第626話 冬夏青青

 雪に子供たちのテンションは高い。

「やぱあああああああああああああああああああああああああ!」

 与免は、雪が積もった場所にダイブ。

 そして、ゴロゴロと回転する。

「危ないよ」

 大河がひょいっと担ぎ上げる。

 既に与免の顔中は、泥だらけだ。

「あ~あ。お風呂行きだな。伊万」

「は。与免様―――」

「え~。もうちょっと遊びたい―――」

「泥の中には、馬糞もあるかもよ」

「! ばっちぃ!」

 一気に不快感に襲われ、与免は、頭を振るう。

「与免様、こちらへ」

 伊万が、彼女の手を握り、大浴場に向かうのであった。


 彼らが居るのは、日光湯元温泉だ。

 イギリス人紀行作家、イザベラ・バード(1831~1904)は、湯元を次の様につづっている。

 ―――

『【1878年6月22日】

 辛い1日の旅行を終わって、美しい宿屋に着いた。

 この宿屋は、内も外も美しい。

 旅行で汚れた人間よりも、美しい妖精が泊まるに相応しい。

 襖はなめらかに削った軽い板で、良い香りがする。

 畳は殆ど真っ白で、縁側は光沢のある松材である。

 少女が部屋に入ってきて、微笑しながらお茶を持ってきた。

 すももの花が入ったお茶で、アーモンドの様な良い香りがした。


 この美しい村は、湖と山の間に挟まれて、殆ど余地が無い程である。

 ここは小綺麗な家が次々と上下に続き、削ったばかりの赤みがかった杉材で造られている。

 ここでは冬に10フィートも雪が積もり、10月10日になると、人々はその美しい家を粗いむしろで包む。

 そして屋根までも包んでしまう。

 それから5月10日まで、低い地方に下りている。

 留守番を1人残す。

 彼は週に一度交替となる。


 ここは人がいっぱいで、四つの浴場は人ごみであった。

 元気のよい病人は1日に12回も入湯する。


 湖には屋形船が一隻あり、数人の芸者が三味線をひいていた。

 然し賭け事は禁止されているから、浴場以外に人々の出かける所は無い。


 湯の出る所は村の先で、塚の中の四角な槽の中である。

 非常に勢いよく沸騰し、悪臭の煙を出している。

 それには所々に広い板が渡してあり、リューマチに悩む人々は、何時間もその上に横になり、硫黄の蒸気を身体にあてる。

 この湯の温度は華氏130度(=54・4度)であるが、湯が村まで蓋の無い木の樋に沿ってゆくと、ただの84度(=摂氏28・9度)となる。

 湯元は4千ft(=1219・2m)以上の高さにあり、非常に寒い』(*1)

