第467話 羅死門

 田沼意次の時代にこんな賄賂の話がある。

 ある時、田沼邸に富豪の商人から包装された京人形の箱が届いた。

 意次の家臣が開封すると、中から出て来たのは、盛装せいそうした美女であった(*1)。

 古くは、クレオパトラがカエサルに取り入る為に自ら絨毯に包まり、簀巻きにされた状態で彼の下に送り届けさせた話があるが、今回の稲姫は、どちらかというと、田沼意次の事例と同じであった。

 驚いて動けない大河に、稲姫は抱き着き、またがる。

 そして、叫んだ。

「近衛大将、討ち取ったり!」

 本田忠勝の娘だけあって、その声も力強い。

 大河の首を膝で押さえつける。

 2020年に白人警官に同様のことをされたジョージ・フロイドは、8分46秒間抑えつけられて心停止し、その後、死亡が確認された。

力の入れ具合と時間次第では、大河も死ぬだろう。

 それくらい、危険な行為だ。

 大河の苦しそうな顔に鶫が、抜刀するも、

「止めんか」

 所謂、『張飛の長坂橋の一喝』を彷彿とさせる様な大喝であった(*

(*2)。

 鶫は途端、戦意を喪失し、小太郎もクナイを落とす。

 与祢に至っては、失神してしまった。

 忠勝は長篠合戦(1575年)後、


『武田家の惜しい武将達を亡くしたと思っている。これ以後戦で血が騒ぐ事はもうないであろう』(*3)


と愚痴を溢した程の猛将だ。

 鶫達程の武人では、到底敵わない。

 久し振りに忠勝の血は、たぎっていた。

 長篠合戦以来の事だ。

「稲、婿殿が死ぬぞ」

「はーい」

 大河が心停止を起こす前に、稲姫は素直に力を弱める。

「婿殿、御質問があります」

「は? はぁ……」

「あくまでも噂なのですが、婿殿は、信玄―――信玄公の隠し子、という話を聞きました」

 言い換えたのは、大河が熱狂的な信元の信者を知っているからだろう。

 呼び捨てでは怒らないが、それでも配慮は大河としても嬉しい。

「隠し子?」

「はい。信清を知っていますか?」

「ええ。信玄公の七男ですよね?」

 信玄の六男ともされる彼は、甲州征伐前に還俗した為、織田に討たれる事は無かった。

 史実では、


還俗後に海野城城主に。

一時は米沢武田家初代当主として上杉氏の家臣になり、その際、姓を武田に戻す。

 慶長14(1613)年の大久保長安事件にて、犯人の1人として疑われるも冤罪が証明。

 亡くなったのは、寛永19(1642)年、享年83(80歳とも(*4))。

 甲州征伐で実家が滅んでいく様を見て、更に、

・本能寺の変

・関ヶ原合戦

・豊臣氏滅亡

 を目撃し、天寿を全うした頃は、徳川家光の治世。


 まさに歴史の生き証人だ。

「その信清が婿殿と世代が近いのが、噂の要因かと」

「成程」

 信清の生年は、2説ある。

・永禄3(1560)年

・永禄6(1563)年

 大河が日ノ本に上陸したのが、天正3(1575)年、当時20歳。

 同年、信清は15歳(又は12歳)なので、確かに歳が近い。

 そして、家族でも無いのに妄信的な程に信玄を信奉する姿勢が疑われたのだろう。

 年齢差で言えば、仁科盛信(信玄の五男。1557? ~1582)の方が、天正3年時点で18歳なので、こちらの方が近い。

 然し、信清よりも盛信の方が、有名だ。

 永禄4(1561)年に信玄の意向で、仁科氏の名跡を継ぎ、僅か4歳で親族100騎持の大将に就任。

 天正年間には、仁科氏の当主として越後国との国境線の警備に当たっている事から、経歴が殆ど明かされていない大河とは違い、表舞台で活躍している。

 この様な事から、


 五男・盛信

 六男・大河?  ←何等かの理由で他家に養子に出された?

 六男・葛山信貞 ←系図的には、六男

 七男・武田信清


 という陰謀論が生まれたのかもしれない。


・義経=成吉思汗チンギス・ハン

・明智光秀=天海説


 と同種と言えるだろう。

「その話が何か?」

「今回、登城したのは、稲を預ける為と武田の残党がその話を信じ、吹聴している様なので、御忠告に参りました」

「はぁ……それで、御令嬢は、結婚、と言う事ですか?」

「はい。我が殿は、より強固な関係を構築する事を考え、稲を養女にした上で、婿殿に任せたのです」

「……」

 史実の信之と同じ方法だ。

 強引過ぎる事は言う迄も無いが。 

「稲の肩書は、千の専属用心棒です。宜しく御願いします」

 大河の意見など、聞く意思は無さそうだ。

 組み伏せられたまま、大河は、溜息を吐いた。

「……分かりましたよ」


 稲姫の嫁入りは、山城真田家に衝撃を与えた。

 千姫も聞いていなかった為、寝耳に水であった。

「忠勝、何の真似?」

「祝い事です」

「そうじゃなくて―――」

「だ! だ!」

「ああ、もう!」

 元康が呼んだ為、慌てて千姫はそっちへ行く。

 エリーゼはデイビッド、お市は心愛、茶々は猿夜叉丸、謙信は累の子育てをしている中での事だ。

 まさに奇襲攻撃といって言え様。

 登城日その日に挙式が行われ、大河と稲姫は、正式な夫婦となった。

 キルギスの誘拐婚アラ・カチューの様な速度だ。

 ヨハンナ、マリア、伊万も宴会に誘われ、飲めや歌えやの大騒ぎ。

 誾千代達は、不満げだが、今回の首謀者・本多忠勝が余りにも強過ぎる為、抗議は出来ない。

 出来る者と言えば、ただ1人。

「本多よ。これはやり過ぎではないか?」

 膝の上に占拠するは、朝顔。

 山城真田家で唯一、忠勝を叱れる女性だ。

「申し訳御座いません。深い事情がありまして」

 朝顔に呼ばれ、忠勝は、瞬時に土下座。

 然し、稲姫の美しさに圧倒され、それ程、怒りは無い。

(私も総髪そうがみにしてみようかな)

