第372話 高山流水

 食客のマリアを連れて、帰京する一行。

 万和4(1579)年3月の事である。

 帰郷後、大河は直ぐに浅井家の屋敷を訪れていた。

 家臣団にお市の懐妊を改めて報告する為だ。

「まさか、本当に御懐妊とは……」

「有難う御座います。大殿も、草葉の陰で御喜びかと」

 家臣団は、先に国営紙の報道で知ってはいたが、半信半疑であった。

 仕方ないだろう。

 最後にお江を出産して以降、何の兆候も無かったのだから。

 お市は、家臣団に一礼後、長政の肖像画に語り掛ける。

「貴方―――長政様、又、女の子が出来ましたよ。義理の娘になります」

『……』

 肖像画の長政は、微笑を浮かべたまま。

 喜んでいるのか、怒っているのかは、分からない。

 それでも、お市も家臣団も、彼が喜んでいる、と思っている。

 子供が3人共、女の子でも怒らなかった人だ。

 4人目も女の子であっても、子供には変わりない。

 お市が前夫としている頃、大河はというと、

「綺麗だなぁ~」

「ですね~」

 縁側で大河は、お江を抱っこし、お初から肩もみされていた。

 茶々は、猿夜叉丸に授乳しているが、大河の横から離れる事は無い。

 彼等が見ているのは、屋敷の庭に琵琶湖を模して造られた池。

 鯉が泳ぎ、月が水面に映っている。

 カコン。

 鹿おどしも風流だ。

 雪が少し残っているのも良い。

「……だ!」

「ん?」

 御腹一杯になったのか、猿夜叉丸は大河の下へ。

「だ!」

「ああ、綺麗だな?」

「だ!」

「うん。あれが、『御月様』って言うんだよ?」

 お江が気を遣って、離れ様とするが、

「不要だよ」

 大河に捕まり、右膝に収まる。

 猿夜叉丸は左膝だ。

「兄者は、親馬鹿ですね?」

「何が?」

「だって、こんなにも子供を愛しているんですから」

「父親だからな。なぁ?」

「だー♡」

 猿夜叉丸が、よだれでスーツを汚しても、大河は怒らない。

 赤子は汚すのが、当たり前、とでも考えているのであろう。

「あーあ。兄上、御着替えを―――」

「必要ない」

「でも―――」

「これも親子愛だよ」

 寧ろ、嬉しそうだ。

「お初」

 茶々が呼ぶ。

「姉上?」

「(貴女もまだ若いわね?)」

「え?」

 囁く茶々も又、笑顔だ。

「(あの時機で着替えたら、猿夜叉丸も傷付くかもしれないでしょう?)」

「あ……」

「(真田様は、相手が誰であっても、対等に接しますから)」

「……」

 大河は、猿夜叉丸の頭を撫でる。

「月は好きか?」

「だ!」

「うん。あそこにはね。兎が住んでいるんだよ」

 所謂、『玉兎ぎょくと』(月兎げつと』の話だ。

 その逸話は、悲しい。

 

『猿、狐、兎の3匹が、山の中で力尽きて倒れているみすぼらしい老人に出逢った。

 3匹は老人を助け様と考えた。

 猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、其々老人に食料として与えた。

 然し、兎だけは、どんなに苦労しても何も採ってくる事が出来なかった。

 自分の非力さを嘆いた兎は、何とか老人を助けたいと考えた挙句、猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだ。

 その姿を見た老人は、帝釈天としての正体を現し、兎の捨て身の慈悲行を後世まで伝える為、兎を月へと昇らせた。

 月に見える兎の姿の周囲に煙状の影が見えるのは、兎が自らの身を焼いた際の煙だという』(*1)(*2)

 

 この話は大河が道徳の授業の教材にしている為、知らない者は居ない。

「……」

 猿夜叉丸は、話を思い出したのか、涙を流す。

 良い子だ。

 将来は、僧侶辺りが適職かもしれない。

 茶々も又、武将にさせるのは、躊躇ためらいがあるかもしれない。

「兎さん、可哀想?」

「……だ」

「そうだな。でもな。兎さんもな、助けたかったんだよ。その気持ちだけは、認めてあげるんだぞ?」

「だ……」

 大河が目配せすると、

「……どうぞ」

 お初が御餅を持って来た、

 これが、本当の月見である。

 その後、お市も合流し、一同は月見を楽しむのであった。


 寝室も用意されている為、大河は遠慮なく泊まる。

 浅井家は山城真田家の家臣に当たる為、命令しても何ら問題無い。

 寝室は、30畳位の大部屋。

 大きいのは、宿泊者が彼等だけでないからだ。

 アプト、与祢、珠も当然の如く帯同し、更に彼女達とは別に、愛人達も居る。

 大河を挟むのは、お市と茶々。

 右腕をお初。

 左腕をお江が枕にしている。

 猿夜叉丸は浅井家の家臣団が、交互に看る為、ここには居ない。

 現代日本だと世話するのは夫婦だけだが、ここでは大所帯の為、夫婦が世話で寝不足になる事は少ない。

(……寝れない)

