第382話 復活祭

 万和4(1579)年4月中旬。

 この日は、復活祭であった。

 復活祭は現代式の華やかな雰囲気があるが、日本では、16世紀の時点で既に行われていた。

 当時の開催例は、以下の通り(*1)。


・1564年に平戸の度島(長崎県)。


・1581年3月21日にキリシタン大名・高山右近統治下の高槻で行われた復活祭は、畿内のキリスト教信者1万数千名が集う大規模な祭典であった(*2)。


 もっとも、日本は、非キリスト教国である為、復活祭に宗教色はそれ程強くない。

 又、馴染み辛いのも以下の理由が、指摘されている(*3)。

①時期が悪い事

 桜(ソメイヨシノ)の花見、卒業・入学、歓送迎会シーズンに当たり、それらに合わせて既存の販売促進行事も集中する為、復活祭商戦が入り込む余地が無い。

②日付が毎年変動

 宗派によって日付も違う。


 日ノ本でもハロウィンやバレンタインデーは、国民から受け入れてられているが、復活祭だけは、やはり、反応が悪い。

 1番の理由は、4月8日が灌仏会かんぶつえである事だろう。

 仏教徒の過激派は大河の弾圧により、灰燼はいじんと帰したが、仏教への信仰心が失われた訳ではない。

 未だに寺はあるし、僧侶も尼僧も殺傷されたりする事は無い。

 あくまでも粛清されたのは、過激派だけであって、一般の信者は権利が保障されているのだ。

 彼等は、投票権を持ち、自分の気持ち次第で他の有権者同様、政治家を落とす事も出来る。

 沢山の檀家を持つ僧侶の支持を貰えれば、大票田にも成り得る。

 これが、民主国家・日ノ本の姿なのだ。

 帝から直々に近年の日ノ本の情勢を聞いたヨハンナは、まさに目から鱗だ。

「貴国は、宗教国家でもあるんですね?」

「宗教国家か如何かは、僕には分かりかねますが、戦国時代と比べると遥かに住み易くなりましたよ」

 毎日、どこかで合戦が起き、死傷が絶えなかった。

 武士の強硬派も内乱でほぼ壊滅した。

 争いが絶えない欧州からすると、羨ましい限りだろう。

 2人の会談は、世界的に注目を集め、皇居前広場には、臨時の記者の詰所が設置されていた。

「ここは、どうなっている?」

「これはですね?」

「―――」

「―――」

「―――」

「―――」

 日本語の他に、

・ラテン語

・フランス語

・英語

・イタリア語

・スペイン語

等、様々な言語が飛び交う。

 世界がこれ程注目するのは、キリスト教のトップと、日ノ本の民族宗教の事実上のトップとの世界初の会談であるからだ。

 昨今の日本趣味ジャポニズムの影響で、神道は大きく注目を集めている。

 特に、

・山の神様

・台所の神様

厠神かわやがみ(=トイレの神様)

 といった八百万の神々の考え方は、彼等には、未だ聞いた事が無い。

 驚くのは、米粒にも神様が居る、という点だろう。

 極論、何でもあり感は否めないが。

全ての物に敬意を払うという表れ、とも言え様。

「今後の御予定は?」

「貴国の文化を堪能したいですね。何れ返礼として、陛下にも我が国に御招待出来れば、と思っています」

「有難う御座います。その際は、是非、楽しみたいと思います」

 現実問題、帝が海外に行くのは、公家の了承を得なければ難しい。

 事実上の国家元首ではあるものの、全て独断で決める事は出来ないのだ。

「陛下にお尋ねしたいのですが、何故、貴国には皇帝が2人もいらっしゃるのでしょうか?」

 帝は、微笑む。

「僕には、この日ノ本を背負うには、荷が重いので、経験者が居れば、何かと安心なんですよ」

 多くの君主制の国々では、終身制を採っており、崩御された際に代替わりになる。

 その為、皇帝が2人も居る日ノ本は、世界的には、非常に珍しい。

 然も、政治的権力を有していないのだから、それがより、混乱させ易い。

「聖下同様、僕達に政治的な権力は何一つ無いんですよ。仕事は、この国の国民の為に祈り、平和に尽くす事です」

「……以前、強権を発動させた、と聞きましたが?」

「よく御存知ですね。あの時は、非常事態でした」

 遠い目の帝である。

 普段から律しているのだから、苦渋の決断だった事は、想像に難くない。

「軍が暴走しかけたので、それを止めたのです。忠臣の説得が無ければ、僕は決断出来なかったでしょう」

「忠臣?」

「真田ですよ。よーろっぱの方々には、真田が天から降りて来た様な事が言われている様ですが、僕自身、そう思いますね。まるで、異世界から来た様です」

「……」

 帝は、人と会う前にその人の事を知る為に報告書を見る。

 仕事でもある為、仕方の無い事なのだが、それでも膨大な報告書を読み、覚えるのは、非常に疲れる事だ。

 大河=異世界人説は、その時、知ったのだろう。

 尤も、口振りからするに、あくまでも噂程度に過ぎない、と思っている様だが。

「恥ずかしながら、あの時、何も出来なければ、我が国の歴史は終わっていたかもしれません。その瀬戸際の中、勅令を発したのは、あの愛国者の御蔭です。あの様な中心が居てくれて助かりましたよ」

