第514話 才子多病

 4人が仕官して以降、暗号化された手紙でやり取りしていた黒田官兵衛であったが、

(……最近、情報力が弱いな)

 どうも、送られ来るものが、

『~だろう』

『~思われる』

『~とされる』

 ものばかりで、曖昧なものばかり。

 もう少し、断定的な情報が欲しい。

(……骨抜きにされたか?)

 でなければ、いきなりこれは、考え難いだろう。

 若しくは、監禁されて代筆者が居るのか。

(……骨抜きにされていたら、ヤバいな。一応、身を隠さなければ)

 国家保安委員会の事だ。

 4人から既に情報提供を受け、自分を探しているかもしれない。

 兵を集めている訳ではないが、大河は、が御得意だ。

 ―――

『刑法第208条【凶器準備集合罪】

 2第1項

 2人以上の物が他人の生命,身体又は財産に対して共同して害を加える目的で集合した場合において,凶器を準備して又はその準備があることを知って集合した者は,2年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する。


 2第2項

 前項の場合において,凶器を準備して又はその準備があることを知って人を集合させた者は,3年以下の懲役に処する』(*1)

 ―――

 といった法律を適用させて、簡単に逮捕及び立件している。

 大河の目の仇になれば、刑務所入りは確実だ。

 又、凶器準備集合罪は、死刑の対象外だが、大河の匙加減次第では、大審院(現・最高裁判所)をも動かすことが出来る。

 病死、事故死と、死刑以外で獄死は、幾らでも可能だ。

(土牢に入る位ならば……挙兵か、暗殺か)

 死なば諸共だ。

「……」

 官兵衛は、疑心暗鬼になっていた。


 万和5(1580)年5月4日。

 この日は、黄金週間ゴールデンウィークに入る前日だけあって、世間は、そわそわとした空気だ。

 酉二刻(現・午後5時半~午後6時)になった途端、朝顔は、立ち上がった。

「さぁ、行くわよ」

 大河の首根っこを掴み、あっという間に退室。

 擦れ違う近衛前久が驚くのも関わらず、御所前に停めていた馬車に飛び乗った。

「陛下に御挨拶してくて大丈夫か?」

「お昼に貴方の分も含めてしたわ」

「はぁ」

「鶫、御願い」

「御意」

 御者・鶫が手綱を引く。

 馬が歩き出した。

「楽しみ?」

「勿論」

 朝顔は、上機嫌だ。

 久々の長期休暇である。

 楽しみでない訳が無い。

「陛下に悪いから、亀岡でお土産を買おう。何が良いかな?」

「名物が良いと思う。地酒とか」

 亀岡名物は、以下の通り。

『・ぼたん鍋

 ・地酒

 ・たけのこ

 ・鮎

 ・犬甘野蕎麦いぬかんのそば

 ・丹波松茸

 ・丹波栗

 ・小豆

 ・米

 ・亀岡牛

 ・焼き物』(*2)

  帝の嗜好は、分からないが、地酒は名案だろう。

  問題は、

「陛下ってお酒、御飲みになるのか?」

 歴史的には、明治天皇(1852~1912)が酒豪であった、とされる。

 ―――

『特にシャンパンが好きで、一晩で2本空けて、転倒したこともあったといわれる。

 但し、酒癖が余りよろしくなかった。

 明治22(1889)年、嘉仁親王(後の大正天皇 1879~1926)が無事に立太子した時。男子に恵まれなかった天皇はこのことを痛く喜び、宴会で快調に杯を干し、絡み酒に及んだ。

「お前は幼名を勇麿と云つた。其名に対しても酒位飲めぬことはない。是非飲め」

 侍従・日野西資博の幼名にかけて、酒を強要してきたのだ。

 天皇のお酌だから、断われない。

 日野西は、これで日本酒を3杯程飲まされたという。

 そんな天皇だから、酒乱の臣下にも寛容だった。

 立太子を祝う別の宴では、黒田清隆が泥酔し、元幕臣の榎本武揚を見て、

「陛下、此席に賊が居ります」

 等と言い、その後も、

「賊が居る、賊が居る」

 と盛んにいって、危うく喧嘩に発展しそうになった。

 とんでもない不祥事だが、特にお咎めもなかった』(*3)

