第557話 栄諧伉儷

「zzz……」

 昼寝に入った朝顔を、大河は膝に乗せていた。

 学校は夏休みだが、国家公務員に夏休みは無い。

 消化義務の特別休暇が3日間、付与されるだけだ。

 消化出来る様になるのは、来月、8月以降。

 以前の様に、有給休暇を合わせて消化するのも良いが、朝顔は、出来るだけ職務を全うしようと頑張っている。

 その為、時機タイミング的に大河は、提案し難かった。

「……お疲れ様」

 愛妻の頬を撫でつつ、ろうねぎらう。

 阿国が背後から呟く。

「真田様」

「ん?」

「最近、寂しいです。小少将様を御優先されるのは分かりますが」

「……済まん」

 ねた阿国の頬を指でつつく。

「もう……です」

 拗ねたままで阿国は、抱き着く。

 そして、肩甲骨の辺りで頬擦り。

 犬が行うマーキングの様に、自分の感触を覚えさせ様としている。

「……真田様」

「うん?」

「傷が癒えたら、又、私の舞踏を見て頂きたいのですが?」

「良いよ」

「本当ですか? 有難―――」

「但し、無理はするな。それが条件だ」

「……はい」

 舞踏が楽し過ぎて、怪我をしても止めない阿国は、一種の中毒者であろう。

「俺はね。愛妻が傷付くのは嫌なんだよ」

「……はい♡」

 直球な表現に阿国は、笑顔になる。

「だから、次、無理をしたら座長を解雇だ」

「……はい」

 厳しい通告だが、歌劇団の谷町は大河である。

 基本的に『金は出すが、口は出さない』ので、現場は非常にやり易いのだが、介入する時点で、相当、問題視している事が分かるだろう。

「……真田様~」

 隣室で寝ていた伊万が、目をこすって、起きて来た。

「お腹空いた~」

「分かった。じゃあ、おつ、食べる?」

「!」

 伊万の隣で寝ていた摩阿姫が飛び起きた。

「お八つ!」

 叫び声に朝顔が目覚める。

「もう、何なの?」

「済まんな。起こして」

「貴方の所為?」

「ああ」

 原因は、摩阿姫にあるのだが、大河は何も言わず自分の責任にする。

「……そう」

 違和感を覚えた朝顔だが、それ以上は指摘しない。

 大河に抱き着き、見上げた。

「お八つ、私も」

「分かったよ」

 冷蔵庫から八つ橋を出し、4人は、仲良く食べるのであった。


 8月に入ると、雨も増えてくる。

 今夏は梅雨が遅めな様で、又、台風の時期と重なり、雨は長く激しい。

 ドーン!

