第353話 対岸火災

 欧州と中東の対立は、激しさを増していた。

 第9回十字軍(1271~1272)以来、約300年振り。

 ピウス2世(1405~1464)が、1463年に十字軍遠征を発表し、翌年、遠征を始め様とするも教皇が薨去した事例ケースのも含めると、約110年振りの十字軍が組織され、イスラム教徒と殺し合う。

 イスラム教徒の主戦力は、オスマン帝国だ。

 日ノ本と友好関係にある為、日ノ本から輸入された最新兵器で立ち向かう。

 イスラム教徒側には、ユダヤ教徒やギリシャ正教も少なからず居る。

 現代、トルコ人とギリシャ人、ユダヤ人とイスラム教徒は犬猿の仲だが、この時代には、柵が無い。

 彼等が反十字軍同盟に参加したのは、十字軍が、戦争とは無関係のユダヤ教徒をも虐殺の対象にする挙句、同胞に属する筈のギリシャ正教でさえ冷遇するからだ。

 イスラム教徒の合言葉は、『マアッラを忘れるな』。

 太平洋戦争の際、米兵は『真珠湾を忘れるなリメンバー・パールハーバー』を合言葉にしたが、イスラム教徒にしてみれば、こちらの方が先だろう。


 1098年。

第1回十字軍が現在のシリアのイドリブ県にあるマアッラ(当時は、シリア・セルジューク朝の一部)を攻撃。

 十字軍は戦闘の末、12月11日にマアッラの城壁上を占領。

 その際、十字軍の内、貧しい兵士等が市内に乱入して略奪を始めた。

 翌朝、守備兵は十字軍の指揮官の1人であるボエモンと交渉に入り、降伏すれば安全を保障するという約束を引き出した(*1)。

 イスラム教徒の民兵や市民は降伏したが、たちまち十字軍により虐殺された。

 ボエモンは町の城壁と塔を掌握していたが、市内はもう1人の指揮官であるレーモンが掌握していた。

 2人は仲が悪く、マアッラ全体を誰が占領するかで言い争いを続けており、指揮系統は機能せず、ボエモンと守備隊の交わした降伏の条件はレーモンの部下等の下には届かなかった。

 攻囲戦後、十字軍はマアッラの城壁を壊し始めた。

 一方、兵士等はレーモンに対してエルサレムへの1日も早い行進を主張し、ボエモンや諸侯との争いを延々と続けるレーモンを突き上げた。

 最後にはレーモンも折れ、他の諸侯から行軍への理解を得る為の折衝を始めた。エルサレムへの行進は翌年1月にされた。

 1月13日には松明を手にした十字軍がマアッラの家々に火をつけて回り、城壁のみならず町も完全に破壊された(*1)。

 この戦闘の際、十字軍は、人類の禁忌タブーの一つである人肉食カニバリズムを行った。

 神の名の下で行った聖戦にも関わらず、だ。


『ある者によれば、彼等は食糧不足の為止む無く、異教徒の大人を鍋で煮て、子供は鉄串に突き刺して炙り焼いて貪り食った』(*2)

『これを語るには身震いがする。

 我が民の多くが、余りにも過酷な飢えによる狂気に苛まれ、死んでいるサラセン人達から尻肉を切り取って刻み調理をした。

 然し、まだ肉に充分火の通っていない内に、獰猛な口で貪り食ったのだ』(*3)

『キリスト教徒は殺したトルコ人やサラセン人を食べるに躊躇しなかったのみならず、犬まで食べた』(*1)


