竜戦虎争

第362話 図南鵬翼

 日ノ本が平和を満喫している頃、中東での戦線は、後年のベトナム戦争の様に泥沼化していた。

 十字軍は、各国の国民の不満を逸らす為に、反イスラム主義を煽り、その気に乗じてエルサレムをする計画を立てていたのだが、反十字軍同盟は、オスマン帝国主導の下、持ち堪えていた。

 その最前線の一つ、ギリシャでは、その時機でオスマン帝国から独立を狙う反乱軍が、武装蜂起していた。

「突っ込め~!」

「民族の誇りを取り戻すのだ!」

 当時、ギリシャは、オスマン帝国の一部。

 所謂、『トルコの支配トルコクラティア』と呼ばれる時代だ。

 独立宣言は、1821年。

 英仏露土から認められたのは、1832年。

 コンスタンティノープル条約の時だ。

 宣言から11年後、遂に認められた時、多くの流血を伴った独立に、ギリシャ人の感情も一入ひとしおだった事だろう。

 現在、ギリシャは、1821年3月25日を独立記念日としている(*1)。

 だが、時は、16世紀、1579年。

 まだまだ独立には、程遠い時代だ。

 日ノ本から輸出された最新兵器が、独立派を襲う。

「てー!」

 ドーン!

 大きな音と共にアームストロング砲が発射され、独立派に着弾する。

「糞! 何て飛距離なんだ!」

「ひ、怯むな! 突っ込め!」

「じきに十字軍が救援に来る筈だ! それまで耐えろ!」

『自由か死か』を合言葉に何とか戦う。

 然し、それ以上にオスマン帝国は、強大であった。

 独立派の拠点に何発も飛んでくる。

 地面が抉れ、クレーターが出来ても御構い無いだ。

 ギリシャ人の独立運動は文字通り、完膚無きまでに叩き潰されるのであった。


 ギリシャだけでない。

 各地でも十字軍は、苦戦を強いられていた。

「糞! 何であんなに連発出来るんだよ! 畜生!」

「うわ! これ糞だ! 臭い! 痛い! 苦しい!」

 連発式の火縄銃と人糞入りの爆弾に兵士達は、苦しむ。

 国民の不満を他所に向ける為、行われた侵略戦争であったが、エルサレムを奪還する所か、逆に撃退される始末だ。

 連戦連敗でどんどん十字軍の士気は下がっていく。

「何故だ! 何故、負ける! 腰抜け共め!」

 教皇は、唾を飛ばす。

「儂の名を汚しよって! 糞共が」

「陛下」

「ああん―――ぐふ!?」

 突如、吐血し、倒れる。

 口から出る血はどす黒い。

「国民は、疲弊しています。貴方の時代は終わりです」

「な……」

 倒れたまま教皇は、見上げる。

「陛下、御病気でのご退場です」

 女性が言い終わると、音楽隊が笑顔で歌い出す。

 表情とは相反する、おごそかな響き。

 鎮魂歌だ。

 笑顔、笑顔、笑顔、笑顔笑顔笑顔笑顔笑顔笑顔笑顔笑顔笑顔笑顔。

 笑顔が、並ぶ。

 響き渡るパイプオルガン。

 幾重にも重なる合唱。

 そして、笑顔、笑顔、笑顔、笑顔笑顔笑顔笑顔笑顔笑顔笑顔笑顔笑顔笑顔。

 笑顔が、並ぶ。

 その鎮魂歌は祝福だった。

 教皇へのものではない。

 教皇に虐げられた者達に捧げる、鎮魂歌であった。

「……」

 教皇の指はピクピクと動くも、やがてその動きは小さくなっていく。

 完全に動かなくなった所で、枢機卿が邪悪な笑みを浮かべた。

「……陛下、御即位おめでとう御座います」

「有難う」

 フーっと、息を吐いた後、女性は玉座に腰を下ろす。

 その名は、ヨハンナ。

 歴史上初めての女性教皇誕生の瞬間である。

 疲れた顔だが、その幸薄そうな雰囲気は、男心をくすぐるだろう。

 本来であれば、教皇選挙コンクラーヴェが正式な決定方法だが、戦時下であるが為、枢機卿が必要人数程集まらなかったのだ。

 正規の方法以外で代替わりさせるのは、当然非合法であったが、多くの枢機卿は教皇の退位を望んでいた。

