第674話 寵愛一身

 大河に育児放棄、という方針は最初から存在しない。

 連れ子だろうが、養子だろうが、子供は子供だ。

 万和6(1581)年4月20日。

 今日は、娘夫婦であるめご姫、伊達政宗。

 その2人と愛王丸(連れ子)、実子の累と共に過ごす。

「ちちうえ」

「おー、上手く出来たな? 将来は、狩野派かな?」

 ピカソの『泣く女』並の個性溢れる肖像画だが、大河は激賞する。

 累が作った肖像画を額縁に飾り、彼女の頭をクシャクシャになるまで撫でる。

「いたいよ」

 嫌がる累だが、離れない。

 愛する父親に褒められて、嬉しくない子供は居ないだろう。

 累を抱っこしつつ愛姫が作った、ずんだ餅を食べる。

「愛、美味しいよ。ありがとう」

「父上用に甘さ控えめなんだよ」

 愛姫は胸を張った。

 政宗も食す。

「うん。美味しいよ。ありがとう」

「政宗様と父上の嗜好は似てる?」

「かもな」

 大河が肯定すると、政宗は笑顔を見せる。

 母・義姫は、不仲(現在は修復)で、父・輝宗とは戦国時代だった分、あまり父子らしい交流は出来なかった。

 その時間を取り戻すかの如く、大河との交流は積極的だ。

 愛妻の養父、ということで敬意を表さないといけない分もあるが。

「近衛大将と嗜好が似ているのは、嬉しいです」

「こっちも嬉しいよ。同じ”独眼竜”だしな?」

「……」

 政宗は、益々微笑んだ。

「失礼します」

 照れ隠しに台所に逃げ込み、ずんだ餅を作り出す。

 そのやり取りを見ていた愛王丸は、笑顔で言う。

義父上ちちうえはまるで仏様ですね? 怒ることはないんですか?」

「怒る時は怒るよ。怠慢たいまんな時とかはな?」

「きゃ♡」

 近くで見ていた小少将は、抱き寄せられて赤くなる。

 息子の前なのだが、当の愛王丸は、もう慣れた感じで苦笑いを浮かべるくらいだ。

 小少将を抱き締めつつ、大河は尋ねる。

「寺の方は順調?」

「はい。義父上の御蔭で沢山の宗派を学ぶことが出来ました」

「それは良かった。将来は曹洞宗? それとも他へ?」

「曹洞宗ですね。我が家の伝統ですので」

「分かった」

 時間とお金をかけて沢山の宗派を学んだが、愛王丸は宗旨替しゅうしがえする事は無かった。

 それは広義では、「色々、便宜べんぎを図った大河に対する無礼」とも解釈出来るが、愛王丸は、毅然とした態度で臨む。

「自分の為に学費と貴重な御時間を下さりありがとうございます。ですが、熟考した上で決めたことですので、申し訳ないです」

「謝るなよ。怒らないから」

 小少将を強く抱擁しつつ、大河は続ける。

「子供の選んだ道を応援するのが親の役目だ。どんな道を行っても良いよ」

「……はい」

 阿国が巫女の仕事を辞め、踊り子に転職しても怒らないくらい自由主義リベラルな大河だ。

 極論、愛王丸が還俗げんぞくしても何も言わないかもしれない。

「あ、そうだ。愛王丸に言い忘れたことがあった」

「はい?」

「愛王丸の時機に任せるが、我が家の菩提寺ぼだいじを造って欲しい」

「「「!」」」

 寝耳に水なことに言われた愛王丸や話を聞いていた小少将、愛姫は目を剥く。

 唯一、幼い累は分かっていないようで、

「?」

 首を傾げているばかりだ。

「えっと……何故です?」

 特定の宗教や宗派との密接な交流を控えている大河が、態々わざわざ、菩提寺を望むのは、異例のことだ。

「我が家は知っての通り、多宗教だ。仏教徒も居れば切支丹も居る。そういう人の為にも必要かな、と」

「……松様が責任者の今在る寺では駄目なんですか?」

「あの寺でも良いけど、あれは、地域住民が檀家だからな。家族用のが別に欲しいんだよ。気軽に参拝出来るようにな?」

「なるほど」

 松姫の寺を菩提寺にすると、地域住民が山城真田家に気を遣って気軽に来れない可能性がある。

