第552話 母猿断腸

 登城した愛王丸を、小少将が抱き着く。

「よくぞ……ご無事で……」

 感動の再会の舞台となった大広間は、2人だけ。

 2人に配慮して大河が人払いしたのだ。

 嬉しいのだが、未だに義父・大河に会えていないのが、心残りである。

 そんな愛王丸の気持ちを他所に、小少将は、彼の頬を何度も撫でる。

 そして、抱き締めた。

「あんな小さな子供が、もうこんなになって……」

 7年というのは、人生100年時代の現代からすると、短く感じるかもしれないが、現代程、長寿ではないこの時代では、長い感覚だ。

 0歳の赤子が、小学2年生になっている時間である。

 小少将が、待ちわびていたのも理解出来る事だろう。

「お腹空いていない?」

「は……」

「もう、そんな緊張しなくていいのよ。母子なんだから。さぁさぁ、お食べ。あ、肉食は駄目だっけ?」

「あ、はい。普段は、精進料理を……」

「じゃあ、用意するわ。御出で」

「え? 何処へ?」

「天守よ」

 あれよあれよと言う間に愛王丸は、天守に連れて行かれるのであった。


 天守へ登ると、そこも最低限、人払いしてある様で、侍女以外は居ない。

「……皆様は?」

「多分、真田様の御部屋かと」

「……陛下も?」

「そうよ。会いに行く?」

「御挨拶に伺いたいのですが……良いんですかね?」

 関係上、朝顔は、義母に当たる。

 4歳年上の上皇が義母とは、不思議な感覚だろう。

 年齢が近い分、良好な関係が構築出来るかもしれない。

「予約すれば大丈夫よ。会いに行ける上皇陛下だから」

 平成には、会いに行けるアイドルが一世を風靡したが、万和では、会いに行ける皇族だ。

 無論、家族になれなければ、無理な話ではあるが。

「……分かりました」

「まぁ、その前に腹ごしらえよ。陛下も私達のこの時間を配慮して下さっているから、その想いを無駄にしちゃ駄目よ」

「……は」

 手をしっかり握り、母子は、小少将の部屋に入っていく。

 玄関入ってすぐ右側に台所キッチンがあり、廊下を抜けると、居間リビングという間取り。

 浴室も備えてあり、ここでの生活も十分可能だ。

「……」

 初めて見るものばかりに、愛王丸は、どれも興味津々であった。

 居間で待っていると、

「お待たせ~」

 と、大きな御盆に精進料理を載せた小少将がやって来た。

 献立は、

『・御飯

 ・汁(白味噌)

 ・平(湯葉、麩、椎茸の炊き合わせ)

 ・木皿(胡麻豆腐)

 ・木皿(紅葉麩、蒟蒻こんにゃく、栗、牛蒡ごぼう等の盛り合わせ)

 ・壺(しめじと青菜のおひたし)

 ・香の物』(*1)

