第306話 秋高馬肥

 雄琴温泉は、お市が気に入っている温泉街の為、当然、彼女が出資者だ。

 無論、山城国の血税を流用している訳ではない。

 大河から貰った御小遣いの一部を使って、開発しているのである。

 彼等が用意したのは、温泉街の一等地に立つ宿であった。

 宿泊費は、無料。

 本来、1泊、数百万円はする部屋が、だ。

「組合長様、流石に無料というのは―――」

「お市様、貴女様の御蔭で当地は御覧の通り、発展する事が出来ています。何れは、大関を狙えるかと」

 安土桃山時代に入ってからは、観光庁が、毎年、温泉番付を発表している。

 現在のそれは、以下の通りだ(*1)。

 ―――

[行司]

・津軽大鰐の湯

・紀伊熊野本宮の湯

・伊豆熱海の湯

[勧進元]

・紀州熊野新宮の湯

[差添]

・上州さはたりの湯             

[大関]

・摂州有馬の湯

・上州草津の湯

[関脇]

・但馬城の崎の湯

・野州那須の湯

[小結]

・予州どふごの湯

・信州諏訪の湯

[前頭]

・加州山中の湯

・豆州湯河原の湯

・肥後阿蘇の湯

・相州足の湯

・豊後浜脇の湯

・陸奥嶽の湯

・肥前温泉の湯

・上州湯川尾の湯

・薩摩霧島の湯

・仙台成子の湯

・豊後別府の湯

・最上高湯の泉

・肥後山家の湯

・武州小河内原の湯

[前頭(2段目)]

・濃州下良の湯

・津軽嶽の湯

・肥後ひな久の湯

・相州湯元の湯

・能州底倉の湯

・豆州小名の湯

・備中長府の湯

・信州渋湯の湯

・薩摩硫黄の湯

・会津天仁寺の湯

・紀州田辺の湯

・越後松の山の湯

・但馬湯川原の湯

・南部恐山の湯

・芸州川治の湯

・庄内田川の湯

・紀州大ぜちの湯

・岩城湯元の湯

・加州白山の杦の湯

・米沢赤湯の湯

・伯州徒見の湯

・下野中禅寺麓の湯

[前頭(3段目)]

・薩摩桜島の湯

・秋田大滝の湯

・肥前竹尾の湯

・陸奥飯坂の湯

・石州川村の湯

・南部鹿角の湯

・周防山口の湯

・相州姥子の湯

・肥前うるしの湯

・豆州朱善寺の湯

・越中足倉の湯

・仙台川たびの湯

・越後塩沢の湯

・庄内温海の湯

・相州塔の沢の湯

・津軽温湯の泉

・秋田おやすの湯

・米沢湯沢の湯

・薩摩関外の湯

・豆州権現の湯

・相州宮下の湯

・会津熱塩の湯

・津軽矢立の湯

・相州木賀の湯

[前頭(4段目)]

