第740話 娘ノ焦燥、父之愛

 上杉謙信暗殺計画を練っていた北条高広は、酒宴開催の招待を京都新城に送る。

 ―——

謹啓きんけい

 盛夏の候 上様には益々ますますご清祥のこととお慶び申し上げます

 此度このたび、南蛮から新しい葡萄酒ぶどうしゅをご用意致しました。

 つきましては、日頃大恩ある上様に感謝の意を込めてささやかながら酒宴を催したく存じます。

 ご多用のところ恐れ入りますが、ぜひご出席賜りますようにお願い申し上げます。

                                  敬白


         万和6(1581)年7月15日

                     北条高広』

 ―——

 送付状込みで届いたそれに、謙信は苦笑い。

「この男は、粗忽そこつが過ぎるな」

 露見している可能性を考えずに、計画を進めるのは謙信の言うように「粗忽」であろう。

「貴方、出席は?」

「そりゃあさせないよ」

 綾御前を抱き締めつつ、累を肩車する大河は、答えた。

「ちちうえ、おさけのまない?」

「うん。不味いし臭いし体に悪いからね―――あ、でも、累が飲みたくなったら飲んでいいけどね。元服後だけど」

「……う~ん」

 累は、微妙な反応を示しつつも大河の顔をベタベタ。

 酒好きの母親・謙信の手前、反応に困っているようだ。

「貴方、累に変なこと吹き込まないの」

 謙信が累を抱き上げて、大河から引きはがず。

「あ……」

 大河に手を伸ばすも、もう届かない。

「ちちうえ……」

「あら、累。今日は、父上の気分?」

「うん……ははうえ、ごめん」

「良いのよ。じゃあ、貴方」

「はいよ」

 大河が手を伸ばし、抱きとめると、

「えへへへ♡ ちちうえ♡」

 累は、大河に頬ずり。

「綾、済まんが電気を」

「はい♡」

 綾御前は立ち上がって、電気を消す。

 今晩は大河が上杉氏と過ごす夜なので、他家の邪魔は入らない。

 累は笑顔で仰向けになった大河の胸板に頭を預ける。

 その間、謙信と綾御前は、左右から夫を挟み撃ち。

 川の字になった彼らは、その夜、遅くまで家族の時間を過ごすのであった。


 翌日。

「……」

 目覚めた累は、目を擦りつつ父親を捜す。

 夢の中でも遊んだ大好きな人だ。

 布団には、実母・謙信と伯母おば・綾御前のみ。

「「zz……」」

 2人は大河を模した等身大抱き枕を抱き締めつつ、まだまだ深い眠りである。

「……」

 2人を起こさないように累は、抜き足差し足忍び足で部屋を出ていく。

 廊下に出ると、まだ外は薄明るい。

 時計を見ていない為、正確な時間が分からないが、体感的には寅の刻(現・午前4時)辺りだろうか。

「……」

 累も眠いが、それよりも父親に会いたい度が勝る。

 大河を探しつつ、廊下を歩いていると、

「あ、累様?」

 当直中の甲斐姫とバッタリ。

い~。ちちうえ、しらない?」

「若殿ですか? 見ていないですね。厠でしょうか?」

 甲斐姫が厠の方を見た時、扉が開き、丁度大河が出てくる所であった。

「お、可い。お早う」

「若殿、お早うございます。累さまが―――」

「ちちうえ♡」

 満面の笑みで駆け出し、大河の胸に飛び込む。

「おいおい、寅の刻なのに元気だな?」

「ちちうえがいなかったからしんぱいだった♡」

「ああ、ごめんね。厠済んだらすぐ戻る予定だったんだよ」

 累の頭を撫でつつ、大河は甲斐姫に目配せ。

『もう大丈夫だからお休み』

『はい』

 甲斐姫も視線で返し、宿直室に戻っていく。

「累、皆寝てるから廊下を走る時は静かにね?」

「あ、ごめん」

 しゅんとしょげる。

 素直な所は、非常に子供らしい。

 大河は累を抱っこする。

「ちちうえ、ねむい……」

「寅の刻だからね」

 大河は、愛娘を優しく抱きしめる。

「ちちうえ♡」

 父の大きな愛に包み込まれた累は、笑顔で目を閉じるのであった。

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