第426話 交通戦争

 昭和42(1967)年度制作の『チコタン』という合唱曲を御存知だろうか。

 幼い少年の「僕」が、級友の「チコタン」に恋をし、婚約者になる事を描いた合唱曲だ。

 然し、それは悲恋に終わる。

 最後の5番で「チコタン」が、突如、事故死してしまうからだ。

 余りの急展開且つ、「僕」の慟哭どうこくは、聴く者の心をえぐる。

 これは交通事故の死者数の水準が、日清戦争の日本側の戦死者数(2年間で1万7282人)を上回る勢いで増加した昭和30年代(1955~1964年)以降の一種の「戦争状態」を指した頃の日本の状況を、歌っている。

 日ノ本も急速に車社会化モータリゼーションしている為、死者数は、増加傾向だ。

 特に多いのが、


・飲酒運転

・居眠り運転


 だ。

 初めて乗る自動車にテンションが上がって、飲酒した上で、運転する場合が多いのである。

「早いねぇ~」

「だねぇ~」

 お江を肩車した大河は、頷く。

 右手には、お初。

 左手には、朝顔と繋いでいる。

 国道を走る車は、速度超過だ。

「危ないな」

「「きゃ」」

 撥ね上げた泥が被る前に俺は、2人を抱き上げる。

 2人が居た場所は、泥が覆った。

 大河の衣服の背中にも付着する。

 朝顔が用意した西陣織のスーツなのだが、洗うのが大変だ。

 与祢が怒るかもしれない。

「怪我は無い?」

「兄上、御召し物が」

「気にするな。形あるものは、いずれ汚れたり壊れる」

 大河は、本と武器以外に執着心はそれ程無い。

 極論、襤褸ぼろ以外であれば、どんな服でも着る位だ。

「お初は、大丈夫だった?」

「うん!」

 大きく頷き、お江は、大河の頭を撫でる。

「兄者の御蔭だよ」

「良かった」

 とはいう物のの、大河の目は笑っていない。

 愛妻が汚れかけたのだから、嫉妬深い夫は許すつもりは無い。

「法改正だな」


 早速、信孝と相談する。

 話を聞いた信孝は、同意した。

「そうだな。早速、関係各所に指示しよう」

「有難う御座います」

 行政の最大の問題点は、「遅い」事だろう。

 災害時には迅速に対応する癖に、普段はナマケモノ並にゆっくりだ。

 然し、大河はそれをよしとしない。

『マイ・インターン』という映画に登場する、御洒落な老紳士が、自身のSNSに掲載している程、気に入っている座右の銘が、『正しいことは迷わずやれ』である。

 その言葉通りに行うのが、大河だ。

「それともう一つ、御願いがあります」

「何だ?」

「最近、『神の軍隊』の動きが活発しています」

「そうらしいな。国家保安委員会から報告を受けた」

 バチカン市国と国交締結後、神の軍隊は、活動を再開した。

 以前同様、寺や神社、モスク、シナゴーグを攻撃し、挙句の果てには、仲間である筈の切支丹でも、気に食わなければ、標的にする始末だ。

「確か聖下の誘拐を練っているそうだな?」

「はい。組織の教祖にする事を画策しています」

「成功させるな。折角、ろーまとの友人になれたんだから。その友情を壊したくはない」

「はい」

 信者を操作するのは、政府の仕事だ。

 若し、テロが実行されれば、切支丹を刺激する可能性が大いにある。

 最悪、第二の島原の乱だ。

 又、隠居している元教皇を保護出来なかった責任問題にもなる。

「宗教戦争は、御免だ。聖下を守れ」

「は」


 二条城から帰った大河は早速、ヨハンナの警備を固める。

「不審者が居るの?」

「はい。聖下を守る為です」

「……そ」

 ヨハンナは、余り嬉しくなさそうだ。

 退位しても、やはり肩書がある以上、仕方の無いことだろう。

 ヨハンナの待遇は、退任後のアメリカの大統領と同じだ。

 バチカン市国から、


・年金と医療保険・公務出張費・個人事務所が提供される。

・要請すれば、慣例により現職の教皇と同レベルの機密情報の報告を受ける事が出来

 る。

・機密情報保持等の為、警護は一生涯続く。


「……」

 大河はちらっと、ヨハンナの背後を見た。

「「……」」

 2人のスイス人女性衛兵が、警護している。

 室内は、流石にプライバシーに配慮して、宗教警察は、立ち入らない。

 ただ、バチカン市国から派兵された彼等は、違う。

 室内でも、常に守っているのだ。

 衛兵が立ち入らないのは、

・厠

・風呂

・寝室

 と言った場所だけだろう。

 衛兵は、大河を睨み付けつつ、敵対行為に即応出来る様、常に剣に手を伸ばしている。

 一方、大河の脇を固める、

・アプト

・与祢

・鶫

・ナチュラ

・小太郎

 も、万が一に備えて、発砲出来る様、準備だけはしている。

 大河とヨハンナ。

 敵対関係にある訳ではないが、お互いの部下は、緊張状態で仕事していた。

 珠、マリアは複雑な表情だ。

「我が軍も貴軍同様、徹底的に御守り致します故、御安心を」

「では、外出は、控えた方が良い?」

「いえ、私権制限する程の事ではないので」

