第535話 三本ノ矢

 家族と平和な時間を過ごしつつも、大河は、清への憎悪を忘れた訳ではない。

「弥助、計画は上手く行っているか?」

「はい」

 ホワイトボードに書いてあるのは、『四害駆除運動』。

・鼠

・蠅

・蚊

・雀

 を駆除の対象とした大躍進政策の一つである。

 1958年から1962年にかけて中国国内各地で行われ、1960年には、雀撲滅運動が終了し、雀から床虱トコジラミ(南京虫)に変わり、政策は進められた。

・蚊→マラリア

・鼠→黒死病ペスト

・蠅→不衛生の象徴

・雀→食害等

 の理由から標的になったのだが、雀は穀物ではなく、穀物に巣食う虫を食べていた為、どちらかというと益虫に近かったのだが、そんな雀の数が大幅に激減した結果、害虫が大繁殖。

 生態系が崩れ、後年、『3年大飢饉』と称される、飢饉が中国を襲う。

 この時の飢餓による推定死者数は、正確には分からないのだが、1500万~5500万人以上、と見なされている(*1)。

 この四害駆除運動で標的になった四つの種類を、清国内に「害虫」として、流していた。

 政情不安定なので、何が真実か嘘か分からない、清の農家は当然、誤報デマに流され、駆除を実行し始めた。

 これで終わらないのが、大河である。

 誤報を流布させると同時に清国内のカルト教団も接近。

 カルト教団に後方支援し、内乱を誘発させようとしていた。

 模範は、太平天国の乱(1851~1864)である。

 キリスト教系新宗教・拝上帝会の開祖にして教祖・洪秀全ホン・シゥチュェン(1814~1864)が起こした中国南部の都市・南京市(反乱軍は、「天京」と改名)を拠点に新国家「太平天国」をした。

 最終的には、清に鎮圧されたのだが、これが成功していたら、現代の中国は、キリスト教国になっていたかもしれない。

 この上、明の残党が行う所謂、『日本乞師』も利用する。

 三つの工作活動で、清の力を削ぎ落すのだ。

 中国大陸に進出する気は更々無いが、売られた喧嘩は、買わなけば国内外から軽視され易い。

 清がこれ以上、弱体化すれば、更に中国大陸は、欧米列強の分割が進むだろう。

 大英帝国に至っては、阿片を売り捌いている為、いずれは、阿片戦争が勃発する可能性が高い。

 港を欲するイスラエル王国もその機に乗じて、何かしら行動を起こすかもしれない。

 日ノ本としては、平和主義を国是としている為、中国大陸が分割されても、不干渉を貫く所存である。

「……徹底的にやれ」

「は」

 隻眼の将軍の言葉に弥助は、只管ひたすら首肯するのみであった。


 誤報、というのは、SNSソーシャルネットワークサービスが無くとも、内容次第では、簡単に拡散される。

 例えば、昭和2(1927)年3月14日、片倉直温かたくらなおはる(1859~1934)大蔵大臣が第52回帝国議会の衆議院予算委員会で「東京渡辺銀行が到頭、破綻した」と発言した(*2)所、取り付け騒ぎに発展。

 実際には、そんな事は無かったのだが、この失言後、銀行の信用が失われ、発端となった東京渡辺銀行は、休業後、昭和金融恐慌で金融破綻した。

 公人である大蔵大臣の発言であって、その影響力の凄まじさが分かるだろう。

 では、一般人が発信源だとそれ程ではない、とも言い難い。

 昭和48(1973)年12月8日、国鉄の飯田線(愛知県豊橋市~長野県辰野町)の列車内で女子高生が先に就職が決まった友人に対し、「信用金庫は危ないよ」と揶揄からかった(*3)。

 この発言の真意は、「銀行は強盗に遭う可能性があるから危険」と言う冗談(*4)だったのだが、その後の伝言ゲームで「豊川信用金庫が倒産する」という内容に変化してしまい、その過程でアマチュア無線愛好家が無線で噂を拡散(*3)、12月13日に預金者59人が窓口に殺到し、一気に約5千万円が引き出される(*3)。

 翌日も不信感を募らせた預金者が銀行に来て、事態は深刻化(*5)。

 その日の夕方から信用金庫側から依頼を受けた報道各社が、誤報である事を報じ始めたのだが、結局、暫くの間は、誤報が無くなる事は無かった。

 これが、『豊川信用金庫事件』の顛末である。

 当時は、様々な事情が重なったが故の広がり方だったのだが、SNSやパソコン、携帯電話も無い時に伝言ゲームだけでこれ程、人々に不安を煽り、信じるのは、やはり凄まじい事だろう。