・信州湯瀬の湯

・野州塩原の湯

・相州堂ヶ島の湯

・庄内湯の浜の湯

・津軽浅虫の湯

・津軽板留の湯

・仙台あきうの湯

・信州別所の湯

・越後出湯の泉

・越後関の山の湯

・最上かみの山の湯

・南部台の湯

・信州浅間の湯

・伊達湯の村の湯

・相州底倉の湯

・最上銀山の湯

・上州東老神の湯

・仙台釜崎の湯

・越後田上の湯

・会津滝の湯

・津軽倉立の湯

・米沢谷沢の湯

・能州足の湯

・南部麻水の湯

 ―――

 雄琴温泉は、番付外。

 最澄が開湯(説)したという歴史ある名湯がこれじゃ、先祖にも地元民にも常連客にも申し訳が無いだろう。

 その為、組合側は彼等を広告塔にしたい思惑があった。

 朝顔は流石に広告塔には不適当なので、対象者は、

・大河

・お市

・三姉妹

 と、地元に縁が深いこの5人だ。

 お市は、頭を下げた。

「分かりました。然し、当主は黙認しない可能性がある為、お支払いがあっても拒否はしないで下さい」

 勤労の義務がある以上、労働があった場合、相応の賃金が支払われる。

 組合が幾ら無料で良い、と言っても女将等が働くのだから、彼等には対価が無いと有り得ない。

「お市、風呂行くぞ?」

「はいですわ」

「では、我々はこれで」

 ぺこりと大河は、会釈し、お市の手を握ると、家族風呂へ。

「……真田様は、お優しい方だが、目に光が無いな」

「そうだな。くれぐれも御無礼が無い様にな?」

「そうですね」

 組合も又、大河に戦々恐々であった。


 家族風呂には、20人以上もの山城真田家が集う。

「……綺麗ね?」

「誾もな?」

「私は?」

「謙信もだよ―――あー、お市、いじけるな。ちゃんと見てるから」

「本当?」

「ああ」

 大河は、誾千代としつつ、両脇に謙信とお市を侍らしていた。

 入浴し、愛撫もそこそこに直ぐに交わえるのは、それ程、両者がお互いを求めていた証拠だろう。

 ちゅぱちゅぱと、大河の指を舐めるのは、松姫だ。

「……」

 その目は、大河を誘う目でトロンとしていた。

 その他の女性陣は、誾千代に配慮してか、今日はその気が無いのか、各々自由に過ごしている。

 与祢、珠、アプトは体の洗いっこ。

 千姫は元康をベビーバスに入れ、エリーゼは、デイビッドの頭を洗っている。

 華姫は、ナチュラと一緒に累に泳法を教えていた。

 一般の浴場だと、他人に迷惑がかかる為、絶対にさせないが、家族風呂なので、大河も問題視しない。

 朝顔と橋姫は、サウナに入っている。

 2人共初体験だ。

 一向に出てこない所を見ると、我慢比べでもしているのだろう。

 三姉妹は、猿夜叉丸を小舟の浮き輪に乗せて遊んでいる。

 楠、阿国は、幸姫と背中をゴシゴシ。

 まさに文字通り、裸の付き合いだ。

「痛くない?」

「はい、大丈夫です」

 楠の質問に、幸姫は敬語で返す。

 人質である彼女は、例え正妻の楠に無礼はしない。

「人質生活は、慣れた?」

「はい。何とか」

「真田様の事は如何?」

 阿国の問いに幸姫は、首を振った。

「良い人なのでしょうが、政略結婚には変わりないので。好意は今の所、ありません」

 正直な女性である。

「そう……」

 楠は、頷くと、手を止めた。

「でも、気を付けた方が良いわよ?」

「え?」

「あの人、憎たらしい程天性の女誑しだから」

「……」

 大河を見る。

 相変わらず、女性陣とイチャイチャ。

 先程、誾千代と交わっていた癖に、今はお市だ。

 噂に違わぬ精力絶倫さである。

「……失礼ですが、嫉妬していないんですか?」

「『英雄色を好む』よ。昔は、怒っていたけれど、もう慣れたわ」

「私もです―――」

「阿国~」

「は~い♡」

 大河に呼ばれ、不可視の尻尾を振りつつ、破顔一笑で駆けていく。

「……はぁ」

「楠様?」

「貴女も何れああなるわ。覚悟しておきなさい」

「は?」

「運命よ」

 深く溜息を吐く楠の姿が、幸姫には、印象的に映った。


 夜。

 郷土料理を堪能後、大河は朝顔と与祢、珠、それに幸姫を連れて歩く。

 他の女性陣は警備の小太郎を除いて、全員、移動と遊び疲れたらしく一緒ではない。

「小太郎、近くに来い」

「え? でも―――」

「良いから命令だ」

「……は」

 町娘の恰好をした小太郎を呼び寄せる。

 これで女性陣は、5人となった。

 御忍びなので、当然、領民は、目の前に朝顔が居る事を知らない。

 気付いたとしても、大河位だろう。

 情報統制している為、朝顔が滞在中なのは、流布される事は無い。

 SNSで書き込まれても、AIが自動で判別され、削除される。

 動画投稿サイトで、AIが裸を識別する様な形だ。

 大河の右手を繋ぐのは、朝顔。

 もう一つの左手は、残りの4人で争う事になる。

 但し、4人共、正室ではない。

 与祢 →侍女兼婚約者

 珠  →同上

 幸姫 →人質

 小太郎→奴隷

 その為、4人共、朝顔と同格は不釣り合いと言えるだろう。

 朝顔自身、気にしはしないが。

 幸姫以外の3人は、目配せして、

「幸様、失礼します」

「え?」

 与祢が手を取って、大河と無理矢理、繋ぐ。

「え? ちょっと――――」

「若殿、幸様を我が家に歓迎する為に御願いします」

「よし来た」

 幸姫の手をぎゅっと握る。

「!」

 その力強くも優しさに包まれた掌に、幸姫の心は温かくなる。

 近くで感じたのは、香水の良い香り。

 滲み出る愛情の深さは、態度から分かる。

 女性陣が心底、愛するのも分かるだろう。

「ちょっと混むから離れるなよ?」

「……はい」

 小太郎達から羨望の眼差しを受けて、幸姫は、赤くなるのであった。


 長身な幸姫は、否が応でも目立つ。

「大入道?」

「大きいな?」

「6尺は、優にあるな」

 近江国の人々が、これ程注目するのは、この地に大入道の伝説があるからだ。


『ある秋の夜。

 伊吹山の麓に大雨が降り、大地が激しく震えた。

 すると間もなく、野原から大入道が現れ、松明状の灯火を体の左右に灯して進んで行った。

 周囲の村人は、激しい足音に驚いて外へ出ようとしたが、村の古老達が厳しく制した。

 軈て音が止み、村人達が外へ出ると、山頂へと続く道の草が残らず焼け焦げていた。

 古老が言うには、大入道が明神湖から伊吹山の山頂まで歩いていったという事である』(*2)(*3)


