第300話 乳母日傘

 愛妻家の大河だが、育児も忘れていない。

 今日は、華姫と赤ちゃん達と散歩だ。

 大河は華姫と手を繋ぎ、侍女達が乳母車を押している。

「ちちうえとがいしゅつ、がいしゅつ~♪」

「上機嫌だな」

「うん!」

 大河と恋人繋ぎし、鼻歌混じりに歩く。

「♪ ♪ ♪」

 時々、大河の掌に頬擦りをしたり、接吻したり。

 その愛は、マリアナ海溝以上に深い。

「華、デレデレし過ぎ」

 苦言を呈す楠だが、その手は、真っすぐ大河のそれに伸びている。

 こちらも恋人繋ぎ。

 今回は、側室兼保護者として参加している。

「母上もデレデレしているじゃないですか?」

うるさい!」

 拳骨で言論弾圧。

 楠は、今年で14歳。

 華姫は、7歳。

 世間一般では、姉妹の年齢差であろう。

 然し、関係性としては前者は妻で、後者は義理の娘となる。

 現代感覚だと、テレビで紹介されそうな珍しい例だが、早婚が文化のこの世界では、よくある話だ。

「ちちうえ~。ははうえがぶった~」

「お~よしよし。痛かったな?」

 楠から手を放し、その手で、華姫の頬を擦る。

「大河―――」

「子供には、手を出すな。その時は、最終手段だよ」

 軍人の大河だが、児童虐待は絶対にしない。

 加減を間違えれば、殴殺してしまいかねないからだ。

 その為、山城真田家では、「しつけ」と称した罰は、基本的に女性が行う、

・平手打ち

・尻叩き

 に限られる。

折檻せっかん

・鞭打ち

 等は、行われない。

「華も余り御母さんを揶揄からかうんじゃないぞ? 怒られたら直ぐに謝り、反省しなさい。良いね?」

「……うん」

 華姫が頷いたのを確認した後、大河は、楠と握手。

「何よ? 私にも怒る気?」

「全然。暴力は、駄目だがな」

 忠告しつつ、更に力が強くなる。

「痛いんだけど?」

「良いんだよ。好きだから」

「……」

 真顔で言われると、楠も照れてしまう。

 子供好きであるが、結局は、愛妻家だ。

 妻にもDVする事はしない。

「楠、欲しい物あるか?」

「無いよ」

「じゃあ、着て欲しい服があるんだけど」

「服?」

「ああ」

 半ば強引に大河は、楠を連れて呉服屋に入る。

 そして、ある区画に直行した。

「好きなの、選んでくれ」

「……」

 楠は、目を見開く。

 黒振袖がわんさか用意されたそこは、彼女の知らない世界であった。

「……私、持ってるけど?」

「でも、1着だけだろ? 正装用にもう1着どうだ?」

「……じゃあ」

 珠と違い、楠は服飾ファッションに興味が無い。

 鶫同様、仕事一筋の人間だから。

 でも、全く興味が無い訳ではない。

 その証拠に色んな黒振袖を見出した。

「……」

 絵画を吟味する画商の如く、その視線は鋭い。

「ちちうえ、わたしもみていい?」

「良いよ。ただ、はかまか黒振袖以外な?」

「おしゃれしたい―――」

「珠くらいの年齢になってからな? 今は我慢しなさい」

「……は~い」

 渋々承諾すると、華姫は、袴の区画へ。

「皆も見ていいからな。子供達は、俺が見てるから」

「「「有難う御座います」」」

 アプト、与祢、珠の3人は深々と御辞儀し、各々の好きな場所へ。

 その間、大河は、3人の子供達の相手だ。

「「……」」

 元康、デイビッドは就寝中。

 唯一、起きているのは、累のみ。

「……」

 1歳にも関わらず、既に服飾に興味津々だ。

 近くのドレスをじーっと、見詰めている。

「累もあんなん着たい?」

「だー」

 *訳注:着たい。

「そうか。じゃあ、もう少し待たないといけないな」

「だ」

 *訳注:

「早く着たい?」

「だ」

 *訳注:うん。

「そうかぁ。でも大きさがなぁ。七五三の時に祝いで着る?」

「だ……」

 *訳注:え~……。

 義母や義姉が目の前で色んな服を試着して、自分が駄目なのは、子供ながらに不平等と感じているのだろう。

 謙信の子だけあって、賢い子だ。

 既に、人生を感じている様である。

「じゃあ、着る事は出来んが、一緒に見様か?」

「!」

 良いの?