 東京渡辺銀行の例とは違い、豊川信用金庫は、その後、火消しに成功し、信頼を回復したが、失敗していた場合、相当、危なかったかもしれない。

 取り付け騒ぎ以外にも例がある。

 映画化にもなった都市伝説の一つ、『口裂け女』だ。

 この初出は、昭和53(1978)年12月初め、岐阜県を震源地に噂が起き(*6)、翌年1月26日、地元紙(*7)で報道機関デビュー、とされている。

 この噂は、全国的に広まり、全国の小中学生を震え上がらせ、昭和54(1979)年6月21日には、口裂け女を演じた模倣犯が、銃刀法違反で逮捕される等、刑事事件も起きている(*8)。

 然し、『人の噂も七十五日』とよく諺でも言う様に、時間が経てば、噂というものは、徐々に忘れ去られていくものだ。

 噂が終息したのは、昭和54(1979)年8月。

 これについては、「夏休みに入り、子供達の情報交換=口コミが途絶えた為」(*9)とされている。

 先の豊川信用金庫よりも時間はかかったものの、この時期以降、日本では、同じ様なパニックは、全国的に起きていない。

 いずれにせよ、SNS等が無くても、内容によっては、一気に誤報が拡散する例がある為、大河が意図的に流した誤報は、社会不安を土壌とした清国内には、一気に広まった。

 多くの農民は、雀等を駆除していく。

 突如、弾圧される事になった雀は、その数を減らしていき、運よく生き延びた者達は、殺生を好まぬチベット仏教の僧侶達に保護され、チベットへ亡命を果たしていく。

 史実では、殺戮を拒んだ上師ラマの僧侶の中で自殺を選ぶ者も現れた(*10)が、この異世界では、チベットは独立国家だ。

 清自体の力も弱い為、とてもじゃないが、そこに軍を回す程の余力は無い。

 なので、雀にとっては、自分達に優しいチベットは、天国であった。

 その後、チベットの農業が発展していく事は言う迄も無い。

 第二の矢、カルト教団も機能している。

 政情不安定に付け込んだカルト教団が各地で乱立。

 中には、武装闘争を図る過激派も誕生し、清を攻撃し始めた。

 これに加えて、明の残党も勢力を盛り返していく。

 北京では、公然と清の役人や官僚が暗殺されるテロ事件が多発。

 お膝元である北京でさえ、管理し切れていない事を露呈した清を更に苦しめたのが、阿片である。

 国内は混乱状態、国も弱体化の一途を辿る中、多くの民衆は、現実逃避の為に阿片に手を出したのである。

 町中に中毒者が溢れ、清は、暗黒郷ディストピアまっしぐらなのであった。

 清の皇帝・ヌルハチは、裏で動く大河に気付いていた。

(あの者か……)

 暗殺事件以降、不気味な程、静まり返っているが、伝え聞く限りの性格だと、ほぼ確実に一連の混乱を裏で操っているだろう。

 初代皇帝としても、自分の代で終わらせる訳には、いかない。

 然し、一度、テロを否定した以上、日ノ本は、友好条約締結には、興味も示さないだろう。

(……どうしたものか)

 日ノ本は、大陸への進出に否定的なので、清の提示した領土割譲案には、納得しないだろう。

 だが、アラスカや布哇等を占領している為、一切、興味が無いとは言い切れない。

「……」

 世界地図でスペインを見る。

 日ノ本と一戦交えた後は、友好国だ。

 雨降って地固まる。

 スペインが矛を収めたのを見て、日ノ本も警戒心を徐々に解いた。

 ロシア皇国も同じだ。

 結局の所、早い話、和平への1番の近道は、武装解除しか無いだろう。

(……領土が駄目なら金しかないか)

