第558話 水ノ都

 豪雨が去った後、都内は、平穏であった。

 弱雨はあれど、豪雨よりも酷いものではない。

「……水浸しだな」

 ヴェネツィアの様な風景に、大河は呟く。

 天守から見下ろす都内は、まさに「水の都」と言った感じで、水深は約50cm。

 都民の多くは、移動手段に小舟を使っている。

 この状況だと地下鉄は水没し、その他公共交通機関も運休になっている事だろう。

「おそとでれないね?」

「そうだな」

「ほえ~」

 与免は身を乗り出して覗くも、大河に抱き抱えられる。

「危ないよ?」

 厳しい家だと拳骨の1発も食らうかもしれないが、大河は、体罰否定派だ。

 何を言っても聞かなかった場合、実力行使の一つもあるが。

 兎にも角にも、与免を諭す。

「落ちたら死んじゃうからね」

「……御免」

 滅茶苦茶優しく注意され、与免は、赤くなって抱き着く。

 3歳とはいえ、大河に惚れているたちだ。

「……もうしない」

「分かれば良いよ」

 与免の頭を撫でつつ、大河は、水浸しの都内を眺めるのであった。


 公共交通機関が動かず、都内全土が浸水状態にある為、朝顔も皇居に行く事が出来ない。

 一応、避難隧道トンネルを使えば、行き来する事が出来るが、流石に地上が浸水状態である中、地下を通るのは、心理的に嫌だ。

 地下鉄でさえも水没しているのだから、大事を取って、水が引く迄は、避難隧道も封鎖された。

 死者は報告されていないが、国軍が救難隊を派遣し、社会福祉協議会が炊き出しを行い、被災者支援を開始。

 災害の夏になりつつある。

「……お墓参りは、復旧次第ですか?」

「そうなるな」

 元康を抱っこした茶々は、深い溜息を吐いた。

 もうすぐ御盆なのに、里帰り出来ないのは、辛い話である。

 因みに僧侶である愛王丸は、尼僧である松姫と共に、梅小路公園うめこうじこうえんで、炊き出しを行っている。

 大河も行きたい所だが、朝顔の警備がある以上、城を離れる事は出来ない。

 その分、子供達と過ごせるのは、良い事であるが。

 京都新城自体は、昨日、侍女が総出で土嚢を積んだ為、水害に遭う事は無かった。

 昨日の苦労を労う為、大河は侍女達に臨時休暇を与え、今日は朝から必要最低限の人員以外は、出勤していない。

 恐らくその多くが入浴か睡眠で1日を過ごすだろう。

「アプトは、休まないのか?」

「若殿と一緒に居るのが、何よりも癒しです」

 背後から大河を抱き締めたアプトは、そのまま離れない。

 大河が与免を抱っこしている状態なので、アプトは、3人分抱えている様な状態だ。

 因みに、珠、ナチュラも居る。

 昨日、3人は、他の侍女と共に土嚢の作業で1日中、最前線に居り、今日は休みの筈なのだが、こうして出勤している。

 所謂、サービス残業というものであろう。

 尤も、3人の場合は、愛社精神よりも、好意が理由での事だ。

「御肩、どうですか?」

「痛かったから仰って下さいね?」

 珠、アプトは、其々、右肩、左肩を揉んでいる。

「……有難う」

 引き攣った笑みで返しつつ、大河は、与免にビスケットを与える。

「えへへへ♡」

 餌付けしている様だが、実際には、似た様なものだろう。

 菓子で釣っているのは、走り回る与免を抑える為だ。

 累と同じ年齢だが、彼女とは違い、累は、元気一杯で動き回る。

 芳春院の話では、「加賀に居る時より、元気になっている。婿殿との相性が良いのも?」という事も関係しているのかもしれない。

