幕間① 悩める軍師と忠犬

 ペラリ、ペラリ――静かな部屋に、紙をめくる音だけが小さく響いている――。


「むふぅ~・・・芙由には実にとんでもない作業をさせてしまった・・・」


 一通り紙に目を通した古我は、思わず抱えそうになる頭を何とか支えながら、軽い気持ちで頼みごとをした自分を殴りたくなった。

 紙には几帳面に揃えられた文字が並び、所々に手書きの注釈も書き込まれている。

 内容が詳しければ詳しいほど、罪悪感がどんどん込み上げてくる。多少は予測していたとはいえ、ここまでとは――。


「・・・ユウ、何か問題があった?」


 読み終えた紙を置き、何やら遠い目をしている古我に、横村は事も無げに疑問をぶつけた。その声色にほんの少しの非難が混じっているように感じるのは、完全に古我の罪悪感のせいである。


「いや、何も問題ない・・・良く分かった。ご苦労様だった――念のために聞くんだが・・・どのくらい時間がかかった?」

「4~5時間・・・かな」

「そ、そうか・・・」

 

 常識的な時間を聞いて、古我の罪悪感は少し和らいだ。横村は真面目だ。真面目過ぎる。加えて古我に従順だ。従順過ぎる。だからこそ、頼みごとの内容には十分に気を遣わなければならない。数ヵ月の付き合いではあるが、そのことは重々承知していたはずだ。はずなのだが――。


「どう?分析に足りる・・・?足りなければもう一日時間が欲しい」

「いやいやいや、十分だ」

「そう?」


 改めて紙を手に取る。横村には、今流行している小説作品を軽く調べてほしいと依頼していた。その結果、ジャンル・あらすじ・傾向・評価が綺麗に纏まっている。データの中に自分の感情を一切含まないのが横村らしい。だからこそ、信頼できるデータなのだが、古我にはその内容を理解できない。如何せん量が多すぎる。それに作品の内容もほぼ同じに見える。このままでは分析にならないので、不本意であるがヒアリングをする必要がある、と古我は判断した。


「なぁ、芙由」

「何?」

「調べてくれた作品の中に、芙由が読みたいものはあった?」

「無い。読んでも何が面白いのか全く分からなかった」

「やっぱりか・・・つまらん作業をさせて悪かった。正直、もう少しマシだと思っていたんだが」

「でも事実として、そこに挙げた作品は評価が高い。データとしては有用・・・のはず?」

「有用なはずなんだけどなぁ・・・どれも似たり寄ったりで違いが見えん。これが評価されるなら・・・三沢先輩の作品は厳しいな」

「厳しいかは分からない。ただ、求められているジャンルとは違うと言える」


 古我にとって大きな誤算だったことは、横村の資料の精度ではない。彼女なりに有用な情報を頑張って拾ってくれている。つまり、頑張ってもこの程度の情報しか手に入らないのだ。確認のために、一番評価が高い作品に目を通してみたが、何が面白いのか分からない。


「有用なデータは、一話目の長さくらいか」

「評価の高い作品は、おおよそ2000-3000文字程度で書かれている?」

「それもある・・・が、一話でどこまで書くか、だな」

「どこまで書くか?」

「連載であれば、次話を読みたくならなければいけないわけだ。三沢先輩の作品の中で、ヒットしているのは読み切りばかりだ。連載に向いていないのかもしれないが、そこに鍵がある・・・ような気がする」

「分かった」

「待て待て待て!まだゴーを出していないのに突っ走ろうとするな!」


 すぐに調査を始めようとする横村を、古我は慌てて制した。有能過ぎる部下を持つ苦労を否が応にも理解させられる。性能の高い車は乗りこなすのが難しいじゃじゃ馬なのだ。


「言われてから仕事をするのは、二流だよ?」

「求められている仕事と違うことをするのは、三流だぞ?」

「――指示をちょうだい」


 珍しくむくれた様子を見せる横村を見て、古我は安堵した。たまに見せるこういった表情を見るのが密かな古我の楽しみなのだ。表情がコロコロ変わる先輩をからかうのも良いが、仏頂面を崩すのも良いものだ。

 そんな考えはおくびにも出さず、古我は横村に淡々と指示を出した。小さく、しかしハッキリと頷いた横村。秘書、というよりは忠犬のようだ。


「――」

「あぁ、――ほら、これで良いか?よろしく頼んだ」

「うん――わたしに任せて」


 横村は優秀だが、超人ではない。ヤル気が下がる時もある。今回のように、古我の分析に役立たないデータしか出せなかった時は、ほとんど顔に出ないが顕著に落ち込むのだ。口に出さない、顔にも出さないが、態度に出る。「私を撫でろ」と。彼女は忠犬なのだ。

 古我も慣れたもので、横村の頭をわしゃわしゃしながら、頼み事をする。これで横村のヤル気は充填される。最初は面食らったものだが、横村が満足そうに乱れた長髪を整えているのを見ると、ほっこりした気分になり、また頼み事をしたくなってしまうのだ。


「さて、俺の方も少し見てみるか――音楽部に入ってから、答えのない問題ばかりだな・・・」


 横村が去った静かな部屋で、古我は一人呟くのだった。

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