第634話 襲来、木花之佐久夜毘売

 万和6(1581)年1月30日。

 この日は、朝から豪雨であった。

 ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド……

 まるで機関銃でも撃ち鳴らされた様な、音が早朝から鳴り響く。

「真田……」

「ああ、この雨だから今日は、皇居に行かない方が良いよ」

「……分かった」

 朝顔は、まだ眠たいらしく、再び毛布を被る。

 普段なら早朝、誾千代の下へ行く大河だが、妊娠が発覚して以降は、自重し、部屋を離れる事は少なくなった。

(朝ぶろでも浸かろうかな)

 そう思って立ち上がった時、

「この馬鹿者ばかもんがぁああああああああああああああああああああ!」

 硝子を蹴破った何かが、大河に飛び蹴りを見舞う。

 が、寸前で見極め、大河は、上体を後方に反らせ、腰を曲げてヨガの一種であるブリッジを作り、かわす。

「よっと」

 腰に手を当てつつ、起き上がると、何かは、壁に突き刺さっていた。

 何かはスライム状になって、壁から出てくる。

 スライムは、人型になると、大河を睨みつけた。

「……義父上ちちうえ?」

「貴様を息子に認めた事は無い」

 林檎の様に顔を真っ赤にしたのは、鞍馬天狗であった。

 魔力を使い、壊れた窓や壁を修復していく。

 朝顔が一向に起きる気配が無いのもその為だろう。

「貴様、我が愛娘をはらませおって。この大馬鹿者が」

 鞍馬天狗の手中が光り輝く。

 魔力を高めている様だ。

「合意の上ですけど?」

「当たり前じゃ。ボケ。性犯罪だと、貴様は、木っ端微塵で魚の餌にしている所だ!」

「では、どうしろと?」

「離縁だ! 今すぐ離縁しろ! さもなくば、命までは許す!」

「子供は?」

「折角授かった命だ! 儂が育てる!」

 そこは、ちゃんと理解している様だ。

 鞍馬天狗は、手のひらをこちらの方に向けて、後は放出するだけの体勢になる。

「愛が深いですね?」

「貴様が妻に対する愛と同じだよ。儂の場合は、それよりも深いがな?」

「いえ、橋は心底愛しています」

「名前で呼ぶな! この恥さらしだ!」

 授かり婚で娘の彼氏に散弾銃を突きつけるアメリカ人の父親の様な迫力だ。

 感情が最高点に達したのか、鞍馬天狗は、遂に魔力を放出した。

「死ねええええええええええええええええええええええええええ!」

 魔貫〇殺砲の様に光が解き放たれ、それは一筋の光となり、大河目掛けて飛ぶ。

 熱を感じ、大河は死を覚悟した。

(鞍馬天狗には敵わない、か……)