 とばかりに振り向く。

「子守りしないと駄目だから周れないが」

 店員からパンフレットを二つ受け取り、近くの椅子に座る。

 その一つを累に渡す。

「累、見えるか?」

「だ!」

 *訳注:うん!

「じゃあ、どれが良い?」

「だ……だ、だ!」

 *訳注:これ……これ、これ!

 累が指した商品を一つ一つ丸を付けていく。

 買物出来ない分、これで買物気分だ。

 現代だと、通信販売を一緒に見ていく様な感覚が近いかもしれない。

「おいおい、これ、チャイナドレスじゃないか? 太腿が見えてる」

「だ?」

 *訳注:駄目?

「駄目。男に見られる。好きな人だけに見せなさい」

「だ!」

 と、大河に喪黒〇造の様にドーン!

「俺?」

「だ!」

「嬉しいなぁ」

 累を抱き上げて、頬擦り。

 父性愛から来るものであったが、累は、完全なる異性愛であった。

「! ……! ……!」

 大河に可愛がられ、テンションが上がる。

「良い子良い子」

 大河の溺愛は、日ノ本一であった。


「ちちうえ、どう?」

「おお、似合ってるよ」

 袴を着た華姫の華憐さは、『はいからさんが通る』や『ちはやふる』のヒロインに次ぐレベルだろう。

「このままきてかえっていーい?」

「良いよ」

 代金は、支払い済みだ。

 楠、アプト、与祢、珠の4人は、黒振袖。

 婚約者達は、婚約者なのであって、正式な妻ではない。

 だから当初、大河は未婚女性の正装である振袖を贈るつもりだったのだが、3人は拒否し、六文銭の入った黒振袖となった。

「若殿、如何ですか?」

「似合ってるよ。でも、袴でも見たかったな」

「袴は、華様が御着用されていますので、被らない様に配慮したんですよ」

 説明する与祢は、心底嬉しそうで、何度も姿見に見入っている。

 自己愛者ナルシストの様だが、婚約者が嬉しがっているのならば、何の問題も無い。

「「……」」

 アプトと珠は、何も言わないが、自分の黒振袖を何度も見ている為、着に行っているのだろう。

 楠は唯一、丸に十文字が入った黒振袖だ。

「本当に、これ……良いの?」

「裏、見てみ」

「? ……!」

 言われた通り、内側を見ると、六文銭がちゃんと入っていた。

「……」

「な? 両家の人間だよ」

「……うん」

 満面の笑みで楠は、大河の腕を取る。

 初めて会った時、2人は、11歳と19歳。

 今では、14歳と22歳。

 8歳差の鴛鴦おしどり夫婦だ。

(いつかは、この人の子供を……)

