第361話 功徳風呂

 万和4(1579)年2月14日。

 バレンタインデーである。

「貴方♡」

「有難う♡」

 誾千代からチョコレートを渡され、大河は、満面の笑み。

 商業化の為の行事イベントだが、今日こんにちでは、日ノ本には、無くてはならない特別スペシャルな日になりつつある。

「本当は、塗りたくって、の様にしたかったのだけれども」

「恥ずかしかった?」

「まぁね」

 誾千代24歳。

 現代感覚では、まだまだ若いが、この時代では、もう母親の年齢だ。

 流石に自制心が働いたのだろう。

 誾千代がしたかったのは、クレオパトラの『裸絨毯はだかじゅうたん』。


 当時、20歳の彼女は、2まわり以上年上のカエサル(52)を懐柔する為に、文字通り一肌脱いだ。

 一糸纏いっしまとわぬ姿になって、奴隷達の助けを借りて大きな絨毯(ベッドシーツ説もあり)の中に包まり、それをカエサルへの贈り物として届けさせた。

 奴隷がカエサルの部屋の扉をノックし、「贈り物をお届けに上がりました」と言って、彼の寝台の足元に絨毯を広げると、裸のクレオパトラが現われ、カエサルをベッドに誘ったという(*1)。


「チョコレート塗れの誾も見たかったなぁ」

「まぁ♡」

 イチャイチャしつつ、大河は、謙信からも受け取る。

「ホワイトチョコレート?」

「そうよ。本当は、『毘沙門天』と彫りたかったのだけれども、やっぱり、不敬だから止めたわ」

「賢明だ」

 誰がそんな畏怖の詰まったチョコレートを食べれるだろうか。

 謙信らしいが、時々、過激化し、方法を誤りそうだ。

 そんな感じで敬われる毘沙門天も苦笑いだろう。

 他の女性陣からも贈られ、大河の目の前には、チョコレートの山が出来上がる。

「「「「だー♡」」」」

 累、デイビッド、元康、猿夜叉丸のよだれが止まらない。

 流石に量が多い為、贈呈式後は皆で御食事会だ。

 量以外にも、大河が1人で食べないのは、チョコレートの原料となるカカオに微量であるが、『テオブロミン』という毒素が含まれているからだ。

 カカオをチョコレートに加工した場合、0・5~2・7%のテオブロミンが含まれている。

 テオブロミンを過剰に摂取すると、

・消化不良

・脱水症状

・過度の興奮

・心拍数の低下

 が起こり、これを俗に『チョコレート中毒』と呼ぶ。

 人間等の代謝の高い動物は普通に摂取しただけでは何ら問題がない成分だが、犬等の代謝が悪い動物では少量でチョコレート中毒を起こしてしまう。

 もっとも人間でも、短時間で85枚の板チョコを食べると、致死量に値する(*2)。

 山城真田家の女性陣が作ったその量は、約20㎏。

 1人約1人の計算の様だが、大河が1人で摂れば、中毒になる事は必至だ。

「アプト、済まんが、切ってくれ。1人5枚位の板でな?」

「余りますけど?」

「余り物は、家臣団に贈ってくれ。市民にも分けても良い」

「え~。全部、食べないの?」

 顔中、チョコレート塗れにしたお江が不満顔。

 頑張って作ったのに、大河の口に入らないのは、残念だろう。

「気持ちだけでも御腹一杯だよ」

「きゃははは♡」

 頬を舐められ、お江は、悦ぶ。

 機械で裁断し、板チョコになったものが、運ばれてくる。

 見た目は既製品の様だが、皆が心を込めて作ったものだ。

 決してぞんざいに扱ってはならない。

「貴方♡ はい、あ~ん♡」

 朝顔に食べさせられる。

 ほんわかした感じだが、大河には、「食え、オラ」と脅迫されている様に感じられた。

 以前の説教以来、朝顔に無意識に恐怖心を抱いてしまった様だ。

 朝顔>誾千代>謙信……

 と、序列的には、こんな感じだろうか。

 朝顔に食べさせられつつ、大河はある事を思い付く。

「あー、アプト、さっきの分けるのは、家臣団だけで」

「? 分かりました」

「他は、お風呂にし様」

「え?」

「チョコレート風呂だよ。美肌とか様々な効果が―――」

「「「やれ」」」

 謙信、エリーゼ、幸姫が素早く反応した。

 他の女性陣も「美肌」と聞いて目の色が変わる。

「兄者、本当?」

「ああ。らしいぞ」

「じゃあ、やろう」

 御食事会は、短時間で終わるのであった。


 チョコレート風呂の起源は、神奈川県にある温泉施設とされる。

 その効果は、主に以下の三つが言われている。


・美肌効果

 入浴で体が温まると、血行が良くなる。

 それにより、細胞の隅々迄酸素や栄養が運ばれ、二酸化炭素や老廃物を体の外に排出される。

 血行不良になると、この働きが円滑に行われずに、肌のトラブルが起きても修復が上手くされなくなる。

 然し、血行が良いと肌の修復もスムーズになり、美肌効果を期待する事が出来る。


・デトックス効果

 チョコレートには、抗酸化力の高い「ポリフェノール」という成分が豊富に含まれている。

 血液をサラサラにしてくれる効果だけでなく、チョコレートは食べる事で、脂肪の吸収を抑制したり、便秘を解消したりする働きもあるといわれている。

 又、水分や老廃物も外に排出して浮腫むくみを解消してくれる働きや、体の中に不要な物が蓄積されない様にしてくれる働きがある。


・ダイエット効果

 細胞に脂肪が蓄積して、リンパの流れが悪くなると、老廃物がしっかりと排出されなくなる。

 ここから更に、脂肪が肥大化して変形すると「セルライト」が出来る。