 これは大入道の中でも更に大型の部類に属するとされる(*4)。

 長身がコンプレックスなのか、幸姫は、俯く。

 暗い顔で。

(……高身長が嫌なのか)

 高身長は憧れられ易い場合が多いだろう。

 ただ、それで悩む人も居る為、安易に口にする事は憚られる。

「……!」

 幸姫は、掌に何かを感じた。

 それが、指文字である事は、把握出来たのは、数瞬後の事であった。

『目立つの嫌か?』

『……はい』

『済まんな。一旦、何処かに入ろう』

『有難う御座います』

 口に出さす、こうして配慮されるのは、幸姫としても嬉しい。

(成程……人気者な訳だ)

 加賀国では、大柄な事を陰で「女性らしくない」「おとこおんな」だの散々言われていたが、少なくとも、この大河という男は、女性が長身でも問題無いらしい。

 加賀国を出て以来、初めて幸姫は、女性扱いを受けたのであった。


 大河達が入ったのは、琵琶湖を一望出来る塔。

 彼等以外にも、カップルや家族連れが多く訪れていた。

 満点の星空は、混凝土コンクリート密林ジャングルな京では、中々、御目にかかれない。

 ビデオボックスの様な個室に入った一行は、そこで他人の目を気にせず、寛ぐ。

「若殿、あれ、何ですかね?」

「多分、魚座?」

「真田、あっちは?」

「う~ん……水瓶座? かな?」

 朝顔と与祢と共に大河は、星座鑑賞だ。

「……」

 珠は、1人で望遠鏡を使って観察している。

 意匠計画デザインの星座を利用したいのかもしれない。

「「……」」

 幸姫、小太郎は、それを静かに見詰めていた。

「……小太郎さん」

「さんは、要らないですよ。私は、奴隷ですから」

「でも、お偉いさんでしょう?」

 小太郎の肩書は、国家保安委員会議長。

 所謂、情報機関の長だ。

 それを呼び捨てには、出来ない。

「そうですが、家の中では、人権はありませんよ。ほら」

 太腿を見せる。

 そこには、『奴婢』と焼き印が押されていた。

「……御自身で奴隷になった、と聞きましたが?」

「はい。本当です」

「……真田様が所有者で?」

「はい。ですが、勘違いしないで頂きたいです。私は、幸せですから」

「え?」

「この家では、癩病やアイヌ人、切支丹等、差別され易い方でも、主は寛容に受け入れて下さいます」

「……」

 実際に、癩病の鶫を愛人兼秘書官にし、アイヌ人のアプトを婚約者兼侍従長、切支丹の珠を婚約者兼侍女にしている。

 彼女達以外にも世間的には悪女として忌み嫌われている千姫や、寡婦のお市や誾千代を娶っている。

「……私は」

「……」

「私は、まだ結婚願望はありません」

「焦らなくても大丈夫ですよ。主は、合意が無い以上、結婚はしません」

「申し訳ございません」

「謝る事はありませんよ」

 自由恋愛が出来る様になったが、まだまだ、御見合いを奨励する家も多い。

 世間一般に自由恋愛が浸透するのは、数世代後の事だろう。

「幸様に御願いします。主を好きにならずとも、御嫌いにならないで下さい」

「? と、言いますよ?」

「御理解されていると思いますが、我が家では、主に御好意を抱いている奥方が多いです。私もそうですが、主の人格を非難した場合、私共から反感を買う恐れがあります」

「……自衛の為に?」

「はい。ですから、誤解の無い様、言動にお気を付けて頂ければ幸いです」

「御助言有難う御座います」

 深々と幸姫は、頭を下げるのであった。


[参考文献・出典]

*1:『諸国温泉功能鑑』 文化14年

*2:江戸時代の見聞雑録『月堂見聞集』巻16「伊吹山異事」

*3:本嶋知辰「月堂見聞集」『奇談異聞辞典』 編:柴田宵曲 筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉 2008年 原著1961年

*4:水木しげる『妖鬼化』2 Softgarage 2004年 原著1998年

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