 この残虐な行為は、


・マアッラは十字軍の将兵が期待した程豊かな町ではなく、略奪しても十字軍の食料や金品や装備の不足を補う事が出来なかった。

・冬も近づいていた事


 が、理由とされる(*4)。

 緊急避難、という考え方からすると、止むを得なかったのかもしれないが、イスラム教徒側からすると、「聖地解放」を訴える十字軍が、さぞ蛮族に見えた事だろう。

 食人は、クール―病を発症する可能性がある為、医学的にも非常に危険な行為だ。

 その為、オスマン帝国率いる反十字軍同盟は、長年を憎悪ヘイトを発散させ、日ノ本製の武器で大いに戦う。

「「「唯一神は最も偉大であるアッラーフ・アクバル!!!」」」

 キリスト教徒VS.イスラム教徒(+ユダヤ教徒、ギリシャ正教等)の宗教戦争は、火蓋を切って落とされた。


 の開戦に日ノ本は、早々と中立を決め込む。

 実際には、オスマン帝国側だが、派兵はしない。

「アレッポは、火の海か……と変わらないな」

「何て?」

「何でもないよ」

 阿国を抱き締めつつ、大河は宝塚の劇場に居た。

 阿国が館長兼プリマ・バレリーナ・アッソルータ(バレリーナの最高位)を務めるそこは、現在の兵庫県宝塚市栄町にある。

 座席数は、3千。

 毎週火曜日に新作を上演をし、最近では、海外からも舞踏家を呼び公演している程だ。

 ホパーク(コサックダンス)を行うウクライナ人舞踏家を大河達は、眺めている。

 観覧席に居るのは、

・朝顔

・帝

・ラナ

 の3人。

 上皇、天皇、王女(外国だが)の3Sスリー・ショットは、超貴重だろう。

 今回、3人が来館しているのは、劇場が民間から国立になった事を祝う為であった。

 舞台上では、阿国が育てた舞踏家達が、『ロミオとジュリエット』を披露している。

 7日間の悲恋を描いたそれに3人は、

「「「……」」」

 ジュリエットが偽装自殺後、ロミオは彼女の墓前で服毒自殺。

 それを知ったジュリエットは、ロミオの短剣で後追い自殺する場面が、この物語ストーリーの最高潮であろう。

 ロミオが服毒自殺する時、3人は声には出さないものの、

『止めて』

 と、必死に願い、今度は、ジュリエットの番になった時、

「「「……!」」」

 涙目だ。

 皇族、王族だけあって自由恋愛が出来ない事に感情移入しているのだろう。

 この話自体は、架空フィクションだが、同じ様な死は、歴史上存在する。


 アントニウス(紀元前83~紀元前30)とクレオパトラ(紀元前69~紀元前30)だ。

 紀元前31年。

地中海の一部であるイオニア海でアクティウムの海戦発生。

 これに敗戦したアントニウスの所に、翌年、クレオパトラ死去の報せを受ける。

 アントニウスは、自殺を図るも報告字体は誤報であり、彼は瀕死の状態でクレオパトラの腕の中で息絶えた。

 その後、クレオパトラは、捕虜となり、後追い自殺対策の為に厳重な監視下に置かれるも、贈答品の無花果イチジクに忍ばせていたコブラに身体(乳房か腕)を噛ませて自殺した。

 遺言は、


『アントニウスと共に葬られたい』。


 政敵、オクタウィアヌスはその願いを聞き入れた(*5)。

『ロミオとジュリエット』(1595年前後初演)の作者、ウィリアム・シェークスピア(1564~1616)は、この出来事から着想を得たのかもしれない。

 後に『アントニーとクレオパトラ』(1606~1607頃成立)も書いている為、その可能性もあるだろう。

 3人が、集中して御覧になっている為、大河は邪魔をしない様、阿国と共に離れる。

 廊下に出ると、橋姫が壁にもたれて泣いていた。

「……大河」

「如何した?」

「あんな物語、書いたの?」

「……ああ」

「私には、無理。御免ね」

 嫉妬深い神様には、この悲恋は、NGの様だ。

「良いよ。万人受けする作品何て一つも無いんだから」

 好き嫌いの感情がある以上、どんな名作でも合わない人が居る。

 大河もノーベル文学賞受賞者の作品を何冊か読んだか、さっぱり。

 琴線に触れるものは一つも無かった。

 橋姫が、中座するのも全然問題無い。

「……」

 泣きじゃくりながら、大河の胸に飛び込む。

 橋姫を優しく抱き締めつつ、

「阿国、よく指導出来たな? あの演技力」

「真田様が脚本を書いて下さったので士気が高いんですよ」

「俺が?」

「はい。流石、華様の養父だけあって文才がありますね?」

「華だけだよ」

 2人は、仲良く座る。

 大河に御姫様抱っこされた橋姫は、段々、泣き止む。

「……大丈夫か?」

「うん……何とか」

「今日はもう休み」

「そうする。有難う」

 微笑んで橋姫は、大河の体内に消えていく。

「……橋様は、不思議な御方ですね?」

「呪術師だから―――」

「そういう事ではなくて、真田様との御関係ですよ」

「うん?」

「あれだけ御好意を抱いておきながら、手を出さないのですから」

「……そうだな」

 大河もあからさまな好意には、気付いてはいる。

 然し、正妻に配慮してあくまでも親友、との関係だ。

「私としては、もう御夫婦になれば良いかと思いますが」

「……夫婦ねぇ。それだと、独占されるかもしれないぞ?」

 当代随一の呪術師である橋姫が、本気になれば、大河を洗脳マインドコントロールし、独占も可能だ。

「短期間なら良いですよ。ずーっと、真田様の事を御思いになられても、私達に配慮して下さっているので。その恩返しで」

「……寛容だな」

「同じに恋をした女ですから」

 阿国は、微笑んで、大河にもたれる。

 日ノ本一人気の舞踏家を妻なのは、現代だとトップアイドルと結婚した様な事に近いかもしれない。

「何れは、男装して夜伽に行っても良いですか?」

「良いよ」

「真田様には、女装―――」

「断る。異性装の趣味は無い」

 赤線では、異性装者トランスヴェスタイトは珍しくない。

 歌劇団でも異性装を売りにしている。

 大河も偏見は無いが、自身がそれを行う事は無い。

「ええ~。楽しみましょうよ」

「なら、寝室出禁な?」

「そんな~。御慈悲を~」

 阿国が涙目になった所、大河は、その唇を塞ぐ。

「あ―――」

 声が漏れるも、その一瞬だけ。

 大河に押し倒され、阿国は口内をバキュームされる。

 唾液を納豆の糸の様に垂らしつつ、大河はわらった。

「涙目も可愛いな?」

「……真田様♡」

 2人は、愛し合う。

 公演が終わるまでの間ずっと。


 公演が終わり、帝は褒める。

「大儀なり」

 帝公認の国立劇場誕生の瞬間だ。

 朝顔、ラナの義姉妹も満足している。

「大河、有難うね」

「劇、初めて観たわ。感動したわ」

 2人は、大河の腕をそれぞれ取り、両手に花となった。

 舞台上では、今回の最高責任者である阿国が、挨拶する。

『この度、両陛下と殿下に楽しんで頂ける事が出来て、歌劇団も光栄です』

 カーテンコールは、万雷の拍手で包まれるのであった。


[参考文献・出典]

*1:アミン・マアルーフ 『アラブが見た十字軍』 ちくま学芸文庫

*2:年代記作家 ラウル 『ゲスタ・タンクレーディ』

*3:フーシェ 『エルサレムへの巡礼者の事績』

*4:ウィキペディア

*5:『その時歴史が動いた』クレオパトラ 世界帝国の夢 〜知られざる愛と誇りの決断〜 2003年9月3日

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