第556話 咫尺天涯
(豪も与免も深く取り入る事が出来たわね。後は、私だけ)
最近の妹達の様子に摩阿姫は、安堵が隠せない。
当初、受け入れに微妙な反応を示していた大河は、最近では、非常に好意的だ。
玩具や菓子を
一緒に昼寝する事もあるし、買物をお願いすれば、こちらも付き合って100%ではないが、かなりの高確率で付き合ってくれる。
生活費の方は、芳春院が送金しているのだが、大河は、それを1銭も使わず、貯金し、逆に自分の収入から
浪費家では無い為、お金は溜まる一方、使わなければ、経済が回らない、という判断の下の様だが、我が子でもない相手に
「幸姉様」
「うん?」
幸姫は、今、忙しい。
今年で21になる彼女は、現代の学制では、大学3年生に当たる。
当然、来年には、就活の歳だ。
卒業に向けて学業に専念する必要がある。
それでも可愛い妹の相談に乗るのは、良い姉だろう。
「……真田様に御好意を抱いて頂く為には、どうすればいいかな?」
「……」
「……真田様が好き?」
「……うん」
「本気で?」
「……うん」
「なら、大丈夫よ。真田様は、もう摩阿にぞっこんだから」
「……そうかな?」
「そうよ。あれだけベタベタしても、嫌がらないでしょ? その時点で、御好意はある筈よ」
「……」
「流石に立花様と同じ位は困難だけれども、2番目は目指す事が出来るわ。誰でもね」
「……1番は、難しい?」
「どれだけ愛し合っても、明け方になると、立花様の所に行くのだから、どれだけ頑張っても敵わないわ。立花様には」
「……」
「だから、それでも好きならば、現実的に2番目を目指すの。御好意がある以上、真田様は、お優しくして下さるわ」
「……うん」
摩阿姫の欲しかった具体的な
噂をすれば影が差す。
襖の向こうから話題の人物の声がした。
『幸、今、大丈夫か?』
「はい」
立ち上がった幸姫が襖を開くと、
「お、摩阿も居たのか?」
大河は、笑顔で摩阿姫の前の机に饅頭を置く。
「御用商人が売りに来た新作の和菓子だそうだ」
「あ、有難う」
京都新城に来る御用商人は、現代で言う所の百貨店の外商に当たる。
約40兆円(*1)もの総資産を誇った世界史上に残る大富豪、マンマ・ムーサ(1280? ~1337?)並、否、それ以上の総資産を持つ、大河の下には、城下から沢山の百貨店の外商部から、御用商人が列を成す程、やって来る。
自分の為には殆ど使わない大河であるが、妻子や家臣、侍女の為には、惜しげも無く使う。
今回も爆買いしたのだろう。
その証拠に、大河は、幸姫に袋を渡す。
「……これは?」
中から黒い布を出した幸姫は、首を傾げた。
「最近、勉強に精を出しているだろ?」
「うん」
「だから、安眠出来ていないかも、と思って夜用の眼鏡を買ったんだ。南蛮の言葉で『アイマスク』という物だよ」
「……かけても?」
「どうぞ」
アイマスクを装着すると、幸姫は、その遮光性に驚いた。
「……真っ暗だね?」
「夜用だからな。それで寝たら快眠だよ」
「試してみるわ。有難う」
化粧品や宝飾品等が若しかしたら、欲しかったかもしれないが、こういうのは、幸姫の嗜好がある為、大河は、一存で買う事はせず、実利を選んだのだが。
幸姫の反応を見る限り、正解の様だ。
「……」
反対に摩阿姫は、不満げである。
姉・幸姫のは、明らかに考えに考え抜かれた贈り物であるが、自分のは、明らかに適当に選んだ感がある。
饅頭は好きであるが、もう少し、熟考した感が欲しいのは、
そんな思いの顔である。
「じゃあ、課題の邪魔のならない様に帰るわ」
「有難う」
折角、来てくれたのは、幸姫も嬉しいが、大河は教育者の一面もある為、課題に集中する時間を奪うのは、余り歓迎出来ない。
なので、自分で撤退してくれるのは、正直、有難い事だ。
「くれぐれも無理は禁物だからな?」
「ええ」
摩阿姫の居る前で、大河は、幸姫と接吻し、別れを惜しむ。
「あ、そだ」
「うん?」
「私が夏休みの宿題している間だけでも良いから、私の代わりに摩阿の相手をしてくれない?」
「!」
思いがけない姉からの援護射撃だ。
摩阿姫は、笑顔で三つ指を床に突く。
「宿題は終えていますので」
「真面目だな」
感心した後、大河は、手を差し出す。
「じゃあ、御姫様、行きますか?」
「!」
爆発するかの様に顔を真っ赤にさせた後、摩阿姫は、恐る恐る握手。
「はい……」
その様子をニヤニヤしながら、幸姫は手を振って送り出す。
「夜更かしは駄目よ?」
と。
棚から牡丹餅で大河を独占する事が出来た摩阿姫の心臓は、早鐘を打つ。
ドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドク……
と。
一般的な
(*3)とされ、1日約10万回(*3)、一生だと40億回以上(*3)とされている。
これが1分間に50回以下を
摩阿姫のは、100回以上なので頻脈に当たるだろう。