 京都新城の避雷針に雷が直撃する。

 そして停電するも、補助電源がある為、直ぐに復旧する。

・皇居

・二条城

・軍事施設

・医療施設

 等は、補助電源があるのだが、京都新城は、第2の皇居であり、軍事施設でもある為、備え付けられているのだ。

「……」

 深夜、縁側から、与免は落雷を見ていた。

 あれだけの轟音だ。

 眠れる訳が無い。

「「……」」

 摩阿姫、豪姫は、抱き寄せ合って震えていた。

 盗られる様に、へそを隠す事も忘れない。

 実家では、こういう時、利家や芳春院がなだめていたが、当然、ここには居ない。

 暫くすると、廊下の向こう側に提灯を照らした女性が歩いていた。

「……もしもし?」

 女性は、与免に声をかける。

「? ! まつさま?」

「眠れませんか?」

「うん……」

 松姫は、微笑んで、

「では、今から天守に上がります故、一緒に如何ですか?」

「てんしゅに?」

「はい」

 避難場所は別にあるのだが、女性陣は、こういう場合、大河の部屋に避難する事が多い。

「さなださま、いる?」

「居ますとも」

「じゃあいく!」

 一瞬にして上機嫌になった与免は、襖を開けて、叫んだ。

「まーねえさま、ごーねえさま、てんしゅいこ!」

 末妹の明るさと希望の光に2人の姉は、安堵したのであった。


 天守に上がると、既に大勢の女性や子供が集まっていた。

 日本狼のガブも居る。

 アニマルセラピーという事で、大河が態々わざわざ最下階さいかかいの小屋から連れて来たのだろう。

「がぶがぶ♡」

「えへへへへへ♡」

 ガブに頬を舐められ、お江は、嬉しそうだ。

「真田様、夜分遅くに失礼致します」

「おお、松も来たのか。御出で」

「はい♡」

 松姫は、三姉妹を連れて、大河の隣に座る。

 三姉妹は、大河に抱き着くと、膝の上を占領した。

「皆も眠れなかった?」

「うん。今日はここで寝る。にぃにぃも眠れない?」

「そうだよ」

 明らかに寝起きの顔だが、眠気を一切見せないのは、流石だろう。

「じゃあ、いっしょだね?」

「そうだな」

 与免は、「いいこ。いいこ」と大河の頭を撫でる。

 何が良いのか分からないが、大河は、受け入れるがままだ。

「ねぇねぇ」

「う~ん?」

 デイビッドが、豪姫の袖を引っ張った。

「おねぇちゃん?」

「! そうだよ!」

 初めて「おねえちゃん」と呼ばれ、豪姫は嬉しがり、デイビッドを抱き締める。

 母は違うものの、姉弟である事は変わりない。

 エリーゼは、その様子にきゅんとし、我が子の成長に涙を流す。

「涙脆いな」

「うっさい」

「ぐへ」

 いじった夫の背中に下段回し蹴りローキックも忘れない。

「元康、私は?」

「おねえちゃん」

「! もう良い子ねぇ♡」

 豪姫を羨ましく感じた摩阿姫は、元康に強要。

 賢い彼は、姉の言う事を遵守した。

 山城真田家は、城主が妻に弱い為、完全なる女性社会。

 幼子ながらも、そのパワーバランスは、理解している様だ。

 元康を抱っこし、摩阿姫は可愛がる。

 義弟が引き攣った笑みなのには、気付いていない。

「何だかんだで仲良しですわね」

 千姫も満足そうだ。

 戦国時代、兄弟間での殺し合いは珍しく無かったのだから、姉弟間の対立は見たくない。

 大河の膝に残るは、与免1人。

「にひひひひ♡」

 姉2人が義弟に夢中な分、思う存分、甘える事が出来る。

 ……と思いきや。

「兄上♡」

「兄者♡」

 お初、お江がその空いた枠をとんびの様に掠め取る。

 こんな日でも、女性同士の争いは、過熱だ。

 新参者も負けてはいられない。

「うふふふふ♡」

 綾御前が静かに近付き、背後を取る。

 そして、抱き着いた。

「も~らい♡」

「ぐへ」

 首に腕を回され、強引に捩じられ、接吻される。

「ああ!」

 謙信が声を上げたが、時すでに遅し。

 大河は、濃厚な接吻の餌食となった。

 暫く交わった後、綾御前は満足したのか、離れていく。

「うふふふふふ♡」

 貴婦人の様に微笑んで、大河の背中に抱き着いた。

 与免達に集中している間、襲われた為、彼は、グロッキー状態である。

「綾。首の骨が折れるよ」

「あら、御免あそばせ」

 再び微笑むと、綾御前は、大河の首に湿布を貼り出す。

 一応、気にしている様だ。

 謙信が頭を下げた。

「貴方、大丈夫?」

「ああ、危うくな」

 首、というのは体の重要な部分の為、不用意に動かすと、首の骨が折れたり、脊髄が傷ついたりする可能性がある。

 関節内礫音クラッキングで首を鳴らす事を好む者も居るが、習慣化した場合、浸食エロージョンの結果、手足の麻痺や命の危険も考えられる為、余り、望ましいものではない。

 その為、大河も首に関しては、関節内礫音を気を付けている程だ。

「全く」

「♪」

 謙信の睨みに、綾御前は口笛を吹いて誤魔化す。

 反省はしていない様だ。

 大河は、そのまま、綾御前にしな垂れかかり、仰向けになった。

「ふぅ……」

「大丈夫?」

 心配そうに朝顔が声をかける。

「ああ。眠たくなっただけだから」

「そう……」

 尚も心配そうな表情で、朝顔は、大河に跨り、胸部に顔を埋める。

 お初、お江、与免も這い上がり、姉妹は、左右の腕を枕に、与免は朝顔に抱擁される。

 雷が続く中、眠気が強くなった様で、朝顔は、指示を出した。

「アプト、消灯お願い」

「は」

 その晩、一同は、この部屋で夜を明かすのであった。


 明け方。

 豪雨が続く中、大河は、身を起こす。

 そして、愛妻を探る。

 すると、思いの外、近場に居た。

「zzz……」

 隣でぐっすりと眠っている。

 昨晩は、朝顔等に気を遣い、影に徹していたが、いつの間にか、隣で布団を敷き、大河と同じ毛布を共有していた。

「……」

 朝顔や綾御前等を起こさない様に、大河は、愛妻に手を伸ばす。

 その手をしっかり握ると、

「……えへ♡」

 眠った状態だが、分かった様で、誾千代は、笑顔を見せた。

「(……愛してるよ)」

 小声で告白後、大河は、握力を強め、再び二度寝を決めるのだった。

 