 現時点で清の国家予算は、火の車だが、日ノ本と貿易すれば、黒字に転じる可能性がある。

「……」

 ヌルハチは、天を仰いだ。

 隋の時代から、日ノ本は、従属国ではない。

 対等な国である。

 一度、戦争になると、徹底的に敵を叩くが、基本的に、中国歴代王朝と戦ったのは、白村江の戦(663年)位だろう。

 あの時も戦後、日ノ本と唐は、素早く和解した。

 ―――

 665年、戦後処理の為、唐から官吏が来日。

 同年、官吏を送る為、日ノ本側は、実質上の遣唐使を派遣。

 667年、唐の武将、日ノ本の捕虜を送還(*11)。

 669年、天智天皇、正式に遣唐使を派遣。

 これは、670年頃に唐が日ノ本に派兵する、という噂が立っていた為、その真偽を確かめる為の諜報員、と見られている(*12)。

 671年、2千人の唐兵と百済人、上陸(*11)。

     捕虜返還を前提とした唐への軍事協力が目的?(*11)

 684年、豪族や官吏等が帰国。

    →記録書に書かれている戦後初の捕虜帰還。

 707年、多数の捕虜が帰国(*13)。

 その後、894年の遣唐使廃止迄、日唐間は、盛んに交流していく。

 ―――

 この際、両国は、正式に平和条約の様な取り決めは結んでいないのだが、その後、目立った対立は見られない為、雨降って地固まったのだろう。

(唐が成功したのだから……我が国も可能性はある筈)

 尤も、白村江では、唐は戦勝国。

 今回の清は、敗戦国なので、明確な違いがあるのだが、兎にも角にも、国家再建の為には、日ノ本の和解は、急務だ。

 問題は、どうやって和解するかである。

 日ノ本の事実上の支配者である大河が、無欲を謳い、更に大陸への興味が一切無い事から、賠償金以外しか候補が思いつかない。

 もし、賠償金が拒否されたら、清は、もう滅亡覚悟で日ノ本と再戦するしか道は残っていない。

 それ位、今や瀕死であった。

(そもそもあの馬鹿が単独で、行うからこうなるんだ)

 愛国的行動は賞賛したい所だが、結果的に劣勢になっている為、清にとってはいい迷惑だ。

 逆に失敗していて良かったかもしれない。

 大河を暗殺していたら、日ノ本の国民の間で反清感情が爆発させ、一気に、派兵という可能性も十分に考えられるからだ。

 実際、大河を国父として崇めているイスラエル王国では、反清感情の下、清との戦争を主張する者も多い。

 日ノ本の友好国であるイスラエル王国は、当然、軍備も最先端であり、練度も高い。

 弱体化が激しい清軍は、あっという間に壊滅されるのは、目に見えている。

 内陸からは、イスラエル王国が。

 海から日ノ本が攻めてきた場合、清は、もうお手上げだ。

 独ソの挟撃に遭ったポーランドの様に、一気に敗戦するだろう。

 ヌルハチは、窓の向こうにあるであろう、日ノ本を見た。

(フビライ・ハンの元が2回攻めて2回とも撃退した国……まさに神の国だな)

 その後、ヌルハチの勅令により、密使が派遣され、本格的に日ノ本との国交正常化交渉が始まるのであった。


[参考文献・出典]

 *1:楊継縄 『毛沢東 大躍進秘録』

    訳・伊藤正 田口佐紀子 多田麻美 文藝春秋 2012年

 *2:大阪毎日新聞 1927年3月15日

 *3:「デマの研究--愛知県豊川信用金庫"取り付け"騒ぎの現地調査(概論・諸事実

    稿)」『総合ジャ-ナリズム研究』第11巻第3号 東京社 1974年7月

    伊藤陽一 小川浩一 榊博文

 *4:関谷直也『風評被害 そのメカニズムを考える』光文社〈光文社新書〉2011年

 *5:沼田健哉「流言の社会心理学」『桃山学院大学社会学論集』第22巻第2号

    桃山学院大学総合研究所 1989年

 *6:「流行語 51年~55年」『不確実・多様化への旅立ち』1億人の昭和史16

    毎日新聞社 1980年 稲垣吉彦

 *7:岐阜日日新聞(現・岐阜新聞) 1979年1月26日

 *8:「怪談を生む“都市伝説”ゲーム」『歴史読本 臨時増刊 特集 異界の日本史

    鬼・天狗・妖怪の謎』新人物往来社 1989年 大塚英志 編・野村敏晴

 *9:並木伸一郎『最強の都市伝説』経済界 2007年

 *10:『餓鬼ハングリー・ゴースト 秘密にされた毛沢東中国の飢饉』

    ジャスパーベッカー 訳・川勝貴美 中央公論新社 1999年

 *11:『日本書紀』

 *12:『三国史記』

 *13:『続日本紀』慶雲4年5月

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