 自分の髪の毛を弄りつつ、稲姫を睨む。

「……」

 稲姫も土下座しつつ、大河の手を離さない。

 イラっとするが、童顔と美女は正直、絵になる。

「今後は?」

「千様の専属用心棒です」

「……そう。頑張るのよ」

「はい」

 不安になって大河を見る。

 疲れた顔だが、朝顔の視線に気付くと、微笑む。

 そして、空いた手で髪に触れた。

「愛してるよ」

 結婚式で、他の妻にこんな事を言うのは、大河位だろう。

「……有難う♡」

 それだけで心が少し軽くなる。

 大河には、女性の不安な心を見抜く特殊能力があるのかもしれない。

「稲」

「はい♡」

「好意は嬉しい。でも、規則を破ったんだ。その分、正妻には出来ないよ?」

「構いません。その事については、自業自得なので」

「じゃあ、済まんが、席替えしてくれ」

「分かりました。ですが、その前に確認させて下さい。真田様は私の事は?」

「……好きだよ」

「有難う御座います♡」

 (∀`*ゞ)エヘヘ

 照れ笑いを浮かべつつ、稲姫は、誾千代と席替え。

「稲が主賓しゅひんじゃないの?」

「側室より正妻優先だよ」

「あら、順番を付けるの?」

「場合によっては、だよ」

 どれだけ大河が平等に接しても、公の場では、どうしてもしなければならない時がある。

 その時は、誾千代が正妻として出席するのが、半ば慣例化しつつあった。


・妻達の中で最初に結婚した最古参

・子供が居ない為、育児に追われる必要が無い


 という2点で、謙信達から事実上、推されているのも理由だろう。

「有難う♡」

 誾千代は、晴れやかな笑顔を見せるのであった。


 京都新城で宴が行われている頃、勝幡城では、

「母上……」

「この親不孝者め!」

 収監された土田御前を、信長は悲しく見詰めていた。

 大河から引き渡された彼女の処遇は、信長に一任されていた。

 檻の中の母親と会う。

 それも山姥やまうばの様な風体になった状態で。

 これ程、辛い事は無いだろう。

 土田御前は、唾を飛ばしながら怒る。

「夫と信勝を殺しよって!」

「……」

 信長は、尊属殺人には、抵抗があった。

 親しかった斎藤道三を殺害した斎藤義龍の様になりたくないからだ。

 然し、これ程の危険人物を野放しにする事は難しい。

 大河の報告によれば、蟲毒こどくを計画し、九六九軍に檄文を送り、挙兵を訴えたのだから、又、命を狙われるかもしれない。

「……蘭丸、どう思う?」

「は。上様と加害者は、血縁関係にあります。親殺しは今後、上様の名前を落とす可能性がある為、まだ血縁関係の無い真田殿に任せた方が無難かと」

「……同感だな」

 義弟に汚い仕事を押し付けたくはないが、血縁上、それが最良かもしれない。

「京に再送せよ。儂に母は要らぬ」

「は」

 土田御前を一瞥いちべつし、信長は背中を見せる。

 今生の別れだ。

 土田御前は、発狂しているのか、未だその意味を分かっていない。

「天下一の親不孝者めが!」

 牢屋毎、馬車の荷台に載せられ、土田御前は勝幡城を追い出される。

 信玄が父・信虎を追放した例があるので、別段、追放自体は、専属殺人よりかは問題視されていない。

 なので、合法だ。

 勝幡城の城門には、島左近が待っていた。

「やっぱりこうなるか」

 溜息を吐いた後、

「孫六」

「はい」

 江戸城から合流した孫六に声をかけた。

「手筈通り頼むぞ?」

「勿論です」

 コールタールの様な真っ黒な夜の中、馬車は消えていく。

 土田御前の行方は、誰も知らない。

 

[参考文献・出典]

 *1:NHK 『その時歴史が動いた』 2003年4月23日

   改革者か、悪徳老中か? 〜田沼意次、江戸の経済改革に挑む〜

 *2:『三国志』「張飛伝」

    『曹公は荊州に入り、先主は江南に奔った。

     曹公はこれを追い、1日1夜にして当陽の長阪で追いついた。

     先主は曹公が卒に至ったと聞き、妻子を棄てて走り、飛に20騎を率いて後

     を拒がせた。

     飛は水に拠り橋を断ち、目を瞑らせ矛を横たえて言った。

    「我は張益徳なり。来りて共に死を決せよ」

     敵は皆敢えて近づく者無く、故に免れるを得た』

 *3:ウィキペディア

 *4:丸島和洋「安田信清」柴辻俊六 平山優 黒田基樹 丸島和洋 編

   『武田氏家臣団人名辞典』東京堂出版 2015年

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