第383話 魂ノ救済

 突如、指名された鶫は困惑ばかりであった。

「私、ですか?」

「聖下が御興味を持った様だ。ま、会いたくなければ良いけど」

「……」

 迷った挙句、鶫は頷く。

「行きます」

「そうか。無理はするなよ?」

「はい」

 足取り重く、退室していく。

 大河と一緒に居たかったのだだろう。

「鶫」

「はい?」

「愛してるよ」

 白頭巾を脱がし、接吻。

「……若殿?」

「元気、出た?」

「……はい♡」

「じゃあ。頑張ってき」

「はいです♡」

 敬礼し、今度はスキップで行く。

 分かり易い性格だ。

 大河は和みつつ、元居た場所に戻る。

 寝台には、夜着の妻達が。

 珠、与祢、アプト、小太郎、ナチュラ、華姫も一緒だ。

 これ程の大人数が同衾出来る寝台は、世界でこれ一つだけだろう。

「鶫は、どうして呼ばれたの?」

 朝顔が問うた。

「聖下は、癩病らいびょうに興味を御持ちなんだと」

「そうなんだ。理解が深まると良いねぇ」

 そう言いつつ、朝顔は、大河を押し倒し、胸筋に顔を埋める。

「聖下の匂いがするわ」

 まだ、ヨハンナと会っていない為、興味津々だ。

 予定では帝との会見後、信孝と会食し、最後に朝顔と会う事になっている。

 この間、日ノ本全土をも周る為、帰国するのは夏頃だ。

「本当、良い匂い」

「……」

 誾千代、謙信もクンカクンカに加わる。

「何の香水、使っているんだろう? 兄者、分かる?」

「さぁな。ただ、向こうは、入浴の文化が無いからな」

「え? そうなの?」

「そうだよ。だから、香水があるんだよ」

 16~19世紀までの欧州(特に仏)では、入浴すると梅毒等の病気になり易いと信じられた為、国王ですら一生に3回しか入浴しなかったという記録がある程、入浴という行為が一般的ではなかった。

 その為、香水は体臭消しとして発達していった。

 又、なめし革の臭いを取る為にも使われた(*1)。

 この入浴しない文化は、悪夢を生んでいる。

 黒死病の時代、入浴の習慣の無い欧州の間では流行したが、入浴の習慣を先祖から受け継いできたユダヤ人は中々感染しなかった。

 この事から「ユダヤ人が毒を盛った」と疑われ、各地でユダヤ人に対する虐殺が起きた(*2)。

 この事から、若し、黒死病が日本に入って来ても、ユダヤ人同様、それ程被害が無かったかもしれない。

「うへぇ~」

 露骨に嫌な顔をする与祢。

 欧州人=不潔、という印象を抱いたのかもしれない。

 その欧州人であるエリーゼは、苦笑いだ。

 日本人が漫画等で憧れを抱く花の都、パリでも、18世紀は汚物塗れであった。

 ただ、エリーゼの肩を持つ訳ではないが、一応、説明しなければならない。

「与祢、そんな顔するな。洗髪の頻度、どの位?」

「? 毎日ですけど?」

「そうだな。でも、昔は?」

「う……」

 言葉に詰まる。

 日ノ本では、大河の御蔭でほぼ毎日、洗髪が出来る様になった。

 然し、それ以前は、何と1であった。

 日本での洗髪の頻度の歴史は、以下の通り(*3)。


 平安時代  :年1回程

 江戸時代  :月1~2回(最も高頻度な江戸の女性で)

 昭和戦後  :月1~2回

 昭和30年頃 :1回/5日

 1980年代  :2~3回/週

 1990年代半ば:ほぼ毎日(10~20代女性)

 2015年   :ほぼ毎日(10~50代女性)


 大河は、与祢の頭を撫でる。

「感情を持つな、とは言わん。ただ、偏見は持っちゃ駄目だからな?」

「……はい」

 叱られてシュンとする。

「大丈夫よ」

 幸姫が与祢を抱っこ。

「真田様は、叱っている訳じゃないから」

「そうですよ」

「真田様は、お優しいですからね♡」

 松姫、阿国もフォローするのであった。


 枢機卿達の反対を他所に、ヨハンナは、白頭巾を脱いだ鶫と会う。

「……本当に癩病らいびょうなんですね」

「申し訳御座いません。御見苦しい姿で」

「いえ、責めていませんよ」

 ヨハンナは、微笑む。

 歴史上の人物でも、発症している為、別段、驚く程ではない。

 その中で最も有名なのは、エルサレム王ボードゥアン4世(1161~1185)だろう。

 幼少の頃に発病した。

 然し、13歳で即位して以来24歳で没するまで、勢力を増大させていたサラディンに自ら戦場に出て戦い続け、存命中、エルサレム王国の独立を守った。

 その功績は、後世の歴史家からも高く評価されている。

 

『その苦痛と克己に満ちた姿は、十字軍の全史を通じても、恐らくは最も高貴な姿であろう。英雄の雄姿は、うみきずに覆われながらも、聖人の面影を宿している。

このフランスが生んだ王の純粋な肖像を不当な忘却の彼方から引き出して、マルクス・アウレリウス賢帝やルイ聖王の傍らに置きたい』(*4)

 