「……私にも、その様な部下が欲しいですね」

 枢機卿全員は、ヨハンナをとしか見ていない。

 否、多くの信者もそうだろう。

 何せカトリックは、女性が司祭職に就く事が出来ないから。

 神という言葉が、それを如実に表している。

 その点、プロテスタントでは、女性牧師は教派によっては認められている。

 又、牧師は司祭と違って結婚する事も出来る。

 最近ではカトリックからプロテスタントに改宗する人々も多い。

 人々は前時代的なカトリックより、時代に見合ったプロテスタントに選び出したのだ。

 信者数が減っても、多くの司祭は危機感を持たず、金のなる木を探すのみ。

 ルターの様な改革者が現れるのは、当然の事だろう。

 時間が来た。

「陛下と会う事が出来、非常に貴重な経験を得る事が出来ました」

「こちらもです」

 2人は握手し、会談を終えるのであった。


 ヨハンナの京での移動は、大河が開発したオープンカーだ。

 所謂、教皇神輿を模範に造られた、『パパモビル』である。

 自動車の荷台部分を改造し、教皇が立ったり座ったり出来る空間が確保されている。

 壁や屋根も取っ払われおり、あるのは、硝子だけ。

 360度、どこからも教皇を見る事が出来る特別車だ。

 本当は、製造の際、警備上の理由から屋根が付いた物が計画されていたのだが、事前にサトーを通して、教皇庁に確認した所、「福音伝道に暴力は無い」との回答を得た為、この様な形になったのである。

「凄いな……」

 寄贈されたそれに、ヨハンナは呟いた。

 同行する枢機卿も、唖然とするばかりだ。

 黄禍論を主張する一部の枢機卿でさえ、開いた口が塞がらない。

 自動車の存在は入京時点で、見てはいたが、いざそれを贈られるとなると、嬉しさより驚きが勝った様だ。

 大河は、ひざまずいていた。

「聖下に御贈りする事が出来、光栄であります」

 初対面で自動車を贈答されるとは、誰が予想出来るか。

 欧州では大河は反キリスト主義者、と非常に評判が悪いが、こうされると、非難も出来ない。

 大河を嫌っていた枢機卿も黙り込むしかない。

「……貴殿が、真田か?」

「はい。同席させて頂いて非常に緊張しています」

 と、言いつつ、声は震えていない。

 嘘か、演技で抑えているのかは分からない。

 それでも、教皇を前に冷静沈着な一般人は、珍しい事だ。

 彼等が居るのは、帝国旅館の会場である。

 わざわざ室内にまで、パパモビルを運び込む辺り、大河の御持て成しの熱の度合いが分かるだろう。

 一向に目を合わせない。

 敬意の表れなのだろうが、逆に不敬にも感じられる。

 難しい問題だ。

「真田、見ろ」

「はい」

 すっと、顔を見る。

 想像した以上に若い。

 いや、幼い、とも言えそうだ。

 東洋人は、西洋人と比べて年齢不詳な場合がある。

 現代でもMLBに移籍した日本人が、現地人に幼く見られない様に髭を伸ばすのが、見受けられる。

「……若いな? 幾つだ?」

「20です」

 本当はもっと上だが、最近では、これで通している。

 エリーゼには、「詐欺師」と言われているが、この時代の感覚に合わせた物なので、別に20歳でも構わないだろう。

「ほお、その歳で、皇帝の最側近か。素晴らしいな」

「有難う御座います」

「失礼します」

 白頭巾を被った侍女がやって来た。

 アバヤの白verの様に見える。

 侍女は、ヨハンナに一礼後、大河に耳打ち。

「(若殿、陛下が御呼びです)」

「分かった。直ぐに行く」

 侍女は再び、一礼し、去っていく。

「貴国のイスラム教徒は、白いアバヤなのか?」

「いえ、彼女はイスラム教徒ではありません」

 大河は、はっきりと告げた。

「癩病です」

「な、何と……?」

「「「ひ」」」

 枢機卿達は、恐れ戦いた。

 欧州では、癩病への偏見が凄まじい(*3)。

 

英       1347年、患者隔離法

 西       1284年、患者隔離法 1477年、癩管理制度

 スコットランド 12世紀、バロー法

 仏       1371年、患者取締令

 ノルウェー   1487年、患者隔離令

 デンマーク   1443年、1478年、患者隔離令

 イタリア    患者取締令 *都市ごと

 

 枢機卿達は差別するが、ヨハンナは違う。

「随分と親し気そうだな?」

「は。愛人でもありますので」

「「「!」」」

 汚らわしい、と思ったのか、枢機卿達はドン引き顔だ。

「感染が怖くないのか?」

「滅多な事では感染しませんので」

「ほう」

 自信満々に言う大河にヨハンナは、感心した。

「そうか。じゃあ、会いたい」


[参考文献・出典]

*1:ルイス・フロイス『日本史』第50章

*2:北國新聞2002年2月5日

*3:ウィキペディア

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