第474話 唇歯之国

 細くて群がって生える竹や笹の総称を『篠竹しのだけ』と呼ぶ。

 その篠竹を束ねて突き下ろす様に細かい物が集まって飛んでくる事を『篠突く』という。

 これから転じて、激しく降る大雨は、その様な光景から『篠突く雨』と表現する場合がある(*1)。


 ザー!!!

 1時間に80mmと言った具合だろうか。

 一行はそんな篠突く雨の中、停車させていた馬車まで歩き、それに乗り込む。

「凄い雨だな」

「兄者、兄者。拭いて♡」

「はいよ」

 手巾で、大河はお江の濡れた髪の毛を拭く。

「兄上、申し訳御座いません。甘えん坊で―――」

「良いよ」

 濡れた犬をタオルで拭くかの様に、大河はそつなくこなしていく。

 ゴロゴロ……

 雷も鳴り出した。

 落雷に遭う前に帰りたい所だ。

「「真田様♡」」

 稲姫、松姫を抱っこしつつ、馬車に揺られる。

 それぞれ、左膝と右膝を占拠している。

 2人共は着替えて、今は、チャイナドレスだ。

 スリットから見える太腿が眩しい。

「稲」

「はい♡」

「それだけの腕があるなら、提案なんだが、警備責任者になってくれないか?」

「!」

 アプトは、驚いて見た。

 警備責任者―――つまり、専属用心棒の長になる、という事だ。

「千様との兼務があるけど?」

「千、稲を貰っても良いかい?」

「良いですわよ。兼務ですよね?」

「ああ」

 普段なら根回しする筈の大河だが、それだけ稲姫の実力を認めている証拠だろう。

 でなければ、鶫等の意見を聞かずに採用するのは、考え難い。

「父上も喜びますわ」

 稲姫が微笑んだ。

 その時、

「うわ」

「きゃ!」

「何?」

 馬車が急停車し、客車が震度7並に揺れた。

 アプトが顔を窓から出した。

「小太郎、何?」

「聖下が……」

「はい?」

「聖下が……居ます」

「……」

 その震えた呟きに大河も思わず顔を出す。

「!」

 そして、ギョッとする。

 馬車の前にずぶ濡れのヨハンナが、立っていたから。


 ヨハンナと気付いた大河の反応は、早かった。

「珠、手巾の用意を!」

「は、はい!」

「アプト、御茶の用意をしろ!」

「は!」

 それから、勢いよく飛び出していく。

 雷雨の中、直ぐにずぶ濡れになる。

 雷に遭う確率は、資料によって異なるが、NOAA米国海洋大気庁の落雷情報サイトによれば、落雷で感電死する確率は、隕石よりも低い、という。

 1年間で計算すると、77万5千分の1~100万分の1とも、紹介されている(*2)。

 ただ、あなどなかれ。

 日本では、過去、延長8(930)6月26日に菅原道真の祟りとされる、清涼殿落雷事件(*3)が起き、


 大納言民部卿・藤原清貫       →衣服に引火した上に胸を焼かれて即死。

 右中弁内蔵頭・平希世        →顔を焼かれて瀕死状態後、死亡。

 右兵衛佐うひょうのすけ・美努忠包→髪を焼かれて死亡。

               紀蔭連 →腹を焼かれて悶え苦しみ、死亡。

               安曇宗仁→膝を焼かれて立てなくなった後、死亡。

               近衛兵 →2名死亡。

 醍醐天皇           →惨状を見て体調不良になり、その後、崩御。


 と、合計7人が亡くなり(醍醐天皇を関連死とすると、8人)、醍醐天皇の死期をも早めた。

 近年では、「世界で最も稲妻が多い場所」としてギネスブックに載っている(2014年登録)ベネズエラのマラカイボ湖で、日本のプロ野球チームにも所属していた事があるベネズエラ人投手が、水上オートバイクを操縦中、落雷に遭い、死亡している事から、確率論を甘く見てはならない。

