第886話 南洽北暢(なんこうほくよう)

 万和7(1582)年3月25日。

 この日は給料日だけあって、どこの金融機関も長蛇の列だ。

「母上」

 井伊直政は、給料日に買った赤い甲冑を見せる。

「どうですか?」

「似合っているわ」

 井伊直虎は、満足気に頷く。

義父上ちちうえご推薦の物です」

「まぁ♡ あの方にも見せた?」

「いえ、『いの一番に母親に見せろ』と」

「若殿ったら♡」

 頬を朱色に染め、愛息の手を引く。

「では、見せに行きましょう」

「? 今日は、御所に朝から出かけていますが?」

「あー、そうだったね」

 失念していた直虎は、苦笑い。

「じゃあ、お帰りになられるまで待ちましょうか?」

「そうですね」

 長い1日。

 母子は、久々に会話を重ねるのであった。


 御所から帰った大河は、疲労困憊の様子だ。

「お疲れ様です」

 珠が出迎える。

「ああ。全くだよ」

「どうされました?」

幼稚舎ようちしゃに通われる皇族の方々と相撲を取ったんだよ」

「まぁ」

「元気なのは良い事だけどね。流石に何番も取るのは気を遣う分、疲れたよ」

 朝廷で三大人気スポーツは、


・馬術

・相撲

・野球


 だ。

 スポーツを通して健全な社会を目指す大河の理念に朝廷は理解を示し、皇族も積極的にスポーツを行っている。

 まだ体が出来上がっていない幼年の方々は、道具が不必要な相撲を好きになる傾向があり、大河もその相手になっているのであった。

 流石に本気を出すことは無いが、それでも怪我させたら朝廷の怒りを買いかねない為、言い方悪いがが必要不可欠である。

「お疲れ様です」

「ああ。それと珠」

「はい?」

「今日、給料日だろ? はい」

「これは?」

 膨らんだ茶封筒を渡され、珠は戸惑う。

「賞与」

「賞与の季節ではありませんが?」

 山城真田家の賞与の時期は、基本年2回。

 6月と12月だ。

 言わずもがな、3月はその時期ではない。

「知ってるよ。でも、最近、資格取得の勉強もしているんだろ?」

「はい」

 山城真田家は資格取得に積極的に支援している為、勉強する者も多い。

 しかし、勉強を理由に賞与が貰えるのは前代未聞だ、

「本当に……いいんですか?」

「いいのいいの。頑張っているんだから褒美は大事よ」

「……ありがとうございます!」

 珠は背伸びして、大河に接吻すると、明智光秀に見せに行く為に駆けて行く。

「義父上」

「おう」

 愛王丸に声を掛けられ、大河は振り向く。

「修行終わり?」

「はい。清滝きよたき(現・右京区)にて滝行をしてきました」

「お疲れ様」

「珠様には賞与を?」

「うん。愛王丸も欲しい?」

「聖職者ですので遠慮します」

 愛王丸はお辞儀した。

「ですが、喜捨きしゃは素晴らしいことです」

「そうかな?」

「はい。誰でもする行為ではありませんので」

 義父が権力にしがみつかず、率先して喜捨に励む姿は、非常に誇らしいものだ。

 大河の手を取り、再びお辞儀する。

「ありがとうございます」

「そうかな?」

「ほぇ!?」

 いきなり抱っこされ、愛王丸は驚く。

「したいのをしてるだけだから。他意は無いよ」

 そう言うと愛王丸に頬ずり。

「でも、息子に褒められるのは嬉しいよ。こっちもありがとう」

「……はい」

 恥ずかしそうに俯く愛王丸。

「引き続き仏道ぶつどうに励むことだ。頑張り。応援しているから」

「はい! 高僧になります!」

 宣言すると、愛王丸も頬ずりし返す。

 血縁関係は無い2人だが、傍から見ると実の父子並の仲の良さだろう。

(あわわわわ)

 偶然、その様子を見ていた小少将は、幸せで胸いっぱいだ。

 愛する者同士が仲良しなのは、非常に胸に来るものがある。

(貴方……息子は幸せ者ですよ)

 極楽浄土に居る朝倉義景に、胸の中で報告する小少将であった。 

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