 アクリル板を間に2人は、話す。

 本当はこんな仕切り等、取っ払いたい所だが、鶫の配慮だ。

 大河が幾ら感染し難い、と言っても、やはり教皇を発症させたくはない。

 最低限度の距離は、必要不可欠だろう。

「真田とは、どのくらいなの?」

「? と、言いますと?」

「愛人と聞きました。本当に愛されているんですか?」

 馬鹿にしたニュアンスではない。

 純粋に癩病らいびょう患者を愛人にする大河が疑問なのだ。

「はい……」

 頬を染める。

 肉体関係もあるのだろう。

 マリアは、「手を出された事は無い」と言っていたが、大河はちゃんと侍女にも手を出している様だ。

 鶫が嫌がっていなさそうな所を見ると、両想いなのだろう。

「……真田は、癩病らいびょうを本当に嫌わないんだな?」

「はい」

 きずを見せる。

 薄いが目立つ。

 昔は、もっと目立っていたのだろう。

「若殿が、私の為に開発して下さった化粧品の御蔭で大分薄まりました」

「! 開発? 真田は、発明家なのか?」

「はい。これまで、衣服、武器等の開発に大きく携わっています」

「……天才だな」

 天を仰ぐ。

 大河が、その気になれば、世界征服も可能だろう。

 ヨハンナの脳裏に新約聖書のある章が連想される。

 ―――

『パリサイ人とサドカイ人とが近寄ってきて、イエスを試み、天からの印を見せてもらいたいと言った。

 イエスは彼等に言われた、

「貴方方は夕方になると、

『空が真っ赤だから、晴だ』

 と言い、また明け方には、

『空が曇って真っ赤だから、今日は荒れだ』

 と言う。

 貴方方は空の模様を見分ける事を知りながら、時の印を見分ける事が出来ないのか。

 邪悪で不義な時代は、印を求める。

 印、ヨナの印の他には、何の印も与えられないであろう」

 そして、イエスは彼等を後に残して立ち去られた。

 弟子達は向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた。

 そこでイエスは言われた、

「パリサイ人とサドカイ人とのパン種を、よくよく警戒せよ」

 弟子達は、これは自分達がパンを持ってこなかった為であろうと言って、互に論じ合った。

 イエスはそれと知って言われた、

「信仰の薄い者達よ、何故パンが無いからだと互に論じ合っているのか。

 未だ分からないのか。

 覚えていないのか。

 五つのパンを5千人に分けた時、幾かご拾ったか。

 又、七つのパンを4千人に分けた時、幾かご拾ったか。

 私が言ったのは、パンについてではない事を、どうして悟らないのか。

 只、パリサイ人とサドカイ人とのパン種を警戒しなさい」

 その時彼等は、イエスが警戒せよと言われたのは、パン種の事ではなく、パリサイ人とサドカイ人との教の事であると悟った。

 イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれた時、弟子達に尋ねて言われた、「人々は人の子を誰と言っているか」

 彼等は言った、

「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。

 然し、他の人達は、エリヤだと言い、又、エレミヤ或いは預言者の1人だ、と言っている者もあります」

 そこでイエスは彼等に言われた、

「それでは、貴方方は私達を誰と言うか?」

 シモン・ペテロが答えて言った、

「貴方こそ、生ける神の子キリストです」

 すると、イエスは彼に向かって言われた、

「バルヨナ・シモン、貴方は幸いである。

 貴方にこの事を表したのは、血肉ではなく、天に居ます私の父である。

 そこで、私も貴方に言う。

 貴方はペテロである。

 そして、私はこの岩の上に私の教会を建て様。

 黄泉の力もそれに打ち勝つ事は無い。

 私は、貴方に天国の鍵を授け様。

 そして、貴方が地上で繋ぐ事は、天でも繋がれ、貴方が地上で解く事は天でも解かれるであろう」

 その時、イエスは、自分がキリストである事を誰にも言ってはいけないと、弟子達を戒められた。

 この時から、イエスは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者達から多くの苦しみを受け、殺され、そして3日目に蘇るべき事を、弟子達に示し始められた。

 すると、ペテロはイエスを脇へ引き寄せて、諫め始め、

「主よ、とんでもない事です。

 そんな事がある筈は御座いません」

 と言った。

 イエスは振り向いて、ペテロに言われた、

「サタンよ、引きさがれ。

 私の邪魔をする者だ。貴方は神の事を思わないで、人の事を思っている」

 それからイエスは弟子達に言われた、

「誰でも私についてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、私に従ってきなさい。

 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、私の為に自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。

 たとい人が全世界を設けても、自分の命を損したら、何の得になろうか。

 又、人はどんな代価を払って、その命を買い戻す事が出来様か。

 人の子は父の栄光の内に、御使達を従えて来るが、その時には、実際の行いに応じて、其々に報いるであろう。

 よく聞いておくがよい、人の子が御国の力をもって来るのを見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中に居る」』(*5)

 ―――

 これが、癩病らいびょうへのキリスト教徒の救済だろう。

 今までの隔離措置は、間違っていた。

 鶫と会った事で、癩病らいびょう患者も同じ人間である事が、分かったヨハンナは、決心した。

(帰国後、早急に改革せねば)


[参考文献・出典]

*1:ウィキペディア

*2:『ユダヤの力(パワー)-ユダヤ人はなぜ頭がいいのか、なぜ成功するのか!』(知的生きかた文庫) 加瀬英明

*3:花王 HP

*4:ルネ・グルッセ  『十字軍』 白水社文庫クセジュ 1954年

*5:新約聖書 マタイによる福音書 16章

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