 他家の令嬢を怪我させるのは、今後、前田家との信頼関係にも悪影響が出かねない為、大河が慎重にならざるを得ないのは、当然の話だろう。

「いいな、いいな」

 累が頬を膨らませた。

「御出で」

「うん♡」

 願いが通じ、累は膝に飛び乗る。

 そして、与免と一緒にビスケットをむ。

「アプトもい?」

「有り難う御座います♡」

 アプトは、一つのビスケットを三つに分けて、珠、ナチュラにも分ける。

 累が見上げた。

「ちちうえ、おいちい」

「うん」

「ありがと~♡」

 累は、大河の頬に接吻した。

「……うん」

 愛妻よりも愛娘からの接吻も又、格別だ。

 愛姫の時もそうだった様に、大河はつくづく娘に甘い。

(……この娘が結婚相手を見付ける時は、俺が徹底的に見定めてやる)

 愛姫の時も断腸の思いで送り出したのだ。

 彼女は養子であったが、累は実子だ。

 その時は、恐らく愛姫以上に無意識的に抵抗感が否めないだろう。

「自分の事は、棚に上げすぎ」

 誾千代の鋭い突っ込みと共にせんで頭を叩くのであった。


 伊達家の屋敷も一部、浸水被害に遭った様で、伊達政宗、愛姫の夫婦、それから前田家からも前田利家、芳春院が避難しに来た。

「ちちうえ~♡」

 久々の再会に愛姫は大いに喜んだ。

 大河を視認するなり、100mを10秒台で走り切り、そのまま抱き着く。

 少し早い里帰りの様である。

「おおお、愛~♡」

 大河もデレデレだ。

 嫁に出したとはいえ、親子である事は変わりない。

「只今♡」

「御帰り♡」

 2人は、織姫と彦星の様な久々の再会を喜び合う。

「向こうでは忙しい?」

「うん。方言とか執筆でね。あ、又、父上の小説と絵本、書いてるよ」

「書いてくれるのは嬉しいけれど、他は無いのか?」

養母上ははうえ、立花様、お市様が出るのも書きたいね。陛下の場合は、朝廷の許可も要るけれど」

 現代日本では、表現の自由があるが、異世界・日ノ本では、他人を題材にする際、模範モデルになった人物や関係機関の記事が必要不可欠である。

 特に朝顔の場合は、皇族である為、不敬罪との兼ね合いもある為、本人が許可を出しても朝廷(=宮内庁)が快諾しなければ、書く事すら出来ない。

「愛、早いよ」

 追い付いた政宗は、ぜぇぜぇと肩で息を吐く。

 武人である政宗は、普段、鍛えているのだが、そんな彼とは対照的に、愛姫は、あっけらかんとしている。

 疲労<再会の喜び、なのかもしれない。

「政宗様、ほら、早くお土産」

「う、うん……」

 愛姫に促され、政宗は、ずんだ餅を渡す。

「遅れましたが、愛王丸様の件で御用意致しました」

「おお、悪いな」

 政宗が伊達家の次期当主でなければ、大河は問答無用で山城真田家の後継ぎにする所だ。

 これは、非常に惜しい事である。

「又、料理の腕を上げた、と噂で聞いたが?」

「はい。愛を喜ばせる為に練習しています」

「心意気は認めるが、武門や学問もな?」

「勿論です」

 男性の調理師が殆ど居ない現状、政宗の様な存在は、業界では、引手数多だろう。

 然し、彼の本分は、武門と学問であり、料理はあくまでも趣味の範囲内で留めて欲しいのが、大河と伊達家の意見である。

「わん! わん!」

「ガブ~♡」

 ガブにも抱き着き、愛姫は、その猫吸いならぬ狼吸い。

 毎日、侍女が洗っている為、ガブに壁蝨ダニは居ない為、その点については安心だ。

 それよりも大河が気になったのは、

(こいつ、世渡り上手だな。いつもは「ガブガブ」と言う癖に)