立ち眩みを感じるも、心は穏やかだ。
矛盾しているが、これが恋なのだろう。
「……真田様」
「うん?」
「少し熱中症になりました」
「じゃあ、俺の部屋で涼むか?」
自然な流れで部屋に行く理由が作れた。
心の中でガッツポーズをした後、摩阿姫は更に握力を強める。
暑い為、手汗が出ているが、大河は一切、気にする事は無い。
この態度も、好感度が高くなる理由の一つだ。
「はい♡」
演技に騙された大河は、摩阿姫と共に部屋に行く。
既に室内は、冷房が効き、1歩入っただけで、もう涼しい。
「あ、真田様、御先に失礼させて頂いています」
「真田、遅い」
「真田様~♡」
居間には、阿国、朝顔、伊万が居た。
伊万は、飛びついてにんまり。
「御邪魔してる♡」
「見りゃあ分かるよ」
クールに返すと、大河は、伊万を片手で抱っこする。
この様な形で甘える事が出来るのは、小さな体躯である幼女の特権だ。
「朝顔、待ってたの?」
「そうよ。暑かったら避暑地でここを選んだの」
「(皇居にも冷房が―――)」
「ん?」
「何でもないです」
朝顔に睨まれ、大河は分かり易く口笛を吹き、話を逸らす。
アプトが人数分の冷茶を用意した。
「有難う。いつも済まんね」
「いえいえ。仕事ですから」
「後は自分でするから、皆と休んどき」
「は」
休暇の命令が出て、アプトは下がって行く。
夏は、疲れが出易い時期の為、頻繁にこの様な命令が出る。
仕事ではない為、他家の侍女からは、非常に羨ましがられているのは、業界での常識だ。
「真田様はどちらに?」
阿国がすり寄って来た。
「ちょっと幸の所に。勉強に集中し過ぎて疲れてないかな、と思ってな」
「私も来年、受験だから、他人事じゃないね」
朝顔は、大河にしな垂れかかりつつ、呟く。
「志望校は何処?」
「内部進学でそのまま上がるのも手だけど、神職だからね。専門的に勉強したい気持ちもある」
「……分かった」
神道発祥の国でありながら、神道系大学は、案外少ない。
現代日本で令和3(2021)年現在、在るのは、
・國學院大學(東京都渋谷区)
・皇學館大学(三重県伊勢市)
の2校のみ。
一方、仏教系大学やキリスト教系大学は、数多く存在している。
この為、現代日本で神道を大学で通学し、学ぶ為には、この2校のどちらかを選ぶ必要がある。
日ノ本でもこれは、同じで現代日本同様、神道系大学は少ない。
高校も現在の、
・三重県伊勢市
・東京都渋谷区
・東京都杉並区
・栃木県栃木市
・大阪府大阪市住吉区
の5校のみ。
京都府はおろか、京都市には1校も無い状況だ。
朝顔が神道系の高校に進学するには、関西圏では大阪府か三重県。
大阪府の場合は、ギリギリ越境通学出来る範囲であろう。
然し、その他の4校は、通学が困難の為、移住する必要がある。
上皇が進学の為に移住するとなると、相応の人員も伴わなければならず、又、受け入れ先も準備で大忙しだ。
何せ「上皇が移住する」=「移住先が首都」となる訳だから。
例えば、日清戦争(1894~1895)の際、広島に大本営が置かれた。
所謂、『広島大本営』である。
時系列で言うと、以下の通り。
明治27(1894)年6月5日、東京の参謀本部内に設置(*4)。
明治27(1894)年8月5日、皇居に移設(*5)。
明治27(1894)年9月13日、広島市に移設(*4)。
移設の理由は、
・当時、東京起点の山陽鉄道網の西端が広島駅であった事
・大型船が運用出来る宇品港(現・広島港)が在った事
である(*5)。
同年10月には、帝国議会も広島市で行われ、
・立法
・行政
・軍事
が広島市に集中した事から、明治維新以降、首都機能が一時的とはいえ、東京から離れた為、事実上の遷都が成立した。
この臨時首都(或いは暫定首都)は明治29(1896)年4月1日に解散した事から、約2年という短期間であったものの、後年、「
この様な事情から、朝顔が進学の為とはいえ、京を離れると、極論、この様な事態になりかねない。
その為、現実的に進学先は、大阪一択になるだろう。
「私、進学を検討しても良いかな?」
諸事情を分かっている上での疑問だ。
大河の答えは、最初から決まっていた。
「全力で応援し、助けるからこっちの事情は気にするな」
「……うん。有難う」
現実問題、大河だけの問題ではないのだが、強権を発動すれば、可能性は無くは無い。
大河に抱き着くと、胸部に頬擦りを行うのであった。
[参考文献・出典]
*1:クーリエ・ジャポン 2013年3月号
*2:アンファーからだエイジング HP 2021年11月10日
*3:日本医師会 HP
*4:ウィキペディア
*5:史蹟名勝天然記念物保存協会広島支部『明治二十七八年戦役広島大本営誌』
1934年
*6:Gakusha 2020年2月7日
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