第739話 心煩意乱

「若殿、北条高広きたじょうたかひろが挙兵の動きを見せているわ」

「永禄10(1567)年以来、14年ぶり3回目です」

 楠、風魔小太郎の説明を受けた大河は、

「……」

 珠が注いだ緑茶を飲みつつ、黙って聞いている。

 楠が続けた。

「高広は謙信を狙っているみたいよ」

「……何であいつなんだ?」

「多分、勝算じゃない? 貴方は強いけど、謙信は出産と育児で衰えている、と判断したんじゃない?」

「それは……妻への冒涜だな」

 大河は、珍しく怒りの感情を露わにした。

「若殿、どうします?」

「小太郎。そういうのは先手必勝だよ」

 肩を回しつつ大河は、膝で眠る姫路殿の髪の毛を撫で上げるのであった。


 謙信が酒豪、ということで高広は、酒瓶に毒を盛る計画を練っていた。

 近日行われる酒宴にて使用される葡萄酒ぶどうしゅに農薬を混ぜていく。

『器量・骨幹、人に倍して無双の勇士』(*1)と賞される高広だが、同時に何度も反乱を起こすように粗忽そこつな一面を持ち合わせている。

 主君が信長だったら粛清されていたかもしれない。

 それを謙信は武勇の長所を選んで何度も許したが、史実では彼の死後も上杉氏に迷惑をかけていることから「恩知らず」の表現が適当だろう。

 実際史実では、主君を変えながら生き延びた高広であるが、その後の詳細はあまり分かっておらず、子孫も苗字を変えざるを得なかったとされる。

 同じく沢山の主君に仕えた藤堂高虎は、江戸時代、外様ながらも藩主になるほど出世を果たした所を見ると、非常に好対照である。

「……」

 葡萄酒に毒を盛る所を、天井裏から小太郎が観察していた。

(あれは、殺虫剤か……)

 複数の酒瓶に入れている所を見るに、無差別殺人、あるいは食中毒事故に偽装カモフラージュしているのだろう。

 酒宴には大人数が参加する為、混乱に乗じて逃げることも考えているのかもしれない。

 もしくは、自分は軽い毒でも服用して苦しみ、容疑者から外れるか。

 兎にも角にも、有罪は確定だ。

「……」

 小太郎は写真機を取り出して撮影する。

 そして、盗撮するのであった。


 日ノ本は捜査の際、拷問も辞さない場合があるが、基本的には証拠第一主義だ。

 拷問による自白に頼り過ぎると、警察が暴走してしまいかねない。

 そこは法治国家なので、ある程度政府が操作コントロールしなければならないのである。

 証拠を集めた大河は、満足気だ。

「よくやった」

「はい♡」

 顎を撫でられた小太郎は、気持ちよさそうに目を細める。

 それから大河は楠を見た。

「楠、手始めにあいつの館を襲撃しろ」

「襲撃者は浪人に偽装した七本槍で?」

「そうだな。化粧は忘れずにな?」

「は」

 七本槍は有名の為、顔が知られている。

 その為、工作には化粧が必要不可欠だ。

 幸い山城真田家には、化粧に詳しい女性が揃っており、またかつらや人工皮膚を用いれば簡単に別人になれる。

 現代で言う所の「メイクアップ」の類だ。

 楠が敬礼して出て行った後、大河は小太郎を抱き締める。

「危険な任務だったろう?」

「いえいえ。主が配備してくれた稲様が近くに居た為、何とかなりました」

 大河は部下に対し、単独行動を禁じている。

 最低でも2人1組ツーマンセルだ。

 複数を強いるのは、万が一、工作員が死傷した場合、その遺体や救出が困難になるからである。

 工作員には当然、家族が居る為、殉職した時、遺体が無ければ遺族は絶望するだろう。

 その為の配慮なのである。

「危険手当だ。稲と一緒に明日は1日休みだよ」

「ありがとうございます♡」

 潜入など危険な工作に従事した工作員は、帰還して翌日は公休日となっている(長期の工作である場合、その潜入した期間分が公休日)。

 これに危険手当が上乗せされる為、まさに至れり尽くせりだろう。

「———主」

 小太郎はふと、ひざまく。

「うん?」

「今晩は久しぶりに激しく愛して下さい♡」

「……いつもじゃ生温なまぬるい?」

「頑張った御褒美ごほうびとして……♡」

「分かったよ」

 頷いた後、大河は襖を閉めた。


[参考文献・出典]

*1:北越軍談

*2:ウィキペディア

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