び前を見ると二人の姿は消えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます