第706話 百姓昭明

 浅野長政罷免の報せに、山城真田派は更に引き締まる。

 罷免の原因が酒だったことから、派閥内では禁酒や断酒の空気が強化されつつあった。

「……」

 謙信は、城内に運ばれてくる酒瓶の減少に不満げだ。

「貴方、禁酒法を家訓に加えたの?」

「全然。そんなのしてないよ」

 心愛を抱っこしつつ、大河は答えた。

「でも、先月より減ってるけど?」

「そりゃあ家臣団に今、『健康第一』が合言葉になっているからな。それで節制しているんじゃないかな?」

「お酒~」

 大きな酒瓶を抱え、謙信は川に浮いた丸太のように回転する。

「おちゃけ?」

 心愛が興味を示した。

「おいちい?」

「苦い、臭い、体に悪い」

「!」

 謙信が飛び起きた。

「お酒、全否定するの?」

「いや、事実じゃん」

「子供に刷り込んじゃ駄目だよ。お酒は薬でもあるんだから」

 ことわざの『酒は百薬の長』を引き合いに、謙信は酒を擁護する。

「飲み方と量に気を付ければ否定しないよ」

 言い合いになりそうな所だが、それ以上は激化しない。

 お互いの意見は尊重する―――それが、夫婦間の取り決めだからだ。

 大河が家訓に禁酒法を導入しないのも、その為である。

 綾御前が酒の匂いに釣られてやってきた。

「洋酒ね? あら少ない。来月、多めに注文しようかしら?」

「飲み切ったら次を注文したらいい」

 隣に座った綾御前を抱き寄せて、その腰を抱く。

「あら? 誘ってくれるの?」

「そうだよ」

 謙信に見せ付けるように、綾御前と接吻する。

「何? 姉妹喧嘩させたいの?」

「そうだな」

「最低」

 侮蔑ぶべつの視線を送った後、謙信は立ち上がって綾御前とは反対側の位置に座る。

 上杉氏に左右を挟まれた大河は若干の恐怖心を覚え、心愛を抱き締める。

「えへへへ♡」

 心愛は安心し、大河に頬ずり。

 子供が前に居る以上、襲うのは教育上、好ましくない。

 しかし、一度火が付いた欲望は、簡単には鎮まらない。

「「……」」

 姉妹は、心愛に気付かないように、大河の背中をベタベタと触るのであった。


 万和6(1581)年5月下旬。

 空き時間には必ず妻子に交流することを努めている大河は、言わずもがな連れ子や養子とも仲が良い。

「愛王丸、これってこういう意味か?」

「少し違いますね。経典では―――」

 今日、行っているのは『仏教教室』だ。

 政教分離の原則から特定の宗教から距離を置いている大河だが、無神論者という訳ではない。

 部屋には神棚があるし、先祖供養の為の仏壇もある。

 その上、本棚には仏典や聖典、旧約聖書や新約聖書まである。

 私的プライベートおおやけを分けているだけなのだ。

「相変わらず、勉強熱心ですね? 義父上ちちうえは」

 同席する井伊直政は、感心しきりだ。

 権力者でありながら、勉学を惜しまない。

 その姿勢は好ましく、血の繋がりは無くても尊敬しかない

「勉強熱心という訳ではないよ。興味があるのを学んでいるだけだから」

「そうですか?」

 謙遜する所も、直政の心を掴んでいく。

 純粋に大河に人が集まるのは、無欲だからであろう。

 よこしまな権力者だと、その周囲の人間も同類項が集まり腐敗構造が作られやすいのだが、一切邪心が無い大河には、同じようなこころざしの者が集まりやすい。

 否、邪心を持っていても、主君の無欲さに徐々に心が浄化されていくのだろうか。

 にもかくにも、直政は心底しんそこ大河に心酔しつつあった。

「おっともうこんな時間だな。愛王丸」

「え? こんなに下さるんですか?」

「本職の授業だ。労働の対価だよ」

「聖職者は労働者ではありませんが?」

「でも、知識を分け与え時間を割いたんだ。不要なら寄付や寄進きしんに回せばいい」

「……ありがとうございます」

 現代の価値に換算して、約10万円もの報酬を貰った愛王丸は、平服する。

 1刻(現・2時間)でこの報酬はぼろ儲けだが、無収入の愛王丸にはありがたいう話だ。

 僧階そうかいは宗派によって異なる為、一概に同一視出来ないのだが、一般的には、以下のように大別されている(*1)。

 ―――

 1級:大僧正だいそうじょう

 2級:権大僧正ごんのだいしょうじょう

 3級:中僧正ちゅうそうじょう

 4級:権中僧正ごんのちゅうそうぞう

 5級:少僧正しょうそうぞう

 6級:権少僧正ごんのしょうじょう(真言宗:大卒)

 7級:大僧都だいそうづ(同上:大学院卒)

 8級:権大僧都ごんだいそうづ

 9級:中僧都ちゅうそうづ

 10級:権中僧都(ごんちゅうそうづ》

 11級:少僧都ごんちゅうそうづ

 12級:権少僧都しょうそうず(同:高卒、専修学院卒)

 13級:大律師しょうそうづ

 14級:律師りっし

 15級:権律師ごんりっし

 16級:教師試補

 ―――(*1)

 昇進する方法は、

①修行年数とその修行内容

②学歴によってスタート地点の僧階が違う

 例:日蓮宗・立正大学仏教学部宗学科大学院修了→高位「僧都」から僧侶に

 となっている為、僧侶を志す際には、事前に調べる必要がある(*1)。

 余談だが、これほどの大金を子供に渡すのは、贈与税の問題が出てくる訳だが、1年間に110万円を超えた場合、その可能性が出てくる(※子供の食費や家賃、教育費等を賄う為の仕送りは、贈与税の対象外 *2)

 その為、現時点の金額では何ら問題ない。

 権力者になればなるほど、足取あしとりの被害にう可能性が高まる為、こういうことは気を付けているのが、大河という男だ。

 後日、愛王丸は受け取った10万円の内、半分は貯金し、残り半分は世話になったお寺に寄進きしんするのであった。


[参考文献・出典]

*1:キャリアガーデン HP 2022年1月14日

*2:相続財産センター ビスカス公式サイト 2008年3月4日

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