 ―――

 晩年には、糖尿病を患い、枢密院会議中に寝てしまい「坐睡三度に及べり」と侍従に愚痴り、心配される(*4)明治天皇だが、若しかしたら、この酒豪が死期を早めたかもしれない。

 日露戦争後、世界中から名君と激賞されるのだが、この様な逸話を見る限り、とても人間味に溢れているだろう。

 朝顔が、答えた。

「多分、飲める筈」

「……」

 大河は、考える。

「お体の事を考えて、松茸か牛が良いかな?」

「そう?」

「うん。余り酒はね。若し、下戸だったら、問題だし」

 下戸だった場合、大河が贈った地酒を表向きには、大層、喜び、その場で御飲みになられ、倒れる事が考えられる。

 似た様な話が昭和の名優にある。

 ある時、高倉健(1931~2014)が、お世話になっている俳優の先輩・若山富三郎(1929~1992)に日頃の御礼を兼ねて、一升瓶を贈った。

 下戸だったのだが、若山は戸惑いながらもそれを隠し、高倉の前でラッパ飲み。

 その直後、卒倒し、その日の撮影が中止になり、高倉は、只管ひたすら、平身低頭で謝罪した、という(*5)。

 帝も若山同様、同じ事をするかもしれない。

 その為、酒以外の物を選んだのであった。

「好色家は問題だけど、大楠公だいなんこう以来の忠臣振りは、認めるわ」

 朝顔は、大河の頭を撫でては、抱き締めるのであった。


 城に帰るなり、アプトが出迎える。

「御疲れ様です」

 それから、上着を脱がした。

「何も不備は無い?」

「はい。今日も平和でした」

「それは、良かった。子供達は?」

「国立校で体育の授業があり、それで疲れた様で、今お休みされています」

「分かった」

 道理で静かな訳だ。

 帰ると、大抵は、伊万、摩阿姫、豪姫、与免、累、心愛辺りが何時もなら騒がしく出迎える筈だから。

「失礼します」

 今度は、与祢が足袋を脱がせる。

 自分で出来るのだが、させないと、侍女の仕事が無い。

 与祢もやりたがっている為、させない訳にはいかない。

「何時も有難う」

「いえいえ♡」

 与祢は、笑顔で背伸びする。

 撫でろ、という意味だ。

「忠臣だ」

「忠臣よ」

 朝顔もそれに加わり、2人から撫でられる。

「陛下?」

「良いから、そのままで」

「……はい♡」

 朝顔から直々に触れられるのは、滅多に無い事だ。

 彼女自身、如何とも思っていないのだが、当然、周囲は気を遣う。

 その為、城内では、基本的に近衛大将である大河位しか触れる事が出来ない。

 尤も、大河自身も夫婦間の接触スキンシップ以外では、極力、触れない様、配慮している訳だが。

「ふにゃ~」

 変な声を出しつつ、与祢は倒れた。

 床にぶつかる寸前に大河が抱きとめる。

「どうしたの?」

「多分、緊張した様だ」

 と、言いつつも、大河は、正解を知っていた。

 与祢が卒倒した理由は、恐らく、朝顔から発せられる雰囲気オーラだろう。

「私の所為?」

 気にする朝顔。

 こればかりは、遺伝的先天的なものの為、改善は、ほぼ不可能だ。

 朝顔が気にしない様、大河は咄嗟に嘘を吐く。

「ただ、疲れているだけだよ」

「そうなのかな? じゃあ、休ませて」

「分かってるよ」

 この状態だと、今後の仕事も出来ないだろう。

 少なくとも、今日は、休ませた方が、得策だ。

「珠」

「は」

「頼んだ」

「御意」

 珠に与祢を引き渡し、大河は、朝顔と共に天守へ上がっていく。

 人払いをした上で、非常階段を使い、ひっそりと。

 その間、2人は、手を繋いでいる。

「「……」」

 会話はほぼ無い。

 多妻になって以降、この様な時間は、非常に貴重だ。

 途中で朝顔が、立ち止まる。

「疲れた?」

「ええ。御免なさい。貴方程体力は無くて」

「良いよ」

 大河と朝顔は、座り、夕焼けを眺める。

「……私って嫉妬深い?」

「いいや、正常だよ」

「じゃあ、貴方が異常?」

「そうだろうな」

 これだけ沢山の美女を囲いながら、新妻を作るのだ。

 異常、としか言い様が無い。

「……」

 朝顔は、しな垂れかかる。

