第536話 群疑満腹
万和5(1580)年6月20日。
この日、大河は、
・誾千代
・幸姫
・お市
・阿国
・松姫
と共に、明智光秀の選挙事務所を訪れていた。
本当ならば、投票当日、或いは、その次の日辺りで、挨拶に行きたかったのだが、事件で流れ、今日に迄遅れてしまった訳である。
選挙事務所自体、選挙活動に大金を投じる為、それ程、無駄遣い出来ず、小規模なのである。
プレハブ小屋に入ると、既に、『必勝』の掛け軸や達磨等は撤去され、残っているのは、長机と冷蔵庫、それに接客用の大きなソファのみ。
一時は、首相になりかけた者にしては寂しいものだ。
「真田殿!」
大河に気付いた光秀は、駆け寄った。
「重傷、と娘から聞いていましたが、大丈夫なのでしょうか?」
珠と似た表情で、心配する。
流石、
心配するそれも似ている。
「光は失いましたが、見ての通り、元気ですよ」
答えつつ、光秀の後ろに隠れた珠を見た。
「……」
恥ずかしそうに光秀の背中から出てこようとしない。
今日、珠は、公休日だ。
なので、登城していないのだが、事務所の閉鎖に行っているとは思わなかった。
そんな愛娘を、光秀は咎める。
「こら、珠、挨拶を」
「いつも、城で会っているよ」
「こら! ―――真田殿、申し訳御座いません」
「いえいえ」
ソファに誾千代達と腰かける。
お茶を人数分出した光秀は、頭を下げた。
「真田殿の御助力があったにも関わらず、敗北してしまい、申し訳御座いません」
「勝つ事もあれば負ける事もありますよ」
実戦では、本多忠勝並に強い大河だが、選挙になると、やはり、勝手が違う。
人心を掴むのは、難しい事で、特に今回の様な分裂選挙は、どうしても大きな方が資金力や支持基盤が盤石なので、勝ち易い。
そんな中、光秀は、善戦した方だ。
信孝が、もう少し力が弱ければ、勝っていた可能性は十分にある。
ただ、敗北は事実なので、光秀は、総裁候補から一転、無職だ。
史実の日本の選挙でも、一切の職を辞めてまで選挙戦に挑む人達は、負けた時に備えて、
・医者
・弁護士
等が、よく既存政党から公認を得られ易い。
無職になっても、その責任から逃れられる、という側面からそうなってしまうのだろう。
その為、それ以外の職業の人だと、人生を賭けた大博打、と言える。
勝てば、国会議員になれるが、負ければ無職で職探しだ。
供託金制度もあって、選挙で預けた大金が、得票数に達していない場合、返ってこない事もある為、一時的な生活費としてそれに期待する事も難しい。
そもそも選挙戦自体に大金が必要なので、大敗した場合、それは全て
そんな中、光秀は、都知事から鞍替えして出馬し、総裁選に出た。
参政権、というのは万人に与えられた権利なのだが、実際には、高収入な人々のみ立候補し易い、というのが現状である。
かといって、供託金制度を廃止した場合は、大混乱になる可能性もある。
その有名な事例だと栃木県
この時、村長選に立候補したのは、下は25歳の青年から、上は84歳の女性迄、合わせて202人(*1)。
中には、一家4人が全員、立候補者というのも見られた(*1)。
これ程、候補者が乱立したのは、当時、町村の長の選挙では供託金制度が無かった為である(1962年の公職選挙法改正に伴い、以降は必要となる)。
この結果、上位3人が1千票以上を獲得したのに対し、190人は0票(*1)。
その他、獲得出来た候補者9人も内容的には、1~3票と、散々たる成績であった(*1)。
この選挙に背景には、村民同士の根深い地域対立があり、一部の村民が抗議と世間の注目を集める為に採ったのだった(*2)。
当初の立候補者は、267人であったが、65人が立候補届出日から投票日迄に辞退(*2)し、202人に迄減ったのである。
この地域対立は、一方の勢力の財政問題で昭和37(1962)年3月に運動を止めた事で終わった(*2)のだが、供託金が無い時の