 これ以上、逼迫ひっぱくされた財政の為に泥船に乗る訳にはいかない。

 なので、代理として、急遽、女性を用意したのだ。

 万が一、今回の事が露見しても、蜥蜴とかげの尻尾切りでヨハンナに全ての罪を擦り付ける為にも。

 枢機卿達の計画に利用されるのは、ヨハンナも癪だが、戦争を終わらせたいのは、本心であった。

 なので、彼等に担がれた事を承知で、即位したのである。

「陛下、勅令を」

「全軍は一切の侵攻を止め、防戦のみ努める様に。戦争は終わりです」


・教皇急死

・史上初の女性教皇即位

・停戦命令

 は、瞬く間に欧州から全世界に伝わった。

 オスマン帝国も新教皇に賛成派であった。

 直ぐに前線に停戦を指示し、両軍の衝突は、ひとまず終わる。

「……凄いな」

 新聞紙を読んで、大河は、感心しきりだ。

 現代程指示系統がしっかりしていないと思われる時代に於いて、勅令発令後、僅か数時間で停戦が成立するのは、上意下達がしっかりしている証拠だろう。

「女性が教皇って初めてなんでしょ?」

 朝顔も興味津々で覗き込む。

「気になる?」

「うん。見せて見せて」

「あいよ」

 甘えん坊のお江なら「読んで読んで」と言う所だろうが、「見せて」は、自立している朝顔らしい。

 新聞紙を渡し、立ち上がる。

「何処行くの?」

「厠だよ」

「駄目。居て」

「漏らすぞ?」

「良いの」

 元居た場所をバンバンと叩く。

「……分かったよ」

 前言撤回。

 朝顔も未だお江の様な一面がある様だ。

 やる事が無くなった大河は、そこに寝転がる。

「昼寝?」

「そうだよ」

「じゃあ、私も」

 大河の御腹を枕にし、朝顔も横になった。

「寝難いんだけど?」

「良いの」

 何という上皇だ。

 人権侵害も甚だしい。

 意地悪心が働いた大河は、朝顔の頭を撫でつつ、頬を指で突っつく。

 ぷにぷにと。

 弾力が心地良い。

「もう読めないんだけど?」

「俺を拘束する罰だよ」

「じゃあ、私も」

 新聞紙を放って、朝顔は、跨り、俺の両頬を引っ張る。

「貴方のは、固いね?」

「焼く前の餅みたい?」

「そうだね。御餅だね。私は?」

「焼いた後の餅」

「私の勝ち~♡」

 勝敗の基準はよく分からないが、朝顔が上機嫌ならそれで良いだろう。

『上様』

 障子の向こうから、孫六が声を掛ける。

 三成が敦賀に行って以降、大河の最側近は、彼だ。

『今、御時間宜しいでしょうか?』

「何だ?」

『は。使者が参られました。えげれす大使館のさとー様です』

「通して良いよ」

『は』

 孫六がサトーを呼びに行く。

 その間、朝顔が居住まいを正す。

「もう、折角の休日なのに。来るなんて」

「まだ仕事かは、分からないよ」

「あ、大使を庇うんだ?」

「そういうんじゃないよ」

 へそを曲げた朝顔をバックハグし、愛でる。

「何時だって妻を優先したろ? 変わらんよ」

「……もう来るよ?」

「良いんだよ」

 朝顔とイチャイチャしていると、孫六がサトーを連れてやって来た。

 2人は、襖を開け、大河達を見る。

 一瞬、ギョッとするも、何時もの事と直ぐに平静に戻る。

 慣れ、というのは時に恐ろしい。

 大河が交わっていても、2人は、同様の反応だっただろう。

「陛下、お休みの所、邪魔をしてしまい申し訳御座いません」

「……いいえ。気にしていません」

 否定するものの、怒気は抑えられていない。

「……」

 孫六は、それに飲まれ、今にも吐きそうだ。

 サトーも何とか持ち堪える。

「今回、失礼を承知で登城させて頂いたのは、御二人を我が国に御招待する案が浮上したからです」

「招待?」

 朝顔は、目が点になる。

 妻の代わりに大河が問う。

「それは、渡英という事か?」

「それあります。正確には、渡欧ですが」

