第394話 聖母ノ出現

 万和4(1579)年5月。

 食中毒で苦しんでいた保守派の多くは、病床から巻き返しを図った。

(この苦しみは、教皇を女性にした事による神罰に違いない)

 と、思っての事だ。

 密かに神の軍隊を率いるマルコと接触する。

「聖下を暗殺するんですか?」

 驚きの提案にマルコは、驚愕した。

「そうだ。貴様も教皇が女性だと教義に反する事は、分かっているだろう?」

「そうですが……然し、聖下を手にかけるのは、『なんじ、殺すなかれ』に反するのでは?」

「それは、貴様達も同じだろう? 異教徒を殺害しているではないか?」

 要するにどっちもどっちなのである。

「死ぬのは、奴等だ。奴等の死こそ、我等が求める愛の世界なのだ」

「……」

「決行日は、13日だ。かずの日に送ってやろう」

「……は」

 マルコは、悩みつつ、頷いた。

 彼も教皇が女性なのは、疑問視していたからだ。

(……神よ、どうすれば良いでしょうか?)

 教義か、殺人か。

 決断に迫られ、脂汗が止まらぬマルコであった。


 保守派と神の軍隊の接触を、大河は、好機チャンスと捉えた。

「渡りに船だな」

「何が?」

 エリーゼが、デイビッドに母乳を与えつつ、尋ねた。

「保守派とテロ組織を同時に潰す事が出来る」

「一石二鳥って訳ね?」

「そういう事だ」

 デイビッドの頭を撫でる。

「だー!」

 嬉しそうに笑った。

 この笑顔を見れば、どんな疲れも一瞬で吹き飛びそうだ。

 合法的な麻薬と言え様。

「でも、保守派が巻き返すってあれ、みたいね?」

「8月政変クーデター?」

「そ。あの時は。失敗したけど、今回はどうなるかしら?」

 1991年8月19日。

 崩壊間近のソ連を維持する為に、ソ連を構成する共和国に今まで以上強い権限を与えつつ、ソ連を維持する事を図った新連邦条約締結を翌日に控えたこの日、政変が起きた。

 犯人は、副大統領のゲンナジー・ヤナーエフ(1937~2010)が属する保守派。

 彼等は、ゴルバチョフ(1931~2022)を軟禁する事に成功したものの、市民の支持を得られず、失敗。

 更にソ連の解体を加速させる原因の一つになってしまった。

「失敗にさせるさ」

「え? どういう事?」

「政変を逆に利用する」

「つまり?」

「バチカンの保守派を一掃し、逆に改革派が占める様にするんだ」

「!」

 バチカンの支配。

 それは、キリスト教への敵対行為だ。

「……戦争に、ならない?」

「こっちは、カトリックに嫌がらせされているんだ。帝国に手を出した以上、をせにゃならんだろう?」

「……」

 返し、というのは、暴力団用語で「報復」を意味する。

 今の大河は、ヤクザの様に恐ろしい笑みを浮かべていた。

「エリーゼは、反対するか?」

「……いや。別にどうでも良い。キリスト教徒は、ユダヤ教徒を迫害するからね。今の聖下は、お優しくて慈悲深いから好きだけど、それ以外は、興味無い」

 現実的だ。

 ヨハンナではないが、ユダヤ人の教皇に対する心象は、賛否両論であろう。

 その代表的な人物が、260代教皇のピウス12世(1876~1956)である。

 彼は、ホロコーストを知りながら公然と非難しなかった為、”ヒトラーの教皇”と呼ばれる場合がある(*1)。

 但し、反ユダヤ主義者であった訳では無く、ナチスがイタリアに進駐した際には、多くのユダヤ人にバチカンの市民権を与え、匿った(*2)。

 イスラエルは後者を評価し、ピウス12世に対し、杉原千畝で有名な『諸国民の中の人の正義の人』を贈っている。

 当然、ヒトラーはピウス12世のユダヤ人保護を快く思っておらず、彼の拉致を計画するも、現地の責任者である武装親衛隊大将のカール・ヴォルフが、「悪影響が大き過ぎる」との理由で見送った。

 ヒトラーとヴォルフの仲が悪かった事もあるのかもしれないが、若し、ナチスが教皇を拉致していれば、欧州各国でキリスト教徒の暴動が起き、ナチスの降伏が早まっただろう。

 2020年、バチカンはピウス12世の資料を公開した。

 現在の教皇が、2019年に公開を決め、教皇庁研究者に対し、「教会は歴史を恐れていない」と述べている事から、黙認していた可能性が浮上した。

 ドイツのミュンスター大学の教授は、「ピウス12世がユダヤ教徒殺害を知っていた事は疑い様がない」としている(*1)。

 この様な経緯から、エリーゼは余り、教皇に好印象が無い。

「若し、ユダヤ人にも投票出来る権利があるのならば、ユダヤ人にも好意的な教皇が良いわ」

「そうだな」

 エリーゼ、デイビッドの額に順番に接吻していく。

「だwww」

 無邪気に笑う息子に、大河も心が穏やかになるのであった。


 首無し騎士は、橋姫と酒を酌み交わす。

 会話は、騎士に口が無い為、騎士は筆談である。

「まさか、貴女が聖母様だったとはね?」

 首無し騎士は、頬を掻く仕草をする。

『サプライズでこの姿で来日したんだけど、真田に興奮されて参っちゃったよ』

「あの人は、女性なら首無しでも興奮するたちなのよ」

『業が深いね?』

「全くだよ。多分、戦争で異常者になっちゃんだろうけども」

『彼が切支丹キリシタンなら、奇跡を起こせるのに』

「あの人が欲しいのは、女性だけだよ」

『まぁ、汚らわしい』

 笑い合う2人。

『まぁ、その日、聖母として姿を現すから、根回し御願いね?』

「分かったわ」

 突如、異教の聖母が登場すると、日本古来の神々は、驚いてしまう。

 その為に、事前に説明するのが、橋姫の役割だ。

 2人は、盃を鳴らし合う。

 来るべき、出現の日を待ち望みつつ。


[参考文献・出典]

*1:BBC NEWS JAPAN 2020年3月3日

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