 いつも平泉寺で食べていたものと若干の違いはあれど、大差は無い。

「……頂きます」

「うふふふふ♡」

 小少将は、両手で顎を支えて、愛王丸の食事を眺めるのであった。


 2人が7年振りに家族の時間を過ごしている頃、

「あ~。こら、伊万、走るな」

「あ―――」

 躓いて、茶碗の味噌汁を零す。

「おいおい」

 苦笑いで大河は、伊万を抱っこする。

「済まん、アプト。処理、頼む」

「は」

 アプトが後片付けを行う中、伊万は、申し訳なさそうな顔だ。

「……御免なさい」

「良いよ。後で、アプトに御礼を言っとき」

「……うん」

 伊万がこんなミスをしたのは、みたらし団子が原因であった。

 大河が小少将と愛王丸に配慮して、人払いとなった分、ストレスを溜めない様に、大量のみたらし団子を買い、与祢や珠、ナチュラに配らせているのだ。

 これが思いの外、好評で特に子供達には、目が無く、昼食を済ませた者から競争となっていた。

 皆より出遅れた伊万が焦って、味噌汁を持ったまま駆けるのは、分からないではない。

 女性に甘い鼻毛な大河は、今回も又、例にも漏れず甘々な対応だ。

「沢山あるから焦っちゃ駄目だよ」

「……はい」

 大河に言われ、伊万は、みたらし団子を恨めしそうに見つつ、味噌汁を啜る。

「兄者も要る?」

「にぃにぃもどーぞ?」

 お江と豪姫が、みたらし団子を持ってきた。

「まだ食べているから大丈夫だよ。自分達でお食べ」

「「うん♡」」

 首肯後、2人は、大河の膝の上に着席。

 どうやらそこで食べるらしい。

「……味噌汁かかってもしらんぞ?」

「兄者、慎重派だから♡」

「にぃにぃ、そんな事しないもん♡」

 謎の期待値の高さである。

「言ったからな?」

 念を押した後、大河は、落ち込む伊万の頭を撫でつつ、味噌汁を啜るのであった。


 昼過ぎ。

 朝顔、ヨハンナ、ラナと一緒に紅茶タイムを楽しんでいると、

「失礼します。小少将様、愛王丸様が御挨拶に来ましたが、通しましょうか?」

 と鶫が尋ねて来た。

「もう少しゆっくりすれば良いのに」

 苦笑いする朝顔。

 彼女の予想では、今日1日、2人は、母子水入らずの時間を過ごすと思っていたからだ。

「陛下が近くに居るから御挨拶に伺わないのは、御二人も気を遣ったのかと」

「陛下、どうします?」

 ヨハンナは予想し、ラナは首を傾げた。

「追い返すのも失礼だしね……鶫」

「は」

「通して下さい」

「は」

 鶫が去った後、朝顔は、居住まいを正す。

「……何かあったら助けてね?」

「分かってるよ」

 朝顔に握手を求められ、大河は、それを受け入れる。

 14歳―――中学2年生に『上皇』という肩書は、余りにも重い。

 本来であれば、摂政が付いて代行するのが、基本なのだが、残念ながら居ないのが、現状だ。

 史実でも、1500年代、摂政は、1人も居ない。

 公卿であり歌人でもある二条持基にじょうもちもと(1390~1445)が永享4(1432)年10月26日に補任し、半年間務めた後、関白に就任して以降、空白期間が出来、次に摂政が誕生したのは、公卿・一条昭良いちじょうあきよし(1605~1672)が補任した寛永6(1629)年11月8日の事だ。

 実に197年、誰も摂政にならなかったである。

 この間、朝廷は力が弱まっていた時期を重なる為、それも関係しているのだろう。

 日ノ本でも居ないのは、大河が関係していた。

 ―――

『摂政は君主制を採る国家において、君主が、

・幼少

・女性

・病弱

 である等の理由で政務を執り行う事が不可能、或いは君主が空位である等の場合に、君主に代わって政務を摂る事、又はその役職の事。

 多くの場合、』(*1)

 ―――

 と定義されている通り、摂政が誕生するには、一定の条件をクリアしなければならない。

 日ノ本の場合、君主が女帝であるが、政務が不可能、という程ではない。

 又、帝も居る為、その分、公務が分散され、以前よりも働き易くなっている事もあり、態々わざわざ、摂政を置く長所メリットが無いのだ。

 又、後半の『君主の親族(血縁関係にある者)や配偶者が就任する』というのも、ハードルが高い。

 摂政は、推古天皇元(593)年に厩戸皇子が補任し、大正10(1921)年の裕仁親王(後の昭和天皇)が摂政皇太子として務める迄、令和3(2021)年現在、60人もの摂政が誕生している。

 その多くが、帝から見て、外祖父だったり、岳父、義兄等である。

 歴代の摂政の顔触れを見るに夫や妻は居らず、1番近しい続柄は、皇太子だ。

 逆に配偶者が補任された例は、現時点ではない。

 前例が無い以上、ハードルが高い、と言わざるを得ないだろう。

 又、歴代摂政の多くは皇族や藤原氏、近衛氏、九条氏等、名家揃い。

 軍事貴族であり、新参者の大河が入れる隙間は無い程、その壁は分厚いのだ。

 その分、近衛大将として朝顔を補佐している為、事実上の摂政とも言えるだろう。

「……」

 大河の即答に満足したのか、朝顔は笑顔で、彼の膝の上に座った。

 京都新城にも皇居同様、玉座はあるにはあるのだが、朝顔は、夫の膝の上の方が座り心地が良いらしい。

 小少将と愛王丸を出迎えるには、若干、失礼な気がするが、天守は私生活の場所でもある為、余り堅苦しいのも、逆に緊張感を与えかねない為、この位、気軽さ重視のも、良いかもしれない。