 誾千代は、夢を見ていた。

 日ノ本とは別世界の、一夫一妻制の世界線である日ノ本で、愛する夫と過ごしていた。

「……また失敗したね?」

 妊娠検査薬の陰性に、誾千代は、がっくりと肩を落とす。

「そうだな」

 大河は、抱き締めて労わる。

「子供が欲しいよ」

「うん……」

「……御免ね。不妊で」

「全然」

 一度たりとも夫は、妻を責めない。

 それ所か、労わるばかりで、逆にそれが誾千代には、圧力に感じていた。

「……もう、頑張れないかも」

「……分かった」

 首肯後、大河は、手巾で誾千代の涙を拭う。

「……だからさ。別―――」

「その選択肢を俺は持ち合わせていない。子供が居なくても良い。俺は君との添い遂げたいんだ」

「……うん」

 想いは、素直に嬉しい。

 子供を産め、という周囲の圧力の中、唯一の味方なのが夫だ。

 ただ、誾千代には、自分の所為で愛する男性が人生を棒に振る様な気がしてならない。

「……うう」

 又、涙が流れ出す。

 頑張った妊活が失敗続き。

 愛する男性にも負担を強いている。

 夫婦に子供が出来ない事で、世間の風当たりは、夫にも強くなりつつある。

 強心臓な夫は、自分がどう非難されようが、平気な様だが、誾千代は自分の所為で夫がそうなるのは、本意ではない。

「……私は、私は―――」

「責めるな」

 強く抱き締めた大河は、誾千代の手首と自分の手首を紐できつく繋ぐ。

 似た様な話が夏目漱石(1867~1916)と夏目鏡子(1877~1963)の夫婦にある。

 夫婦の長女である筆子(1899~1989)と結婚した松岡譲(1891~1969)によれば、漱石の第五高等学校(現・熊本大学)教員時代の同僚から聞いた話として以下の様な逸話エピソードが残されている(*1)。

 夫婦が熊本に移住後、3年目の明治31(1898)年、

・慣れない環境(鏡子は、広島県出身)

・初産の流産

 でヒステリーを悪化させた鏡子は、藤崎八幡宮(熊本県熊本市中央区)近くの白川しらかわに身投げした(*1)。

 幸いにも助かったが、この後、夫婦は暫く手首に糸を繋いでいたという(*1)。

 当時は現代よりも男尊女卑の傾向が強く、又、良妻賢母が好まれる風潮、そしてこのヒステリーから、鏡子=悪妻説が生まれてしまった。

 後年、雑誌(*2)に寄稿された長男と孫の手記からは、良母良祖母である事が明らかになっているが、長年、染みついた心象は中々、払拭出来ず、悪妻説支持者も居る。

 産めや育てや、の社会的圧力から、誾千代は、夏目鏡子の様にヒステリーになりそうだが、何とか、大河の御蔭で踏み止まってはいる。

「……有難う」

 何とか落ち着いた誾千代は、その想いを汲み取り、抱き締め返す。

 

 目覚めると、大河がしっかりと手を握っていた。

(……正夢?)

 離れようとするも、凄い握力で離さない。

 本当に眠っているのだろうか。

(もう……♡)

 嬉しくなった誾千代は、その手の甲に接吻すると、

「!」

 ビクンと一瞬、震えた後、大河は、呟いた。

「誾……いくな」

 それは、遠くの方へ行くな=離縁するな、なのか。

 死後の世界に逝くな、という事なのか。

 真相は分からない。

(……独占欲の塊ね)

 殆ど交際期間も無く入籍した2人だが、新婚生活の間に急接近し、今では、日ノ本を代表とする鴛鴦おしどり夫婦となっている。

 元々、情操フィーリングが合っていたのだろう。

 でなければ、これ程、仲良くなる事は難しい。

 大河の愛情を再確認した誾千代は、厠に行きたいのを我慢し、その手の感触を楽しみつつ、二度寝するのであった。

 

[参考文献・出典]

 *1:ウィキペディア

 *2:『文藝春秋』の臨時増刊号「夏目漱石と明治日本」 2004年

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