「え? そうなの?」

 てっきり、外出禁止の要請と思っていたヨハンナは、目をぱちくり。

 衛兵も、同じ反応だ。

「今回、訪問させて頂いたのは、御報告のみです。私権制限する気は、一切ありませんよ」

「……じゃあ、外出はしていいの?」

「ええ。自由ですから」

 自由を求めて退位した以上、束縛する事は出来ない。

 日ノ本は、民主主義国家だ。

 戦時中等の非常事態の場合以外での私権制限は、難しいし、大河としてもしたくはない。

 与祢を抱っこし、その頭を撫でる。

「それに聖下には、極力、不自由の無い生活を送って頂きたいのです」

「政治利用する気?」

 鶫が更に睨み付ける。

 それを大河は、制止しつつ、

「全然そんな事はありませんよ」

 笑って否定する。

「我が国は、聖下の後見人ではありますが、聖下を政治利用し、外交や宗教政策に影響を与える事はありません」

「……そう?」

 それ程はっきり言われれば、ヨハンナもそれ以上は、言い難い。

「若し、御不満があれば、抗議して下さい。その都度、説明又は、修正しますから」

「……分かったわ」

 与祢の顎を撫でる。

 ゴロゴロ、と猫の様に音を鳴らす。

「御報告は以上になります」

「分かったわ。じゃあね? 珠」

「はい。本日も御指導して下さり有難う御座いました」

 深々と頭を下げて、珠は大河の下へ。

「今日も勉強出来た?」

「はい。聖下の御蔭です♡」

「それは良かった」

 御辞儀直後、珠は神学生から侍女兼婚約者に早変わり。

 大河は、与祢を肩車し、アプト、珠と手を繋ぐ。

 数歩歩いた後、大河は振り向く。

「あ、そうだ。聖下、御一つ、御要望があります」

「何?」

「今後は、珠とマリアの武装も御許し頂きたいのですが?」

「「!」」

 瞬間、衛兵が抜刀した。

 数瞬、遅れて鶫達も。

 然し、双方は、それ以上、動かない。

 共にヨハンナ、大河の指示が無い限り、攻撃は出来ないのだ。

「何故?」

「聖下を守る為です」

「監視役、ではなくて?」

「解釈は、聖下にお任せしますよ。我が国は、聖下を政治利用する程、下衆ではありませんから」

「……」

「御了承頂けますか?」

「……分かったわ。安心して宗教活動出来るのも、貴方の御蔭だしね?」

 そして、2人を見た。

「珠、マリア。今度からは、武装御願いね?」

「「は」」

 2人は大きく頷いた。

 衛兵は、反対しない。

 仕事が減る、とも解釈出来るが、ヨハンナが快諾した以上、覆す事は出来ない。

 こうして、ヨハンナの警護が強化されるのであった。


「若殿、何故、あの南蛮寺には不干渉なんですか?」

 鶫が不満げに尋ねる。

 鶫は、反耶蘇の傾向が強い。

 反癩病を掲げる耶蘇教に余り良い印象が無いのだ。

 ヨハンナは、理解ある数少ない人物ではあるが。

 それとこれとは別なのである。

「若殿が管理者なのですから、もっと強く干渉しても」

「面倒臭い」

 大河は、珠とナチュラを膝に座らせ、右隣りに座らせた与祢に氷菓を食べさせ、アプトに肩もみさせつつ、答えた。

 左隣の小太郎は、バニーガールの恰好をして、大河の足を揉んでいる。

「信教の自由だよ」

「ですが―――」

「鶫。お前の神様は誰だ?」

「? 若殿です」

「じゃあ、俺が誰かに管理されたらどう思う?」

「不快です」

「そういう事だ。不必要に信者を刺激する可能性は、極力、排除しなければならない」

「……」

 珠のうなじを嗅ぎつつ、大河は、続ける。

「俺は、無神論者だが、多神論者でもあるんだよ」

 矛盾しているかもしれないが、大河は、至って真面目だ。

 もう少し詳しく説明すれば、「神様の存在は、科学的に説明が困難の為、信じてはいないが、その宗教までは、否定しない」と言った所だろう。

「耶蘇教は、排斥しないよ。反体制派になれば別だがな」

 現時点では、操作出来ている。

 大河が、耶蘇教を敵視する理由は無い。

「若殿♡ 有難う御座います♡ 耶蘇教を保護して頂いて」

 改めて、珠は礼を述べる。

 反乱以降、日ノ本での耶蘇教への感情は、すこぶる悪い。

 イエスが殺された時代のエルサレムと同じ位だろう。

 それを調整しているのが、大河だ。

 耶蘇教を生かすも殺すも彼次第である。

 珠と接吻後、俺は、与祢の手を強く握る。

「平和主義者だからな」

「……そうですね」

 鶫は、嫌々だが、納得し、小太郎と共に足を揉み始めるのであった。


 数日後、大河の机上に報告書が置かれる。


『【小野忠明】

 京都新城侵入計画立案のとがにより、処断。

 公的には、戸籍法89条に則り処分した事を、ここに報告する。

                         国家保安委員会』

 ―――

 こうして、正式に認定死亡になるのであった。

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