「……♡」

 朝顔は、大河に寄りかかる。

 大河も後ろから抱き締める。

 左右の誾千代、謙信や背後のお市は、嫉妬する所か、癒されている様で、目尻が緩みっ放しだ。

「「……」」

 与免と累が羨ましそうに見つめている。

 僅か3歳の子供には、朝顔の偉さが分からない。

 純粋に「大河に甘えているお姉さん」に見えているのだろう。

 視線に気づいた朝顔は、手招き。

「御出で」

「「は~い♡」」

 2人は、笑顔で突進し、朝顔の両隣に座った。

 累の母親である謙信と、子供達全体の責任者であるお市は、

「「申し訳御座いません」」

 と謝る。

「大丈夫よ。2人は、温かいから」

 笑顔で許し、朝顔は、累と与免を抱き締める。

「「♡」」

 2人は、朝顔の温もりを感じつつ、大河にも目配せ。

「……」

 大河も笑顔で応じ、2人の頭を撫でる。

 実子と将来の側室候補だ。

 可愛がらない訳が無い。

 2人を愛でていると、襖の向こうが騒がしくなる。

 母子が到着した様だ。

 軈て、扉が開き、

「失礼します。陛下、真田様。遅ればせながら、我が息子を紹介したく参りしました」

 綺麗に化粧と晴れ着を着た小少将は、三つ指を突いて、挨拶した。

「……おもてを上げなさい。ここでは、そんな堅苦しいのは、不要だから」

 朝顔は、3歳児2人をテディベアの様に抱き締めたまま、答えた。

「は……」

 朝顔の様子に、小少将も少しは気持ちが解れる。

 3歳児2人の突撃は、効果的だったかもしれない。

 次に愛王丸が入ってくる。

「「「「「……」」」」」

 朝倉家を滅ぼした織田家出身者―――お市と三姉妹、それに前田家の幸姫の視線は鋭い。

 摩阿姫、豪姫、与免は、雰囲気だけ察し、口をつぐむ。

「「……」」

 前者2人は、緊張感に負け、大河の背中に隠れた。

「愛王丸です。陛下、近衛大将・真田大河様、今回、御招き下さり有難う御座います」

 城主は、大河1人だけなのだが、上皇・朝顔を無視する事は出来ない。

 公的な正妻は、彼女だ。

 実際の正妻である誾千代に申し訳なさを感じた朝顔は、彼女に「御免なさい」と視線を送る。

 誾千代自身、それは理解している為、笑顔で首肯した。

 大丈夫です、と。

「うむ。今後、宜しく」

 朝顔の視線が、大河へ。

 その時機で、小少将も、愛王丸に小さく肘打ちエルボー

「は……、愛王丸で御座います」

 初対面で「義父上ちちうえ」は抵抗があるらしく、少し変な間が出来た。

 その場に居る全員の視線が、大河に注がれる。

「……」

 愛王丸は、内心、吐き気が止まらない。

 中学生の様な童顔だが、左目の眼帯と言い、雰囲気と言い、猛将感が半端ない。

 法治国家である為、簡単に無礼討ちは無いのだが、それでも経歴を知っていればこの反応は、当然だろう。

「よくぞ来た。我が息子よ」

「「「!」」」

 公で「息子」の発言。

 その場に居た全員は、息をのんだ。

 大河が愛王丸を認めた瞬間である。

「都での生活は、慣れる迄時間がかかるだろう。誰でも良いから頼りなさい」

「……は」

 平服しつつ、愛王丸は、その言葉の端々から、棘を感じた。

(受け入れられてないのかな?)

 小少将との再会が熱かった為、逆に、この反応は、拍子抜けだ。

 無論、思い過ごしかもしれないが、小少将と比べると、冷たさは、否めない。

「明日、改めて歓迎会を予定している。もし、良ければ出席して頂きたい。確認だが、精進料理で構わないか?」

「……は」

「では、ゆっくり休むと良い」

 作り笑顔で、大河は、お市を抱き寄せた。

「!」

 その態度に愛王丸は、察する。

(……事務的な義父、か)

 よくよく考えたらわかる事だ。

 大河は、信長の義弟であり、お市や三姉妹の夫。

 明らかに織田家側の者だ。

 一乗谷には、関与していないが、朝倉家の復興には、関心を示していない。

 同時期に敵対し、滅ぼされた浅井家は、復権したにも関わらず、だ。

「小少将」

「……! はい」

 愛王丸同様、茫然としていた小少将は、突然、呼ばれ、数瞬、返答に遅れた。

 お市の額に接吻後、大河は、苦言を呈す。

「子煩悩なのは、良いが、俺達は新婚なんだ。俺にも適度に宜しく頼むよ?」

「!」

 瞬間、舞い上がっていた小少将の熱は、一気に冷めていく。

 子供優先なのは、大河も認めている事であるが、10歳は、この時代で言えばもうすぐ元服を迎える年頃だ。

 数え年だと12~16歳(*1)。

 満年齢だと11~15歳の頃になる。

 つまり、早くて来年、愛王丸は、元服だ。

 7年間の空白期間を埋めたい気持ちは分からないではないが、いつまでも、親にべったりだと成長出来ない。

 踏ん切りが必要なのである。

 大河の指摘も分からないではない。

「朝倉の復興を望むのであれば、還俗する事を勧める。それは、愛王丸。君の気持ち次第だ」

「……は」

「小少将、助言はしても強要はするなよ」

「……は」

 小少将が頷いたのを確認し、大河は、満足した様で、

「じゃあ、今晩、挨拶に来てくれて有難う」

 と、解散宣言を行うのであった。


[参考文献・出典]

 *1:ウィキペディア 一部改定



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