人々が自由に立候補出来るのは、民主主義の利点だが、桑絹町の様になると、混乱を避ける為にも供託金制度は必要、と言えるかもしれない。
話は逸れたが、兎にも角にも、選挙というのは、投票が出来る一方、立候補に関しては、庶民には手の届き辛いのである。
誾千代が心配そうに尋ねる。
「……今後は、どの様になさるのですか?」
珠とは義理の姉妹になった為、光秀は、義父になる。
そうなるのも無理無い話だ。
「蓄えはある為、暫くは問題無いかと。ただ、政治家は、もう無理でしょうな。国政を変えて、日ノ本を亀岡や福知山の様にしたかったのですが……今後は、農業をしながら隠居になるかと」
都政に復帰するのもありだろうが、一度、国政の為に都知事を辞職した者が再び都知事になるのは、流石に都民の多くも「虫が良すぎる」と反発するだろう。
あるとすれば、信孝の支持基盤が及ばない地域での事になるが、縁も
誾千代等5人が、大河に視線を送った。
何とかしろ、と。
大河もその反応は、予想の範囲内だ。
「では、明智殿。良ければなんですが、家臣団に御参加する事は出来ますでしょうか?」
「……え?」
「若殿?」
光秀は勿論の事、珠も反応し、顔を出した。
相変わらず、可愛い。
「家臣団、ですか?」
「はい。自分の家臣になりますが、気になさらいのであれば、御断りして頂いても構いせん」
「……どういう事でしょうか?」
元武将らしく、光秀は、警戒心を露わにする。
長い人生、肩書を利用しようとする悪党を多く見てきたのだから、当然の反応だろう。
大河も悪党、という訳ではないが、敗北者を
相変わらずの作り笑顔で、大河はその警戒心を受け流す。
「恥ずかしながら、我が家では、政治家の経験者が自分しか居ません。圧倒的な人手不足なのです。ですから、明智殿の様な経験豊富な方が入社して下されば、大変助かります」
光秀に敬意を払い、
家格で言えば、両者は、段違いである。
明智氏は、家祖・明智頼重(1342~1423)以来、美濃国(現・岐阜県)明智荘に本拠地とする武家。
これに対し、大河は、
光秀の家柄の方が歴史があるのだが、家格的には、大河の方が上なのだ。
その為、大河の方が、上から目線の方で良いのだが、それでも光秀を気遣うのは、彼がこの場で「義父に個人的にお願いしている」という意味に成り得る。
光秀としては、求職活動を行う前の勧誘なので、願ったり叶ったりだ。
然も、大河の下とはいえ、事実上、統治者である彼の部下になれば、再び国政進出の機会も伺える。
更に言えば、愛娘・珠と同僚にもなるのだ。
「……」
光秀は、姿勢を正した。
「謹んで御受け致します」
光秀の入社は、内閣に衝撃を与えた。
「明智が、真田の家臣に?」
「運が明智の方に回っているな」
「真田は、やはりあの選挙で裏を引いていたのではないのか?」
家臣団は、そう囁き合う。
信孝は、渋面で問う。
「……猿、どう思う?」
「どうでしょうか。選管では、あの誤表示は、
「……うむ」
信孝やその支持者が疑っているのは、先日の投票での出来事だ。
議員投票が開票された時、
『織田信孝 201
明智光秀 200』
と表示された。
然し、全体では、400票の筈。
その為、白票等で無い限り、どちらの票数が間違っているのは明白であった。
直後、訂正され、光秀の方が1票減らされたのだが、その1票を投じたのは、大河ではないか? という噂が広がっているのだ。
噂の根拠は、選挙管理委員会が大河に誤って、投票権を送ってしまった事に始まる。
王配である彼には、参政権が無い。
その為、万が一、投票してもそれは無効になるのだが、黒幕である大河は、何かしら行って投票したのではなかろうか? という見方がされていた。
普段、裏で好き勝手行っている分、当然、そんな疑念が起きてもおかしくはない。
その後の選挙管理委員会の調査で正式に大河が投票していない事が判明したのだが、信孝等は、どんな醜聞でも力で揉み消す彼の悪党な一面を知っている為、額面通りには、受け入れ難い。