 大河は、引手繰ひったくる様に、ヨハンナを抱き抱え、馬車に連れ込む。

 字面と状況だけ見たら、誘拐犯っぽいが、その体は低体温の症状が表れていた。

 大河が、頬を軽く叩いても、無反応。

 脈を診ても、致死性の不整脈が出ている。

 自発呼吸も無い。


①痛みを加えても反応しなくなる

②致死性の不整脈が出てくる

③自発呼吸がなくなる


 この3点は、低体温の中でも最も悪い高度低体温の症状だ(*4)。

「小太郎、飛ばせ!」

「は!」

 小太郎は、鞭を振るう。

「ヒヒーン!」

 馬は、いななき、城へと急ぐ。


 城に到着すると、直ぐに医療体制が整った部屋で、橋姫が診る。

 松姫も加わり、2人は、必死に治療に当たる。

 珠から連絡を受けたマリアは、必死に部屋で祈った。

「おお、主よ……」

 彼女達が頑張る中、大河は、ヨハンナの行動歴を確認していた。

「左近、聖下は、教会を抜け出したのか?」

「はい。恥ずかしながら、我々の監視網を掻い潜り……申し訳御座いません」

 深々と頭を下げた。

 その姿は、死を覚悟している様で、左近は、死に装束に短刀を用意している。

 北条攻めに遅刻し、羽柴秀吉の怒りを買った伊達政宗の様に。

 不手際の責任を負い、死を覚悟しているのだ。

「怒っていない。無事だったんだから」

 大河は、誾千代と幸姫を侍らせつつ、続ける。

「処分は無い。これまでの貢献度に免じてな」

「……有難う御座います」

「今回の事を報じ様とする瓦版が居たら理由を作って発行停止にしろ。情報拡大を防げ。良いな?」

「は!」

 左近は最敬礼し、去っていく。

「貴方、聖下は何故、あんな場所に?」

「さぁな」

 誾千代の額に接吻する。

「ただ、何かしら精神的な事があったんだろう。じゃなきゃ、浮浪者にはならんよ」

「……」

 今度は、幸姫が口を開く。

「治る?」

「分からん」

 幸姫の額に同様に行う。

「ただ、無事を祈るよ」

 今回の事は、朝顔と謙信には、伝えられていない。

 翌日、建国記念の日の国家的行事が控えている為、伝えるならば、行事終了後が適切だろう。

 大河は、村上茶を飲む。

「誾千代」

「うん?」

「言いたくないが……別れるなら今の内だからな?」

「急に何?」

「貴方?」

 2人は、訝しむ。

「ヨハンナが亡くなった時の責任だよ。俺が最初に矢面になる。んで、次は、正妻の誾だ。分かるよな?」

「あー、そういう事」

「……」

 誾千代は納得し、幸姫は俯いた。

 ヨハンナは、広義で朝顔と同格のだ。

 そんな高位な者をこの様な事で死なせたら、一家の恥である。

 最悪、外交問題に発展しかねない。

「別れないよ。死ぬまで」

「……分かった」

 大河は、誾千代を強く抱き締める。

 それから幸姫も忘れない。

 大河は、2人を感じつつ、ヨハンナを想う。

(無事で居てくれよ)

 と。


 大河達の想いが通じたのか。

 橋姫の魔力の御蔭か。

 松姫達の必死の看護も加わったのか。

 兎にも角にも、日付が変わった頃に、ヨハンナは息を吹き返した。

 その報せを聞きつけた大河は、直ぐに珠を向かわせる。

 自分が行かないのは、守護使不入しゅごしふにゅうの関係で極力、宗教施設には立ち寄らない様にしていた。

 ヨハンナの事を気にしつつ、朝、御所に出発する。

「……祝日だな?」

「だね」

 和装の誾千代は、緊張した面持ちだ。

 2月11日、建国記念の日。

 史実でこの日が制定されたのは、明治6(1873)年。

 何故、この日が建国記念の日になったのかというと、皇紀元年元日に神武天皇が、初代天皇に御即位されたからだ(*5)。

 この日付を後にグレゴリオ暦に直した結果、2月11日になった訳だ。

 戦前では明治6(1873)年~昭和23(1948)年まで『紀元節』として、国民の祝日になり、一度は廃止されたものの、昭和27(1952)年、日本がサンフランシスコ平和条約を経て主権回復した所で、復活運動が起こり、当時、野党第一党であった日本社会党が反対する等、紆余曲折した後、昭和41(1966)年6月25日、祝日法改正案が成立した。