「戦いなさいよ」

 バニラの様な甘い香りがした。

 と、同時に目の前に現れたのは、長い黒髪の色白な美人であった。

 天女が着る様な羽衣を着て、そのオーラは、凄まじい。

 生きとし生ける者、全てを大きな愛で包み込む様な包容力が感じられる。

 彼女は、魔力を全身で受け止めると、そのまま取り込む。

「う!」

 異常事態に気付いた鞍馬天狗が放出を止めると、美人は、自身のお腹を叩いた。

「御馳走様、鞍馬天狗さん♡」

 そして、勝利のVサインをするのであった。


 侵入者の正体は、木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめであった。

 鞍馬天狗の魔力を全て吸収するのは、流石、神様であろう。

「……」

 呆然とする鞍馬天狗を他所よそに、木花之佐久夜毘売は振り返る。

「それで貴方が、橋の御婿おむこさんね?」

「は、はい……」

「遠目で見ていたが、案外、おとこらしいわね。もう少し、少年かと思っていたわ」

 じーっと、木花之佐久夜毘売は、大河を凝視する。

 その視線は、眼帯に注がれている。

「……治せるけど、如何どう?」

「随分と好意的ですね?」

「あの超嫉妬深い橋を骨抜きにしたんだから、そりゃあ世話を焼きたくもなるよ」

 笑顔で木花之佐久夜毘売は、大河の肩に腕を回す。

 甘い匂いが鼻を突くも、嫌悪感は無い。

「……ん?」

「何?」

「あの初対面で申し上げ難いのですが、この匂いは、若しかして……?」

「一目で分かるのは、流石ね?」

 ケラケラと、笑う。

 木花之佐久夜毘売は、等の女神。

 それとこの匂いを計算すれば、おのずと分かるだろう。

「このお乳で私は、3人の息子を育てたよの」


 その後、鞍馬天狗は、木花之佐久夜毘売に有難い(?)説教を受けた後、首根っこを掴まれた。

 因みに、大河も800万位kgの握力で捕まり、逃げ出す事は出来ない。

 これ程の握力にも関わらず、大河のてのひらが潰れないのは、木花之佐久夜毘売の魔力による保護が理由だ。

 2人は、木花之佐久夜毘売と共に橋姫の入る部屋へ向かう。

「あ……」

 他の3人は、先程の朝顔の様に就寝中だ。

 そんな中で橋姫は、孤独感にさいなまれていたのか、寝台の上で体育座りになっていた。

 大河を見て笑顔になり、鞍馬天狗には舌打ちを。

 そして、木花之佐久夜毘売には、驚愕の色で出迎える。

「あ、貴女が原因なの?」

「違うわよ。鞍馬天狗が、貴女の夫を殺そうとしていたから止めに来たのよ―――」

「! お父さん!」

「いや、違うんだ! これは―――」

「帰って!」

「いや―――」

「帰れ!」

「……!」

 物凄い怒気に圧倒され、鞍馬天狗は退散するしかない。

 娘を想ってカチコミに来た訳だが、当の娘からは嫌われる始末。

(累が心愛が嫁入りした時、切腹するかも……)

 未来を想像し、大河は吐き気を催した。

「御免ね。うちの父親が。怪我は無い?」

「ああ、見ての通りだよ」

 木花之佐久夜毘売は、大河を解放すると、橋姫が抱き着く。

「おっと、子供が―――」

「あ、うん。御免」

 急な動きは、お腹にどんな影響をもたらすか分からない。

 青褪めた橋姫は、すぐに自分のお腹を見た。

「全く。世話が焼けるね」

 木花之佐久夜毘売が、魔力でる。

「……うん。大丈夫よ」

「本当?」

「折角、授かったんだからもう少し、子供の事を考えて動きなさい」

 3人の神様を育てた女神の言葉は、重い。

「御免……」

「じゃなきゃ、この人、貰っちゃうよ?」

「! それは駄目!」

 慌てて、大河を抱き寄せる。

 そして、木花之佐久夜毘売に向かって犬歯を見せた。

瓊瓊杵尊ににぎのみこと様に怒られちゃうよ」

「あ、良いのよ。火中出産の時の借りがあるから」

 どうやら瓊瓊杵尊と木花之佐久夜毘売の夫婦のパワーバランスは、妻側にある様だ。

「嫉妬する橋、可愛い♡」

 頬をプニプニする木花之佐久夜毘売。

 会話や行動から察するに、相当、橋姫と仲が良い様だ。

「妊娠祝いで来てくれたんでしょ? 意地悪しないでよ」

「だってねぇ。橋が可愛いから♡」

 ギューッと、木花之佐久夜毘売は、抱き締める。

 無論、腹部には、気を遣った上でだ。

「天上界でも、あなた達夫婦の話は、有名よ。天照大御神様も、御注目されてるよ」

「マジですか?」

「マジマジ、マジまんじ

 言葉遣いが、若い。

 御堅い言葉を話される心象があったが、人々の心象と実際にはかなりの違いがあるのかもしれない。

 現代に伝わる宗教書も、伝承者や信者の解釈によっては、原義とかけ離れた意味になっている可能性も十分にあり得るだろう。

「真田」

「はい?」

「橋を幸せにしてくれて、有難うね。この子は、ちょっとばかし重いけど、根は良い子だから」

 鬼女きじょの嫉妬深さを「ちょっとばかし重い」と表現する辺り、木花之佐久夜毘売は、人間とはかけ離れた感覚なのだろう。

「これからも優しくしてあげてね?」

「は、はい」

 木花之佐久夜毘売は、大河も抱き締める。

 大きな包容力で、包み込む。

(愛……か)

 宗教は違うのだが、アガペーを感じ、大河は、その甘い香りと感触を堪能するのであった。

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