近江国観光編

第305話 秋高気爽

 万和3(1578)年9月中旬。

 秋の大型連休の旅行先は、雄琴温泉に決まった。

 決定打は、やはり、朝顔であった。

・京から近い事

・近衛兵が移動し易い事

 という地理的条件も手伝い、難なく宮内庁から簡単に許可が出たのだ。

「旅行♪ 旅行♪」

「温泉♪ 温泉♪」

 女性陣は、各々準備している。

 日程は、3泊4日。

 隣国なので、4日間を大いに活用出来る。

 頑張れば金曜日の夜に出発し、月曜日の朝に帰る事も可能だろう。

 然し、学校も公務もある為、流石にその様な危険な真似は出来ない。

「私も行くの?」

「そうよ。人質も家族だからね」

「ほら、早く」

 新入りの幸姫も、同じく人質である松姫、お市から促され、渋々準備を進める。

 人質であるが、京以外の都市にはあまり興味が無い。

 然し、前田家を代表して来ている為、拒否権は無い。

 女性陣が準備している中、家長・大河は既に近江国に居た。

 近衛大将として、近江国に先乗りし、朝顔を受け入れる最終的な準備の確認をする必要があるのだ。

 先発組として一緒に居るのは、

・誾千代

・謙信

・楠

・鶫

・小太郎

・アプト

・ナチュラ

・与祢

・珠

・華姫

 残りの、

・朝顔

・お市

・三姉妹

・松姫

・エリーゼ

・阿国

・幸姫

・稲姫

 は、後発組として遅れて来る。

 その為、先発組10人は短時間とはいえ、大河を独占出来る数少ない好機だ。

 橋姫も今回に限っては、大河の体から抜け出して、累の遊び相手をしている。

 元康、デイビッド、猿夜叉丸は、後発組なので、ここに子供は累しか居ない。

「だー!」

 笑顔で橋姫から逃げ、累は、大河の腕に避難。

「元気だなぁ。累は」

「だー!」

 弾ける様な笑顔で、累は、頬擦り。

「可愛いなぁ♡」

 大和も甘んじて受け入れる。

 童顔の為、中学生が赤ちゃんをあやしている様だ。

「ぐぬぬ……」

 華姫は爪を噛みつつ、大河の膝に乗る。

 そして、反対側から頬擦り。

 赤ちゃんと幼女のサンドイッチだ。

 家族で無ければ確実に通報案件だろう。

 与祢と楠も寄ってくる。

「若殿、累様は、侍女が御世話致します故」

「そうよ。貴方がする必要は無いわよ」

 楠は、華姫を抱っこし、代わりに自分が膝に収まる。

「! ははうえ?」

「この年齢差で母呼ばわりは、ちょっと違和感があるわね」

 複雑な表情を浮かべつつ、楠は後頭部を大河の胸に預け、目を閉じる。

「眠たい?」

 累を与祢に預けつつ、大河は尋ねた。

「うん。仕事が溜まってて。最近、寝不足なの」

 御忍びとはいえども、帝の訪問先には、事前に国家保安委員会が調査し、危険分子を発見次第、処断する。

 それで忙殺され、睡眠不足なのだろう。

「zzz……」

 そのまま寝てしまう。

 誾千代がそっと囁いた。

「(嫉妬しちゃうけど、仕事してるものね? 今回ばかりは許すわ)」

「(有難う)」

「真田」

 呟いた後、楠は大河の細腕を抱き締める。

「お休み」

 額に接吻すると、珠が毛布をかけた。

「(有難う)」

 ウィンクすると、珠は、恥ずかしそうに会釈した。

 可愛い婚約者だ。

 後程、目一杯愛する必要があるだろう。

 リムジンは、進む。

 近江国へ。


 近江国は、長年、浅井氏が統治していただけあって、今尚、浅井氏と馴染み深い人々が多い。

 その為、当初、織田氏の統治を嫌々受け入れていたのだが、大河が浅井氏を許すと、一転、各地で長政やお市、三姉妹の名前を冠した施設が出来る等し、織田色は薄まりつつある。

 長政が存命時、その父・久政も生きていた為、長政が浅井家の家長として政治を行う事は少なかった。

 領民的には、長政より久政の方が、名君と感じているだろう。

『浅井三代記』において暗愚とされている彼だが、現在、再評価が進んでいる。


 浅井・朝倉同盟は久政の父・亮政の代に存在した。

 亮政は、嘗ての主家である北近江守護・京極氏の本家筋である南近江守護・六角氏と対立していた際に、朝倉氏との同盟を築き上げた。

 当時の六角氏は名君・六角定頼を筆頭に日の出の勢いであり、亮政は美濃国や越前国へ幾度も逃亡する等その優劣の差はその才をもってしても補う事は出来なかった。

 一方、当時の朝倉氏も全盛期であった。

 その朝倉氏にしても、隣接する加賀や領内の一向一揆問題を抱えており、六角氏との直接対立は望ましい事ではない。

 緩衝地帯として、北近江を手中に収める浅井氏との同盟は理に適ったものであった。

 こうした両者の利が一致して、朝倉・浅井同盟は築かれたと考えられる。ただし、これが同盟であったか否かについては異議がある。

 その後、久政の代になり六角氏に従属するが、朝倉孝景・朝倉宗滴が死去した朝倉氏は嘗ての勢いを失い、同盟の意味が薄まっていった事もあり、久政は六角氏へ乗り換えたのだろうと思われる。

