第395話 預言者降臨

 万和4(1579)年5月13日。

 早朝、首無し騎士が聖母に、珠の夢の中へ入っていく。

 初めての事に珠は、戸惑いを隠せない。

「聖母様……?」

 聖母は光で覆い尽くされて、姿形が分からない。

『何も怖がる事はありません。

私は何も悪い事は致しません』

「……貴方様は、何方どちらからいらしたのですか?」

『私は、天国パライソから参りました』

 夢かうつつか。

 珠は、最初の驚き様は、収束していく。

「……貴女様は、私に何をお望みで御座いますか?」

『貴女にお願いがあって参りました』

「貴女様は天国パライソからいらした? では私は、この私もそこに行けるでしょうか?」

『ええ、貴女は天国パライソへ行くでしょう』

「では、父上は?」

『ええ、天国パライソというよりは、極楽浄土ですが』

「それでは若殿も?」

『行くでしょう。

でも、その前に祈りを沢山唱えなければなりません。

貴女は、神様の御光栄を侮辱する罪の償いとして、犠牲を払う為に神様に身を捧げ、神様が皆様に送ろうとなさる苦しみを全て喜んで受け入れてくれますか?

びとの回心の為に、そして数々の冒涜と聖母の汚れなき御心に加えられたあらゆる苦しみを償う為に、苦しみを耐え忍んでくれますか?』

「はい、そう致します」

『では、皆様は多くの苦しみに耐えなければなりません。

でも、神様の恩寵ガラシャがいつも貴女達を助け守って下さるでしょう』

 珠は、居住まいを正す。

「どうか何を御望みか仰って下さいませ」

『不定期でも良いので、祈って欲しいのです。

それから毎日、唱える事も忘れずに御願いします。

勉強して字が読める様になって下さい』

「出来ましたら、同胞を死後、天国に御連れ下さいと御願いしたいのですが」

『はい、死が近い人々は、漏れなく連れて参りしょう。

でも、貴女はもっと長くこの世に留まらなければなりません。

イエス様は、私の汚れなき御心への信仰を全世界に打ち立てたいと願っておいでなのです』

「では、私は、この世に1人で残らなくてはいけないのですか?」

『いいえ、我が子よ、そんな事はありません。

それに、そんな事で悲嘆に暮れたりするのですか?