 この異世界・日ノ本では、明治政府同様、中央集権国家体制確立の一環として、これが採用されていた。

 日ノ本全土では、祝賀ムードだ。

 日章旗と旭日旗が掲揚され、国民の多くは、和装に身を包んでいる。

 一応、服装規定ドレスコードは無いのだが、国家の日ナショナル・デーなので、国民にも民族意識が芽生えている証拠だろう。

 外国人が和装を着ても問題無い。

 日ノ本には、『郷に入っては郷に従え』という諺がある様に、外国人が和装を着ても何ら問題無い。

 現代のアメリカでは、主に白人が有色人種の文化を表現すると、文化盗用と非難される事が多いが、日ノ本は、寛容なのだ。

 今日は、一団と忙しい。

 まず、御所で式典があり、その後、奉納相撲が行われ、午後には、この日の為だけに組まれた天覧野球もある。

 国家を賛美する歌も沢山用意され、メドレーが予定されている。

 朝顔と帝は、これを朝から夜まで、こなすのだ。

 まさに分刻みなので、計時係タイムキーパーも過労死しそうな位、忙しい。

「松、聖下は?」

「マリア様が看ています」

「分かった」

 大河は頷き、御所の門を潜った。


 朝。

 現代だと公共職業安定所ハローワークが開くのと同じ位、朝、早い時間帯に式典が始まる。


『―――今年は、皇紀2240年に当たります。

今回は、何と、我が国よりも古い歴史を持つ、東アフリカ帝国の大使もお祝いに駆け付けて下さいました。心より感謝申し上げます』


 帝が頭を下げると、大使も御辞儀して返す。

 現代の日本では、日本が世界最古の歴史を持っている。

 然し、1975年までは、2番手だった。

 1位は、紀元前900年から続いていた世界最古の独立国であるエチオピア帝国である(*6)。

 但し、歴史学では、エチオピア帝国の成立年を、

・1137年

・1270年

 等と、解釈出来る為、一概にそれが正しいとは言い難いのが、実情だ。

 そのエチオピア帝国は、1934年に甥の皇太子を皇室に嫁がせる事を計画したハイレ・セラシエ1世(1892~1975)が、独裁化した事で、国力が落ち、1974年9月2日、早朝、陸軍の政変クーデターに遭い、廃位された事で、幕を閉じた。

 余談だが皇帝への怒りは凄まじくハイレ・セラシエ1世は、翌年、暗殺され、人生も終わらせてしまった(1997年、エチオピア当局の発表では、1974年の廃位直後に射殺された、と発表している為、没年には、2説ある)。

 この異世界では、東アフリカ帝国が、そのエチオピア帝国的な位置ポジションであった。

 欧米人と違い、自分達を差別しない日本人に、彼等は、好意的だ。

 東アフリカ地域を代表とする楽器の一つであるカリンバと、西アフリカ地域を代表とする楽器の一つであるジャンベが合わさり、建国記念の日を祝う歌をエチオピア人歌手が歌う。

 意外にもその曲は、演歌調であった。

 現代のエチオピアでは、驚く事に演歌が人気だ。

 その始まりは、朝鮮戦争である。

 朝鮮戦争には、アメリカ主導の国連軍の要請を受けて、当時のエチオピア帝国も派兵した。

 セラシエ1世が皇帝であり、反共主義者だった為、世界に貢献する為の派兵だろう。

 朝鮮半島に送られたエチオピア兵は全部で6037人。

 その内、122人が戦死した。

 この時、エチオピア兵は、当時、GHQの占領下であった日本で束の間の休息を過ごし、演歌にも出逢った。

 その1人が帰国後に『日本人女性と恋に落ちてJapawan Wodije』なる曲を発表。

 これがエチオピアでヒットした事により、エチオピアで演歌が浸透したのだ(*7)。

 当然、エチオピア人の琴線に触れるのだから、日本人の感性にも合い易い。

 その演歌調な音楽と歌は、朝顔や帝、公家達の心を掴んだ事は言うまでも無い。

「天晴!」

 演奏終了後、帝は落涙し、褒め称えた。

 両国の友好は、音楽を通じて更に深まるのであった。


[参考文献・出典]

 *1:語源由来辞典

 *2:マネラボ 2015年10月5日

 *3:ウィキペディア

 *4:いしゃまち 家庭の医療情報

 *5:『日本書紀』

 *6:日本初の歴史戦国ポータルサイト BUSHOO! JAPAN(武将ジャパン)

 *7:NHK BS1 『国際報道2019』 2019年8月29日

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