 セルライトは硬く、これを柔らかくして分解するのは難しいといわれているが、入浴して体を温めれば、この分解を促してくれる。

 老廃物が体に蓄積されるのを抑える事は、ダイエットにも繋がる(*3)。


 チョコレートを全身に塗りたくった女性陣は、その効果に期待していた。

「甘いね」

 朝顔もし〇かちゃんの様に手足に塗っている。

「食べても美味い。体にも良い。まさに仏様からの贈答品ね?」

 入浴しつつ、松姫は合掌。

 流石、尼僧だ。

「だ~!」

 ハイテンションでデイビッドは、泳いでいた。

 元康、累、猿夜叉丸も続く。

 4人が泳いでいるのは、底が浅い子供用のお風呂。

 アプト、珠、与祢が交代で監視している為。事故が起きても直ぐに対処される。

 大河は、死海の様に浮き、楽しんでいた。

 風呂は好きだが、チョコレートは初めてだ。

 体臭もチョコレートの匂いになるかもしれない。

 楠が泳いで来る。

「甘いお風呂、初めてよ」

「そうだな。気に入った?」

「好きだけど、1回だけで良いかも。肌触り、余り好みじゃないから。御免ね?」

「良いよ。十人十色だから」

 全員が全員、同じ考えならば、それは独裁国家だ。

 何でも100%は、有り得ない。

 人間である以上、嗜好が様々なのは、覆す事は困難な事実である。

「……ん?」

 視界の隅で鶫が入浴を躊躇っていた。

 癩病らいびょうを気にしているのだろう。

「……よいしょ」

「あら? どこ行くの?」

かわや

「行ってらっしゃい」

 楠と軽く接吻してから浴槽から愛人の下へ。

「! 若殿?」

 鶫専用の浴槽に入る。

 皮膚病である彼女は、気を遣って、他人との混浴は避ける。

 女性陣も公言はしないものの、彼女との混浴を内心嫌がっている者も居るだろう。

 まだまだ癩病を怖がっている社会だ。

 大河も無理に彼女達を誘わない。

 浴槽は、湿疹・皮膚炎がある人用の特別性だ。

 湿疹・皮膚炎があっても、別段、一般的な入浴は差し支えない場合が殆どだ。

 但し、熱湯に入るのは避け、低温にしたり、気になる時にはシャワーで体を流す程度に留めた方が良い。

 体を洗う時は、低刺激性の洗浄料(石鹸やボディソープ)がお勧めだ(*4)。

 鶫も又、低温で低刺激性の洗浄料しか使わない。

「……若殿、奥方を御優先して下さい」

「呼ばれたら又行くよ」

 指名が入れば行くのは、キャバ嬢の様だ。

「……ぬるいな?」

「申し訳御座いません」

 1人風呂なので、2人だと凄く狭い。

 逆に言えば、1人の為に風呂を作らせた大河の愛の証明でもあろう。

 蛇口を捻る手を大河が止める。

「良いんだよ。適温だ」

「然し、御風邪を―――」

「その時は、看病してもらう。それだけの事だよ」

「……若殿♡」

 正妻に気を遣いつつも、鶫は、大河に接吻する。

 どうせ正妻程の地位は無いのだ。

 甘えたって良いだろう。

 どの道、愛人なのだから。

 大河が動いたのは、球団経営者のブランチ・リッキー(1881~1965)がアフリカ系の野球選手を積極的に受け入れる契機の一つになった出来事を思い出したからだ。

 彼は、大学野球の監督時代。

 指導していた黒人選手が宿泊を断られ、自分の召使であると言って漸く同部屋で泊まる事が出来た。

 後年、この出来事を、


『「この肌が白ければ皆と同じ様に泊めてもらえるのに」と涙を流して悲しむ選手の姿が忘れられずにいた』


と語っている(*5)。

 鶫も又、癩病を患わなければ、差別や偏見に苦しむ事は無く、混浴も楽しめたかもしれない。

「良いなぁ。若殿に愛されて」

「与祢には、まだ先よ。私もだけどね?」

 朝顔は嫉妬する事無く、眺めている。

 彼女も大河同様、癩病への偏見は無い。

 皇族は、癩病に辛い時代から、彼等に寄り添っている。

 古くは、聖武天皇(45代 701~756)の皇后・光明皇后(701~760)がその代表者だ。

 彼女はが重症の癩病患者の膿を自ら吸った所、何とその病人が阿閦如来あしゅくにょらいであったという伝説がある。

 この逸話から、岡山県にある国立ハンセン病療養所の施設名を光明皇后を由来とした『邑久光明園おくこうみょうえん』としている。

 近年では、大正天皇(123代 1879~1926)の皇后・貞明皇后(1884~1951)が、癩病救済に努めている。

 彼女は、ハンナ・リデル(イギリス人宣教師 1855~1932 1895年、熊本初のハンセン病病院を作り、日本のハンセン病史に大きな影響を与えた)を援助していたが、その後にハンセン病全体に関心を持ち、らい予防協会が出来、皇后没後、寄贈された基金を基にハンセン病援護団体の設立となった(*5)。

 朝顔も光明皇后にならいたい所だが、官僚の反対で出来ないでいた。

 その分、大河が羨ましく思える。

 他の女性陣も、鶫に気を遣い、各々入浴を楽しむ。

 バレンタインデーは、こうして過ぎて行くのであった。


[参考文献・出典]

*1:2017年4月7日 カラパイア

*2:2018年6月29日 GakuSya

*3:2020年1月9日 bathtime.club

*4:第一三共ヘルスケア HP

*5:出雲井晶 『天の声 小説・貞明皇后と光田健輔』 展転社 1992年

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