 恐らく、飼い主である大河よりも、彼の家族の方が偉い、と認識しているのだろう。

 でなければ、この様に使い分けをするのは、中々、無い事である。

 若夫婦に遅れて、今度は、鴛鴦夫婦が登城を果たす。

「真田殿、受け入れて下さり有難う御座います」

「暫くお世話になります」

「いえいえ」

 大河が利家と芳春院に挨拶をしていると、

「にゃは?」

 いつの間にか、大河の背後に居た与免が顔を出す。

「あ、ちちうえ? ははうえ?」

「おお、与免。暫くは一緒に―――」

「や」

「な?」

 利家の手を払い、与免は、大河の背中に隠れる。

「……えっと、これは?」

「懐いたのでしょう」

 大河ではなく、芳春院が答えた。

「貴方が厳しく育てた反動で、甘々な山城様に御好意を抱いたのでしょう」

「う……」

 心当たりがあるのか、利家は、うめく。

 武家の令嬢である以上、厳しく育てるのは、よくある話なのだが、大河は、褒めて伸ばすタイプなので、与免はそれにガッツリはまった様だ。

 教育論に正解は無いのだが、

・体罰無し

・殆ど怒らない

・自由主義

 な大河の教育方針を好む子供達は、多い事だろう。

 思春期以前の愛娘に嫌われてきまった利家は、がっくりと肩を落とす。

 _| ̄|○←こんな感じで。

「……真田殿、娘を頼みますよ?」

 唇を噛んで、血涙を流しそうな利家の顔に、

「……はい」

 背筋を伸ばして、大河は認める他無かった。


 4人は、其々それぞれの区画への入室となった。

 前田利家、芳春院は、幸姫と三姉妹の部屋に。

 伊達政宗、愛姫は、山城真田一門衆と言う事もあり、2人は、大河の隣室だ。

 拡大し続ける山城真田家であって、万が一の事があって、沢山の空き部屋を用意しているのである。

「大所帯ね」

 朝顔は、大河の部屋で朝食を摂りつつ、呟いた。

「済まんな。急に騒がしくなって」

「責めてないわ。共助きょうじょだからね」

 困った時は御互い様。

 部屋には、炊き出しを終えた松姫も居る。

「被災者は、元気?」

「はい。陛下。皆様、御握りを食べて下さったり、備蓄米を持ち帰って下さいました」

 備蓄米は、市場に出回らなかった、少し品質の劣るもの、或いは、消費期限、賞味期限が近いものである。

 この様なものを提供するのに対し、反発する者も居るだろうが、提供者の大河は、「じゃあ、飢え死にしろ」という姿勢だ。

 飢えを凌ぐ為に高品質、上等な米は必要無い。

 食いたければ自分で用意すれば良い。

 そんな思いが如実に表れている。

 その為、自尊心の強い者や貴族は、被災者であっても、備蓄米には、手を出さず、自力で、食料を集めている。

 彼等が居ない分、倍率が少なくなる為、自尊心よりも命を優先したい被災者には、有難い事だ。

 被災地には、秩序維持の為に警察官が増員されている。

 火事場泥棒や備蓄米の転売の対策が任務の為である。

「お疲れ様」

「はい♡」

 大河から労われ、松姫は笑顔を見せた。

 そして、しな垂れかかる。

 夏は、檀家への挨拶回り等で大忙しな時期な為、当然、1年で最も疲労がたまってしまう。

 大河が僧侶を増員させて、負担を軽減させているが、疲れるのは、事実だ。

 それにこの炊き出しが重なれば、仕事終わり、甘えたくもなるだろう。

 松姫を抱き締め返し、その手を握る。

「……zzz」

 暫くすると、松姫は転寝うたたねを始めた。

 朝顔は咎めない。

 松姫の働きぶりを間近で見ているから。

「貴方、今日は、彼女と居てあげて」

「良いのか?」

「私は天守から出ないから大丈夫よ」

「済まんな」

 謝罪の意味を込めて、大河は、朝顔に接吻する。

「……うん♡ 宜しい」

 笑顔を見せた後、上皇としての威厳を保つのは、流石だ。

 そんな妻を愛おしく感じ、大河は松姫を片手で抱擁しつつ、朝顔も抱き寄せ、束の間の夫婦の時間を楽しむのであった。

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