 ―――

 史実の明治時代でこれほどの活況振りなのだから、改変された安土桃山時代では、更に大盛況だ。

 23軒ある温泉宿は、全て満席。

 今回、山城真田家一行が泊まるのは、猪倉城いのくらじょう

 観音寺山(標高420m)に築かれた山城であり、史実では、天正4(1576)年、戦で落城し、21世紀現在は、日光市指定の史跡の登山道として残っている(*2)。

 この異世界では、天正3(1575)年に、帝・朝顔の勅令の下、惣無事令(史実では1585年。命令者は、豊臣秀吉)が施行された為、この山城は、無事であった。

 江戸城で暫く過ごした後、日光東照宮に向かった道中、この城に立ち寄り休憩しているのだが、如何せん大雪で立ち往生してしまった訳である。

 与免が暇を持て余して、雪で遊ぶのも分からなくはない。

 饗応役きょうおうやくとして、付いてきた徳川家康、真田昌幸、成田氏長の3人は、大慌てで天気を確認している。

「いつ、雪は、止まる?」

「気象庁の予想では、昼前くらいかと」

「山の天気は、変わりやすいですから直ぐに動くのは、危険では?」

 家康、昌幸、氏長のそれぞれのげん

 豪雪、というほどでは無いのだが、それでも軽視して登山すれば、道中で雪崩に遭う可能性もある。

 上皇が災害に遭えば、改易処分だけでなく、一族郎党、斬首刑になりかねない。

 氏長の娘、甲斐姫は、大河を見た。

 近衛大将である彼が、今回の旅の総責任者だ。

 上杉謙信を抱擁しつつ、地図を眺めていた。

「……今夜は、ここで宿泊かな」

「「「!」」」

 3人が振り返った。

 日程がギチギチに詰まっている以上、この判断は、余り好ましくないものだ。

 然し、決定した大河は、指示を出す。

「鶫、小太郎、従者に伝えて宿泊の準備を」

「「「は」」」

「綾、直虎は、陛下にご説明を頼む」

「「は」」

 鶫、小太郎は、従者の下へ。

 綾御前、井伊直虎は、朝顔の部屋に其々それぞれ向かう。

「婿殿。いいのか?」

内府様ないふさま、日程が詰まっているのは、わかりますが、強行すれば事故に繋がりかねません」

 大河が考えていたのは、JR福知山線脱線事故(2005年4月25日)のことであった。

 遅延を取り戻そうとした運転手は、速度超過を行い、脱線。

 その結果、死者107人、という未曽有の大事故となった。

 今回も強行すれば、この様に何処かで事故になる可能性がある。

「……婿殿の御指示に従います」

 家康はそう言い、2人を従えて平伏す。

 平身低頭に度が過ぎる感じも否めないが、それでも、3人は娘たちの妻である大河には、逆らうことは出来ない。

 謙信が囁く。

「このまま独立宣言したら?」

「平将門みたいに?」

 上皇を妻とした男が、京から離れた関東の地で平将門以来の独立宣言を行う物語は、悪役として映えるだろう。

 然し、大河は、その気はない。

「……若しかして酔ってる?」

「酔ってるよ。貴方に」

 移動の際、立ち寄った道の駅で地酒を試飲した結果の様だ。

 上機嫌で謙信は、大河を抱擁しては離さない。

 酒量を減らした分、少量でも悪酔いする様な体質になってしまった様だ。

「稲。済まんが、部屋で準備してくれ」

「は」

 稲姫が首肯して出ていく。

い」

「は」

 甲斐姫も指名され、立ち上がる。

 父親の前で夜伽よとぎに指名されるのは、恥ずかしい事だが、後継者を生む為には、恥ずかしさは二の次だ。

「……」

 氏長は、複雑そうな表情で愛娘を見送る。

 暫くすると、大河の部屋から3種類の嬌声が壁越しに聞こえてくるのであった。


「「「♡」」」

 布団の上で謙信、稲姫、甲斐姫は、息を切らせて立ち上がれない。

「お休み」

 その額に接吻した後、大河は、猪倉城の天守に登る。

 そこで朝顔と立花誾千代、お市が待っていた。

「……真田?」

「来たよ」

「遅い……」

 待ち草臥くたびれたのか、朝顔は、大河を睨んだ後、膝に乗る。

 そして、そのまま目を閉じた。

「?」

 お市が耳打ちする。

「(折角、時間が出来たから、その空き時間を利用し、貴方と過ごすのを想定されていたのよ)」

「(……悪いことしたな)」

 綾御前等に頼んだ後、謙信等の相手をしていた為、朝顔と過ごす事は出来なかった。

「……」

 不貞寝する朝顔の頬を撫でつつ、大河は囁く。

「(済まん)」

 直後、強く抱き締める。

「あ―――」

 朝顔から声が漏れずが、大河は構わない。

 片手で抱擁しつつ、もう片方の手は、誾千代に。

「何?」

「いや、手握りたいなと」

「甘えん坊の若大将ね♡」

 朝顔の前で緊張していたが、夫の子供じみた行動に誾千代は、微笑む。

 そして握り返し、その愛に答えるのであった。


[参考文献・出典]

*1:イザベラ・バード 訳・高梨謙吉『日本奥地紀行』 平凡社 一部改定

*2:城郭放浪記 HP

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