 参拝中に朝顔や大河と会うと、緊張して参拝どころでは無くなるからだ。

 大河の意見に、愛王丸は首肯する。

「ということは、切支丹用に教会、猶太ゆだや教徒用に聖堂しなごーぐをお作りに?」

「まぁな。流石に城内には作らないから、何処かの土地を買った上で造るけどな」

「……分かりました」

 期待を感じ、愛王丸は嬉しくなる。

 曹洞宗の僧階そうかいは、

大教正だいきょうせい

②権大教正

③大教師

④権大教師

⑤正教師

⑥一等教師

⑦二等教師

⑧三等教師

 となっている(*1)のだが、新米の愛王丸はまだ⑧にもなっていない。

 そんな未熟者にこれほど期待してくれるのは、ありがたいことだ。

 然も、丸投げではなく「自分の時機に任す」と逃げ道も作っている。

「大教正になれるように、これからも精進していきます」

「人生は長い。焦らずゆっくりな?」

「はい」

 優し過ぎる大河に、愛王丸は安心して平服するのであった。


 その夜、小少将は大河の寝室に居た。

 今晩は珍しく夫を独占出来ている貴重な夜だ。

 大河の腕を枕にし、彼の頬に接吻した。

「愛王丸を優遇して下さりありがとうございます♡」

「優遇はしていないよ。としての教えだ」

「それが出来ない父親も居るんですよ―――あ、前夫のことではありませんからね」

 朝倉義景とその妻子との関係は、不幸なものであった。

 ―――

①正室の難産死(*2)

 天文17(1548)年、細川晴元の娘と結婚。

 正室は女児を出産した直後に死去。

②不妊(*2)

 近衛稙家このえたねいえ(1502/1503~1566)の娘・ひ文字姫を後妻に。

 後妻は、『容色無双ニシテ妖桃ノ春ノ園ニ綻ル装イ深メ、垂柳ノ風ヲ含メル御形』(*3)と評された美女だったが、子が出来ず、離縁。

③妻子のほぼ同時の死(*2)

 ひ文字姫と離縁後、義景は朝倉氏の重臣の娘を寵愛。

 永禄4(1561)年、娘は長男・阿君丸を出産するも、後、病死。

 頼みの綱の阿君丸も永禄11(1568)年に早世(毒殺説あり。*4)。

 ―――

 これほど妻子に不幸が続き、更にはこの間、家臣の離反なども起きた。

 これらが積み重なった結果、義景は、まつりごとよりも趣味の文化に傾くのは分からないではないだろう。

 最後の妻・小少将を迎えた後、酒池肉林に溺れたのもこれら背景にあるだろう。

 ―――

『此女房(小少将)紅顔翠戴人の目を迷すのみに非ず、巧言令色人心を悦ばしめしかば、義景寵愛斜ならず』(*2)

『昼夜宴をなし、横笛、太鼓、舞を業とし永夜を短しとす。

 秦の始皇、唐の玄宗の驕りもこれに過ぎず』(*2)

 ―――

 とき下ろされ、姉川合戦中も一乗谷に引き籠り小少将を寵愛し続けたのも家長として問題あるが、1人の人間として見れば、現代人の感覚に通ずるものがあるかもしれない。

 小少将を抱き寄せては、

「義景殿の教育方針は?」

「私を愛していました。子供の方は、乳母に任せっきりでしたね―――」

「じゃあ、俺は2人を愛そう」

(やば)

 そこで小少将は後悔するも、時すでに遅し。

 大河の嫉妬心に火が付き、小少将は体中をベタベタ触られる。

(この人に前夫の話を禁句だったんだった)

 義景に大分だいぶ愛されたが、大河はそれを上回るほどの激しさだ。

(前夫の分も生きよう)

 大河の愛に溺れつつ、小少将はそう深く誓うのであった。


[参考文献・出典]

*1:『図解初めての禅』 編著・ひろさちや 主婦と生活社 1989年

*2:ウィキペディア

*3:『朝倉始末記』

*4:『朝倉義景』 水藤真 吉川弘文館 1981年

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