 大河は、意外と神経質な所がある。

 好色家だが、時々、人が多いと眠れなくなる事があるのだ。

 もっとも、不眠症、というレベルではないが。

 腕枕の姉妹を起こさない様に、慎重に抜いて、抜き足差し足忍び足。

 こういう時は、眠くなるまで散歩するのが、習慣だ。

 縁側を歩いていると、

 ♪

 美しい笛の音が何処からともなく聞こえて来た。

 耳を澄ますと、正確な音源は分からないが、結構距離は近い。

 ここで一般人ならば、その音に聞き惚れるばかりだろうが、大河は玄人プロフェッショナルだ。

 演奏者が必死に隠す殺意に気付いていた。

(成程な)

 恐らく演奏者、又は敵は武田信玄の死因の異説を模範にしたのだろう。

 史実での彼の死因に関しては、


・持病の労咳(肺結核)、肺炎(*3)

・胃癌若しくは食道癌による病死説(*4)


 が有力だ。

 この他、


・日本住血吸虫病

 も見解の一つにあるが、兎にも角にも病死である事は、事実である。

 然し、一つだけ、興味深い異説がある。

 それは、江戸時代の新井白石が『藩翰譜はんかんふ』(*5)に記した、


・三河野田城攻城における狙撃が元で死去説


 だ。

 これは、信玄が三方ヶ原で家康を打ち破った後に3万の軍勢を率いて、徳川方・菅沼定盈(1542~1604)の守る野田城(守備隊500)を攻撃した、野田城の戦い(1573年1~2月)の時の事である。

 この時、野田城を包囲した信玄は、笛の名手・松村芳休が毎晩奏でる笛に心を奪われていた、という。

 そして、その美しい音色に誘われて信玄が堀端の床几に座った所を、定盈の家臣・鳥居三左衛門に狙撃された。

 この事は、『松平記』(1535 年、尾張「森山崩れ」から1579 年の徳川家康夫人築山殿自害までの諸事件を年代順に収めた家伝)にも記載されている。

 この時、信玄を撃ったとされる火縄銃は『信玄砲』として愛知県新城市の指定文化財となっており『設楽原歴史資料館』に展示され、野田城址には、その逸話を伝える説明版が設置され、観光名所の一つになっている(*6)。

 信玄程の人物が、その様な危険な行為をするとは考え難いが、この合戦の僅か2か月後に彼は亡くなっている事は、紛れも無い事実だ。

 歴史は、常に勝者側目線の歴史でもある為、三方ヶ原の恥を拭う為、徳川側が創作した可能性も考えられるが、真相は定かではない。

 今回の演奏者の近くに狙撃手は居る事を、大河は、気配で感じ取っていた。

 そして、火縄銃が撃たれる。

 大河は、瞬時に遮蔽物に背を預け、サーマルカメラが内蔵されたサングラスをかける。

 開発者は、平賀源内だ。

 何れ、特殊部隊等に採用される最新のスパイ・グッズと言え様。

(……あんな高所から)

 猿の様にじ登ったのか。

 狙撃手は、木の上に居た。

 拡大してみると、笛を咥えている。

 1人2役とは、予想外であったが、見付けた以上、逃しはしない。

 縁側の下から銃架を取り出し、ドラグノフ狙撃銃を用意。

 そして、標的

を見定めて撃つ。

「うぐ!」

 被弾した狙撃手は、真っ逆さま。

 池に落ちた。

 真っ赤に染まる水面に、大河は手榴弾を放り込む。

 ふちにて起き上がろうした狙撃手は、爆発を諸に食らい、四肢が吹き飛ぶ。

 芋虫の如く、手足を失った狙撃手に、大河は近付き、

「さぁ、拷問の時間だぜ?」

 チカチーロ並の邪悪な笑みを浮かべるのであった。


[参考文献・出典]

*1:『本生譚ジャータカ

*2:『今昔物語集』

*3:侍医御宿監物書状

*4:『甲陽軍鑑』

*5:1702年 家伝・系譜書

*6:じゃらん 野田城址

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