「……教皇?」

「はい。今回の戦争の仲介役を担って欲しいのです。真田殿には」

「……俺だけ? 陛下は?」

「陛下は、会談です。我が国の女王陛下も陛下との会談を熱望しています。必要経費は、我が国とバチカンが負担します―――」

「いや、その必要はない」

 直ぐに大河は、異論を唱える。

「若し、実現した場合は、我が国も一部を負担する。それが外交というのだ」

 甘えに乗れば、「日ノ本は、会談で必要経費を1文も出さない国」と蔭口を叩かれるだろう。

 大河個人がそれを受けても問題は無いが、主権国家である以上、軽視されるのは、不本意である。

「貴国は、耶蘇教を弾圧する悪逆非道な国家とも見られています。その心象を覆す為にも渡欧し、貴国の正当性を主張すべきはないかと」

「……そうだな」

 遣欧少年使節団が渡欧したのは、天正10(1582)年の事。

 後、3年先だが、日本人が渡欧しても可笑しくは無い時機だろう。

「……直ぐには、判断出来ない。陛下のも相談した後だ」

「はい」

 欧州が平和なら、海外旅行として楽しめるだろうが、停戦中とはいえ、戦争中には変わりない。

 今の中東から欧州にかけての大部分は、現代で言う所の朝鮮半島の様な状況だ。

 朝鮮半島も一見平和に見えるが、休戦中であって、戦時下である。

 いつ再戦しても可笑しくは無いのである。

「色好い御返事待っています」


 サトーが帰った後、朝顔は、

「……」

 欧州の地図を見ていた。

 上皇である彼女が、外国に行くのは、精々東アジアが限界だろう。

 そもそも、本来は皇居以外出ては駄目なのに、簡単に外出が出来るのは、大河が傍に居るからだ。

 幸姫が、大河の肩に顎を乗せる。

「新妻を置いていくの?」

「決まった訳じゃないよ。九分九厘無理だろうよ」

「え? そうなの?」

「遠い。これに尽きる」

 友好の為に行くのも一つの手だが、流石に朝顔が出国すると、1個師団位の軍勢が必要だろう。

 幸姫を抱き寄せて、その胸に顔を埋める。

「……何?」

「いやぁ、可愛いなぁと」

「有難う。でも、今はその気分じゃないよ」

 朝顔に気を遣っているらしく、彼女をチラ見。

「そうか。分かったよ」

 不満げだが、大河は、素直に応じる。

 華姫から離れ、彼女を立たせた。

 逆に幸姫が、大河を抱き締める。

 彼女は、山城真田家の女性陣の中で数少ない、リードする妻だ。

 大河も勝てないのか、滅多に抵抗はしない。

 以前は、誾千代、謙信、エリーゼ等が夜這いの常連だったが、誾千代は婦人会会長になってから、他の3人は、出産以降、極端に少なくなっている。

 前者は、地位を得て、後者は母になってから気持ちに変化があった、と思われる。

「向こうの人は、長身なんでしょ?」

「そうだよ」

「私が標準位?」

「かもな。でも」

 大河は振り返り、口付け。

「……何?」

「向こうで人気者になるのは嫌だな」

「嫉妬?」

「そういうこった」

 幸姫を見る大河のその目は、真剣そのものだ。

 殆ど交際経験が無い2人だが、どちらかというと大河の方が好意度が激しいのかもしれない。

「もう……貴方だけよ。こんな大女、愛してくれる変態は」

「そういう物さ」

 幸姫を再び押し倒し、胸を揉む。

 先程自制した癖に結局手を出すのは、好色家たる所以だろう。

 が、

「私の前でするな」

 直後、大河の後頭部に衝撃が走った。

 一瞬にして昏倒させられる。

 幸姫の胸がクッションになっていなければ、大河は、顎を強打し、舌を噛んでしたかもしれない。

「陛下?」

「幸よ。この馬鹿をもう少し躾なさい」

「は」

 朝顔の圧に幸姫は、震えるのであった。

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