 これは、この頃の浅井氏は復権を目論む京極氏等に度々攻撃されていた事もあり(※京極氏の浅井氏への攻撃が数年に渡り行われていたものと思われる。 *1)、六角氏に臣従して庇護を受ける事で、他勢力を牽制し侵攻を食い止められた。

 またその際、京極氏に対し優位な立場にて和睦、あくまで京極氏を立てた上での形である。

(*『下坂文書』では、下坂左馬之助に対して「新態の儀(中略)異議無き候」。 『飯福寺文書』においては久政は天分19年に京極高広へ向けて上様と記している)

 これにより久政は領国経営に専念する事が出来、事実その間に久政は政治の安定化や先代の亮政が武力によって傘下に収めた土豪達の掌握に努め、浅井氏を国人一揆の盟主から戦国大名へと押し上げる基礎を築きあげる事に成功した。

 又、六角氏より先進技術を取り入れる事が出来たとされる。

 更に、六角氏の勢力内といっても、久政は未だ国人連合にとどまる江北の領主であり、後ろ盾に六角氏の力を手に入れた。

(※支配が盤若ではないという事は六角氏の侵入を容易にしていた事実を証明している。 *2)


 この事からすると、久政は自身としての外交構想を持ち、弱腰と見られがちな従属という方針も領国を守る手段であり、外交の分野において一定の成功を収めたと思われる。

 内政面でも久政は業績を挙げた。

 まず、治水や灌漑かんがい事業がある。

 湖北の村々の河川用水の使用区域の対立を調停する為、法令や文書を発給し、それを阻害すると思われる豪族に対して圧力をかけている(*2)

 例として、以下の様な逸話が伝えらている。

 当時、小谷麓の村々で深刻な水不足があった。

 その辺りの用水の源である高時川の水流を握るのは、力を持つ豪族の井口氏であった。

  久政は村民の願いによって井口氏へ圧力をかけたが、井口氏は大量の貢物という難題をふっかけ、諦めさせ様とした。

 然し、中野(現・東浅井郡)の土豪がこれを引き受けた為、井口氏も渋々承諾したという(*3)。

 この間に中野の土豪の娘が人柱となって水を得たという逸話もある。

 又、貢物の中に餅千駄とあった為、彼等の業績を称えて餅ノ井と名づけられた。

 用水路を確保した久政は灌漑事業を拡大したが、用水を巡って村同士の争いが発生した。

 この調停の為、用水口の統一や水量や村による優先順位の指定等をしている(尚、この時の取り決めは江戸から現代にかけて迄守られている)。

 又、小谷城山上に六坊(寺の集住)を建設を行ったり、寺社衆に対して所領の安堵や税政策の強化等を打ち出した(*4)。

 更に小谷城の増築、土塁の建設も行っている。

 天文22(1553)年には、父・亮政の徳政を発展させ、23箇条による法制度の導入を行った。

 年貢を納め時を待っての貸方の利益の保護を、父の制度を進めて一部改革を行った(*5)。

 こうした事業に努める事が出来たのは、六角氏の存在である。

 当時の六角氏は内政面において先進的な政策を行っていた。

 例

・楽市楽座

・文書発給の幕府寄りの形

・独自な裁定

 等。

 これらを吸収し、花押も六角氏に似せた形を取って京極氏等旧勢力からの脱却を目指して政治を領内にて行う事により浅井氏のその後の戦国大名への基盤を作る事が出来た(*6)。

 この他に、後世の悪評にも繋がるが、積極的に能等の文化を推進し(久政には御抱えの舞楽師が居た)、鷹狩や連歌をたしなんだ(*7)。


 そんな名君・浅井久政の旧家臣団が、出迎える。

「この度、御訪問して下さり、有難う御座います」

「歓迎して下さり有難う御座います。然し、今回は、御忍びなので、御前では、配慮して下されば幸いです」

「「「は」」」

 和装に包まれた家臣団だが、大河が黒服なので、奇異な視線でもある。

 大河から発信された洋装は、若者の間に瞬く間に広まり、山城国の隣国である近江国でも、洋装の人々は多い。

 然し、まだまだ受け入れ辛い保守派も多く、家臣団も違和感を禁じ得ないのだ。

「あ、お気になさらずにただの御洒落ですので」

「は、はぁ……」

 大河は、ゴスロリの珠を連れて歩く。

 他の女性陣は皆、和装だ。

 その為、2人は非常に浮いているが、2人が気にする様子は無い。

 それ所か、2人は手を繋いでいる。

 見せ付ける様に。

「では、我々はこれで」

 大河が頭を下げると、女性陣も続く。

 そして、宿舎に入っていく。

 姿が見えなくなった所を確認すると、

「いやはや、傾奇者だな」

「そうだな。ただ、本人の前では言うなよ」

「ああ」

 大河が笑顔で殺める異常者なのは、近江国でも有名だ。

「傾奇者」と言ったくらいでは怒らないのだが、やはり、残虐な心象イメージがついた以上、沸点が分からない為、気を遣うのは当然だろう。

 この後、上皇も訪問する。

 受け入れる側にとっては、この大型連休、一瞬も気を抜けない緊張した時間が始まるのであった。

 

[参考文献・出典]

*1:『垣見文書』

*2:『近江浅井氏』 小和田哲男 新人物往来社 1973年

*3:天文11年5月15日久政発給文書

*4:『同寺文書』

*5:『菅浦文書』

*6:宮島敬一『浅井氏三代』 吉川弘文館 2008年

*7:ウィキペディア

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