 何時もは、誾千代や謙信が行っている様に。

「……もうさ」

「うん」

「……両立は難しいかも」

「公務?」

「うん……疲れちゃった」

「……分かった」

 朝顔を抱き寄せる。

「じゃあ、今後は、専業主婦って事?」

「それが夢かな? 子供達に囲まれて暮らしたい」

「……」

「貴方は、如何思う?」

 問い掛ける朝顔の目には、涙がうっすらある。

「そりゃあ、専業主婦になって欲しいよ。公務を格好良くこなす姿も良いけど、それ程、心身疲労ならば、無理する事は無い」

「……良かった」

 公家に相談しても慰留される事は分かり切っている。

 家族には、恥ずかしくて相談し辛い内容だ。

 そんな中で、常に味方であるのは、大河。

 望み通りの答えに朝顔は、安堵する。

「私は……多分、歴代の帝の中で最も精神的に弱いかもしれない」

「……自分を責めるな。頑張っているよ」

「有難う」

 到頭、朝顔は泣きだす。

 大河は抱き締める。

「頑張り過ぎる時代じゃない。無理に頑張る事は無い。黄金週間でしっかり休んで、今後を考え様」

「……うん」

 朝顔は、大河の胸の中で泣く。

 一心同体の橋姫が、告げた。

『貴方、もう限界みたい』

(やっぱり?)

『ええ。このままだと、その……適応障害とか鬱病を患うかも』

(……)

 この手の事は、本来、医師の方が詳しいのだが、残念ながら、医学の素人である大河にも分かる位、朝顔は疲弊していた。

 皇族は、言わずもがな、人間だ。

 ―――

冷泉れいぜい天皇(950~1011)

 皇太子時代以来、気の病(現・精神障害)により奇行が目立つ、と大江匡房おおえのまさふさ(1041~1111)の『江記』等に以下の出来事が記される。

・足が傷つくのも全く構わず、1日中蹴鞠を続けた。

・幼い頃、父帝(村上天皇)に手紙の返事として、陰茎の絵を送りつける。

・清涼殿近くの番小屋の屋根の上に座り込んだ。

・病気で床に伏していた時、大声で歌を歌っていた。

・退位後に住んでいた御所が火事になった折、避難時に牛車の中で大声で歌う。

大鏡おおかがみ』では、こうなった理由を、「外戚の地位を奪われた藤原 元方ふじわらのもとかた(888~953)の祟り」としている。

君仁親王きみひとしんのう(1125~1143)

 生まれながら病弱で自力で床から起き上がる事も出来なかった。

『筋あり骨なし』(*6)

 誕生翌年の魚味始を行った以外、行事を一切行う事が出来なかった。

 又、生涯会話を行う事も出来なかったという。

貞愛親王妃利子女王さだなるしんのうひ としこじょおう(1858~1927)

 日露戦争(1904~1905)後、脳の病気を患い、公務が不可能になった(*7)。

 ―――

 その為、朝顔も病気にならない保証は何一つ無い。

(陛下に御相談だな)

 こればかりは、大河1人では、決定出来ない。

『少し魔法を使うね?』

(ああ、癒してくれ)

 余り魔法に頼るのはよく無いが、心労は、中々、回復するのは、難しい。

 橋姫が、治癒を始めると、朝顔の血色が良くなっていく。

 それでも、少しだ。

 天狗と鬼の能力を持つ橋姫の力でそれなのだから、どれ程難しい事は分かるだろう。

「……zzz」

 癒されたのが契機か、朝顔は寝息を立て始める。

 夕焼けは、やがて真っ暗闇に変貌していた。

「お休み」

 大河は、その額に優しく接吻する。

「……へへ」

 にへら、と朝顔は、笑うのであった。


[参考文献・出典]

 *1:弁護法人あいち刑事事件総合法律事務所 HP 一部改定

 *2:亀岡市                HP

 *3:現代ビジネス             HP 2018年11月3日 一部改定

 *4:保坂正康 『崩御と即位』 新潮文庫 2011年

 *5:ウィキペディア

 *6:『台記』

 *7:高松宮家『幟仁親王行実』高松宮家 1933年

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