気を落としてはなりません。

私は決して貴女を見捨てたりは致しません。

私の汚れなき御心が、貴女の心の支えとなり、貴女を神様へ導く道となりましょう』

 表情は分からないが、珠には聖母が微笑んでいる様な気がした。

『いずれ貴方方あなたがたは、不思議な大きな光が夜空に輝くのを見るでしょうが、これを見たら、神様が与えたもうた印と悟りなさい。

それは、戦争と飢饉と教会や聖下への迫害が、天罰として人類に降りかかる日の近い印です。

それを防ぐ為に、どうか世界を私の汚れなき御心に奉献し、月の初の土曜日ごとに償いの聖体拝領せいたいはいりょうをするよう、御願いしたいのです』

「……はい」

 必死に一言一句覚える。

 聞き逃さない、と鬼気迫る表情の珠だ。

『もし人々が私の願いを聞き入れるなら、世界は平和となりましょう。

もし聞き入れなければ、パンドラの箱の様に一切の災厄が世界中に拡散し、戦争や教会への迫害を煽り立てるでしょう。

その為に大勢の善良な人々が大いなる苦しみを受け、聖下は多くの事を堪え忍ばねばならず、沢山の国や民族が滅びてしまうのです。

ですが最後には、私の汚れなき御心が勝利をおさめます。

世界を汚れなき御心に奉献する事は実行され、地上に平和な時代がもたらされる事でしょう……』

「他に何を御望みで御座いますか?」

『私はロザリオの聖母です。私の為にここに聖堂を建ててほしいのです』

「ここ、と申しますよ?」

『京都新城に、です』

 聖母は微笑み、珠は、再び深い意識の内に閉ざされるのであった。


 起きた珠は、真っ先に大河の下へ。

「若殿! 御神託が」

「おめでとう」

 大河は、冷静に焼き魚を食べていた。

 与祢に食事介助されている。

「あれ? 知ってたんですか?」

「今日は聖なる日だからな?」

「え?」

 味噌汁を一口啜った後、大河は、珠を抱き寄せる。

「奇跡って信じるか?」

「? ……はい」

「なら、今日は面白いぞ? 聖下の後ろに乗ろうよ」

「え? 良いんですか?」

 パパモビルには、教皇しか乗れない。

 それに同乗出来るのは、光栄な事だ。

「あ、聖下の他に両陛下、首相も御同乗なさるから」

「はい?」

「そういう事で」

 大河は、にやりと嗤う。

 悪魔の様に。

 そして、珠を体をベタベタ。

「おかずは、珠かな?」

「え? ―――きゃ!」

 首筋を舐められ、珠は震えた。

 同席していた朝顔が、苦言を呈す。

「真田、朝からは、過ぎるぞ?」

「済まんな。つい、可愛くて」

 謝っても、大河は、珠を離さない。

 心配しているのもあるのだろう。

 相手が明確に嫌がれば止めるが、それが無い限り、大河はセクハラを止めない。

「全く」

 怒る朝顔だが、以前程ではない。

 明確に結婚を受け入れた以上、この一夫多妻は、仕方の無い事だ。

 それに今日は、自分が主役である。

 嫉妬している暇はない。

「朝顔も今日は、頼んだよ?」

「行進?」

「ああ」

 頼りにされて、朝顔も喜ぶ。

 自分ながら単純な事は分かっているが、頼られないよりは、マシだ。

「そうでしょう?」

 えへん、と胸を張る。

 行進が始まれば、大河を独占出来る。

 それも楽しみの一つだ。

「良いな~。陛下と珠、若殿に愛されてて」

「羨ましがる暇があるなら、与祢。自分を磨く事よ?」

 妊娠した御腹を見せつけつつ、お市は微笑む。

 産休に入って以降、大河との交わりが無くなった彼女だが、幸せな事は変わらない。

 添い寝だけでも満足だし、何より近場に居る事が、安心感を与えてくれるからだ。

 深夜、呼んでも素っ飛んできてくれる。

 どんなに眠たくても、疲労困憊でも、だ。

 申し訳無いが、3人産んでいるとはいえ、やはり、妊娠は怖い。

 いつ破水するか、いつ流産するか。

 死産した時、立ち直れるだろうか。

 色々な不安材料の中、産まなければならない。

 そうなった時、1番頼りになるのは、夫だろう。

 大河が時々、視線を送る。

 大丈夫か? 

 と。

「……」

 お市は、その度に頷いて返す。

 阿吽の呼吸は、理想の夫婦像と言えるかもしれない。

 大河は、安心したのか、珠、朝顔、与祢を膝に乗せる。

「いやぁ、美少女の匂いと感触、溜まらんなぁ」

「変態」

 朝顔から手刀を食らうも、大河は、馬の耳に念仏。

 3人を抱擁し、愉しむのであった。


 今日の行進は、皇居と二条城、京都新城を繋ぐ経路ルート(約5㎞)だ。

 その人手は、約100万人。

 これは、昭和34(1959)年4月10日、皇太子と皇太子との結婚の行進で、皇居から渋谷常磐松の東宮仮御所までの約8・8km、約53万人の記録の約2倍に当たる。

「「「……」」」

 余りの人の多さに警視庁だけでは、足りず、臨時に雇われた警備員や、国軍の首都防衛隊も動員され、万が一に備えている。

 勿論、秘密警察も配備され、ビルの屋上には、狙撃手スナイパーが隠れ、不審者の射殺も躊躇しない。

 全て、大河の指示だ。

 帝国旅館から、皇居に行き、パパモビルに帝を乗せる。

「ほう、これが、噂の……」

 帝は、パパモビルに興味津々だ。

「真田、これは、なんだ?」

「防弾硝子、と申しまして、狙撃対策です」

「狙撃、狙われる事があるのか?」

「はい。残念ながら」

 世界で最も厳重に警護されている筈のアメリカ大統領でさえも、リンカーンやガーフィールド、ケネディと殺されている。

 絶対にという事は有り得ないのだ。

 ヨハンナも残念そうだ。

「本当は、これで区切るのは、信者に対して失礼と思いますが……仕方ありません」

 当初、ヨハンナはオープンカーを希望したが、大河が断固拒否した為、今の形だ。

 若し、オープンカーでケネディの様な事になれば、大津事件の時の比ではない。

 世界中のキリスト教圏から、日ノ本の心象が一気に下落しかねない。

「真田」

「は」 

 大河を座らさせ、その膝に乗る。

 用意された玉座ではなく、そこなのは、どうにも朝顔らしい。

 招待されたラナは、羨まし気だ。

「良いな良いな」

「じゃあ、ラナにもどうぞ」

「陛下、有難う御座います♡」

 2人で大河を共有。

 まるで物扱いだが、当事者に不快感は無い。

 それ所か、嬉しそうだ。

 運転手に任命された珠は、エチケット袋を忘れない。

(事故ったら死罪……あわわわわ)

 今にも吐きそうだが、隠し持っていた御守りに触れる。

 すると、不思議と緊張感が和らぐ。

 中身は、大河から贈られた『勇気』という揮毫きごうが入っている。

 これは、朝、貰ったものだ。

 助手席には、アプトが居る。

 珠が離脱した用の代理だ。

 警備は居ない。

 大河のみ、という非常に安上がりな警備は、当然、バチカン側が難色を示しているが、防弾硝子なので、滅多な事は起き難いだろう。

 真ん中の席にヨハンナは、帝と並んで座る。

 教皇と帝。

 世紀の2Sツーショットであろう。

 大河が写真家ならば、連写したい所だが、生憎、彼は、写真家ではなかった。

 2人の前には、ケータリングとして、

・御茶

・紅茶

・和菓子

・洋菓子

 が用意されている。

 念の為、酔い止めの薬も。

 これ程の厚遇は、皆、大河と光秀の指示だ。

 光秀は、後続の車で行進に参加している。

 主役は、ヨハンナであって饗応役ではない。

 然し、立場上、参加しなければならない。

 熟考した上でのこの立ち位置ポジションだ。

「若殿」

「ああ、アプト、頼んだ」

「珠」

「は」

 アプトの指示で、珠は、ハンドルを握った。

 時速5㎞は、約1時間後に経路を全て周り終える予定になっている。

 余りにもゆっくりとした速度なので、観衆は、じっくり見る事が出来る。

「「「陛下~」」」

「「「聖下~」」」

「「「王女様~」」」

 やはり、1番人気は朝顔、帝、ヨハンナ、ラナの4人だろう。

 大河見たさのファンも少なからず居るが、この4人の人気には、敵わない。

 行進が始まった。

 大河の保守派を追い落とす作戦も。

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