そもそも今回の選挙も、政権の力を削ぐ為に大河が描いた絵図なのではなかろうか。
灰色な部分が多い為、どれが本当でどれが嘘なのか、全く分からない。
「真田を呼び出せるか?」
「今日は、皇居にて勤務しています故、終わり次第なら可能かと」
大河の仕事は、宮内省が毎日、国営紙の瓦版で発表している為、隠されている訳ではない。
皇居から帰り道だと、朝顔も付いてくる可能性がある為、余り、呼び出したくはないのだが、この疑念を払拭するには、早い方が良いだろう。
「早馬を走らせます」
すぐに秀吉は下がるのであった。
定刻通り、皇居での仕事を終えた大河は、二条城に立ち寄る。
久々に二条城に入った朝顔は、城内に興味津々だ。
「修復出来たのね?」
釣天井事件で二条城は、大きな損害を受けたのだが、その後は、復興され、現在は、その跡は殆ど見られない。
「そうだな。結構前にな」
2人に付き従うのは、
・誾千代
・幸姫
・お市
・阿国
・松姫
・珠
光秀の選挙事務所の時と同じ顔触れだ。
大河は、左手で朝顔、右手で誾千代と握手しつつ、背中には、阿国をおんぶしていた。
阿国がこの状態なのは、宝塚の劇場で定期公演しているからだ。
毎日、宝塚迄通い、公演を
疲労骨折を恐れている大河は、「無理はするな」と厳命しているのだが、ファンが居る以上、休演は難しい。
なので、最近では、大河との交流は、減っている。
それでも、夫婦なので、接しなけば、夫婦生活が悪化する可能性があった。
基本的に大河は、1人を優先する事は誾千代や朝顔等の例外を除いて少ないのだが、阿国の様な頑張り屋も又、例外だ。
「申し訳御座いません。真田様」
「良いんだよ。甘えろ」
「はい♡」
両手が塞がっている以上、大河が阿国を支える術はない。
それでも日頃の訓練で鍛え抜かれた体幹のみで落とさない様にしている。
阿国は、ただ、しがみ付いておけば良いだけなので、非常に楽だ。
公然でもこのラブラブなのだから、織田家家臣団は、目のやり場に困った。
「「「……」」」
皆、目を合わさず、スルーである。
「私もしたいんだけど?」
「分かってるよ」
幸姫が甘えると、大河は、その頬に接吻。
今晩同衾する、という暗示だ。
「……宜しい」
渋々だが、納得した幸姫は、大河に接吻し返す。
松姫が阿国の足を見た。
「腫れが引いてきましたね」
「本当ですか?」
「ええ。ですが、真田様が仰っている以上、疲労骨折には、御気を付け下さい。休む事も必要です。怪我次第では、もう踊れないかもしれませんから」
「分かっています」
誾千代、お市は、孤立感を覚えている珠を気にしている。
「大丈夫よ」
「そうですよ。珠。私達が付いています故」
「……有難う御座います」
珠が気にするのも無理はない。
織田家にとって、珠は、政敵の娘。
流石に嫌味や嫌がらせを受ける事は無いが、織田家の家臣団から受ける視線は、厳しい。
「「「……」」」
口に出さずとも、「どの面下げてきた」とでも言いたげな雰囲気だ。
然し、誾千代達のフォローと、大河が存在感を発揮している為、それについては安心だ。
未婚だった場合、そのショックは、今以上に大きいものであっただろう。
「陛下、真田殿、お忙しい中来て下さり有難うございます」
「いえいえ」
朝顔は、微笑む。
次に秀吉が、見たのがお市だ。
横恋慕する相手なので、当然だろう。
「市様、今日も御綺麗で―――」
「有難う」
明らかなな作り笑顔で受け流すと、お市は、大河の体に密着する。
両手が塞がっている以上、抱き締める事は出来ないが、それでも、夫婦感の
恋い慕う相手を奪われた秀吉は、内心殺意で一杯だが、流石に表に出す事は無い。
「どうぞ。こちらへ」
こちらも又、作り笑顔で、執務室を開けるのであった。
[参考文献・出典]
*1:ウィキペディア
*2:アゴラ 2016年1月6日
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