 益々ますます大河への愛を深めるのであった。


 帰宅後、大河は呼吸するかの如く、珠と松姫、お市を1回ずつ抱く。

 3人を侍らせつつ、入浴する。

「黒振袖を娘達に御購入して下さり、有難う御座います」

 三姉妹の代わりにお市が、謝意を述べた。

「お市のは、後から届くからな」

「! 私のもあるんですか?」

「皆、既婚者だからな。冠婚葬祭では、正装を着て頂きたい。松も珠もな?」

「「!」」

 大河は、3人を抱き寄せる。

 お市は、膝の上。

 松姫、珠は、左右だ。

 秋雨が、強まって来る。

「台風が、近いですね?」

「そうだな。お市は現住所、ここだよな?」

「はい」

 近江国と行き来している為、お市は台風の上陸次第では、こちらに帰って来れなくなる可能性があった。

「近江の方は、未整備が多いから、台風が来た時は、ここに居て欲しい」

「近江より安心?」

「ああ」

「分かりました」

「珠も松もな? くれぐれも故郷には帰らない様に」

「「御意」」

 天気予報での台風は、現在、小笠原諸島近海を北上中だ。

 本土への上陸は、2~3日後と見られる。

 まだまだ天気予報の精度が現代と比べると、どの程度なものかは、分からない。

 なので、気象庁が台風と判断した以上、強さの階級で最も低位な『強い台風』( 33m/s以上~44m/s未満)でも、計画運休が行われる(*1)。

国有鉄道国鉄

・航空会社

・船便

 等は、台風上陸前日から、全て運休予定だ。

 経済的には短所ではあるものの、人命最優先となると致し方ないだろう。

 お市と大河は、見つめ合う。

「ねぇ、真田様。若し、子供が出来たら、私の名前の1字、使って良い?」

「と、言うと? 『秀』か?」

「そ。例えばなんだけど、『秀政』とか」

 政は、先夫・浅井長が由来なのだろう。

 子供の名前に先夫のそれを使用するのは、今でも、忘れられない証拠と言え様。

「良いけど。男児の時限定だな」

「良いですよね?」

「構わんよ」

 それから、2人は開戦した。


 台風が関西地方を横断する事が判った為、首都圏は、一時的に幽霊都市ゴーストタウンと化す。

 路面電車、普通電車、新幹線も止まり、空港も閉鎖される。

 それだけでない。

 商業施設や赤線区域(公娼街)、金融街、省庁が集まった上京区(現代だと千代田区的地域)も閉ざされた。

 開いている場所は、

・病院

・薬局

・警察署

 くらいだ。

 24時間営業の食料品店でさえも臨時休業する始末だから、国民一丸となって対応している。

 帝も療養先の軽井沢から帰ってこない。

 京が心配だが、無理に帰る事は無い。

『―――紀伊半島に早朝、上陸した台風は、現在、勢いを強めて、摂津国に接近中です。紀伊国では、田圃たんぼを見に行った農家が川に流されて死亡する等、既に死者が出ています。伊勢国でも、当局の中止命令を無視し、川辺で酒盛りを楽しんでいた一家が、増水した川に流されて行方不明になる等、人的被害が確認されています』

 テレビを沈痛な面持ちで観ている。

 公務も当然無い為、京都新城に避難している朝顔が直接被害に遭う可能性は少ない。

 然し、自分が安全地帯に居る一方、避難に失敗した民が居るのは、心苦しい限りだ。

「……真田―――」

「『正常化の偏見』ってのがある」

「へ?」

「人間は、自分の都合の良い情報以外は、聞き流してしまう場合があるんだよ。避難命令を出しても、それを破って死傷する人間が一定数居るのは、この為だ」



・大邱地下鉄放火事件(2003年2月18日)

 多くの乗客が煙が充満する車内の中で口や鼻を押さえながらも、座席に座ったまま逃げずに留まっている様子が乗客によって撮影されており、正常化の偏見が乗客達の行動に影響したという指摘もある。

「被害は大した事が無いのでその場に留まる様に」

 という旨の車内放送が流れたという証言もあり、こうした対処が正常化の偏見を助長した可能性もある。

 この火災は当時において、世界の地下鉄火災史上で2番目となる198人以上の死者を出した。


・東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)

 津波避難を巡る課題として「警報が出ているのを知りながら避難しない」人達が居る事が指摘されていた。

 実際に、地震発生直後のビッグデータによる人々の動線解析で、ある地域では地震直後には殆ど動きが無く、多くの人々が実際に津波を目撃してから初めて避難行動に移り、結果、避難に遅れが生じた事が解明された。


・御嶽山噴火(2014年)

 御嶽山の噴火で登山者58人が噴石や噴煙に巻き込まれて死亡した。

 死亡者の多くが噴火後も火口付近にとどまり噴火の様子を写真撮影していた事が判っており、携帯電話を手に持ったままの死体や、噴火から4分後に撮影した記録が残るカメラもあった。

 彼等が正常化の偏見の影響下にあり、「自分は大丈夫」と思っていた可能性が指摘されている(*2)(*3)(*4)(*5)(*6)。

 

 大河は、朝顔を抱き締める。

「残念だが、これは、現実だ。彼等の事まで考えるな」

「……」

 朝顔は、涙ぐむ。

 外は強雨きょううになる。

 窓に打ち付けるそれが、大河には慟哭どうこくに聞こえるのであった。


[参考文献・出典]

*1:気象庁 HP

*2:『"“いのちの記録”を未来へ~震災ビッグデータ~"』NHKスペシャル NHK総合 2013年3月3日放送

*3:広瀬弘忠『人はなぜ逃げおくれるのか 災害の心理学』集英社〈集英社新書〉 2004年

*4:松田美佐『うわさとは何か ネットで変容する「最も古いメディア」』中央公論新社〈中公新書〉 2014年

*5:山村武彦『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている』宝島社 2015年

*6:ウィキペディア 一部改定



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