第298話 醒酔笑
『―――
サビを噛まずに言えた事で、露の五郎兵衛は内心、安堵した。
何せ相手は、上皇。
寛大な事は百も承知だが、やはり、
光栄な分、噛んだり、ネタを飛ばしたりでもしたら、それこそ末代までの恥であろう。
京都新城に造られた寄席には、山城真田家の面々が、集まっている。
当主の大河は勿論、上杉謙信、立花誾千代、千姫、茶々、エリーゼ等。
彼等以外にも島左近等、山城真田家の家臣団や侍女も詰め掛け、観客は全て計算すると、約1万5千人。
これは、現代で例えるならば、武道館の収容人数位の規模だ。
舞台でスポットライトを浴びつつ、演目を披露するのは、彼の落語家人生では今まで無かった。
報酬も言い値であった為、五郎兵衛が願えば、その分、払ってくれただろう。
然し、御前で披露出来る事こそが、最大の報酬と彼は考えている。
政治を風刺する
ドッと笑う観客を前に五郎兵衛のボルテージも上がっていく。
(もう少し、高価な服、着てくれば良かったな)
朝顔自身、悪気は無かったのだが、服装を間違ってしまったと思っている五郎兵衛の汗は止まらない。
皇族と服装に関しては、後世にこんな話がある。
本田宗一郎(1906~1991)が昭和56(1981)年、皇居での勲一等瑞宝章親授式へ出席の際、「技術者の正装とは真っ白なツナギ(作業着)だ」と言いその服装で出席し様としたが、流石に周囲に止められ、最終的には社員が持っていた燕尾服を借りて出席した。
本人曰く燕尾服を持っていなかった為、その様な発言をしたとの事である(*1)。
本田宗一郎の人柄を表す逸話であり、皇族も事情を説明すれば、理解してくれるだろう。
然し、会社が困るのも当然だ。
16世紀に日ノ本では、現代程、燕尾服は流通していないのだが、手元にあり、その文化もあれば、五郎兵衛も選んでいた事だろう。
臨時の寄席は、大盛況で終わるのであった。
寄席終了後、大河の下に五郎兵衛が挨拶に来る。
「この度、御招待して頂き有難う御座いました。今回の経験を機に、益々、芸事に精進する所存であります」
「いえいえ」
与祢が、大金を持って来て、五郎兵衛の前に置く。
「こ、これは……?」
「無報酬は、流石に玄人に失礼です。高等技術を無償で提供するのは、玄人の仕事ではありません」
「ですが―――」
「玄人なんですから労働の対価として受け取って下さい。その後、如何するかは、師匠次第です」
「……」
日ノ本の労働基準法では、無償を禁止している。
労働者と雇用主、双方の同意があった場合のみ、合法だ。
その為、五郎兵衛はどれ程無償を願っても、大河が合意しない限り、受け取るしかない。
「有難う御座います」
「済みません。師匠、法律がありますの
「分かっています。でも、安心しましたよ」
五郎兵衛は、微笑む。
「まさか、これ程名君とは」
「法律を遵守した迄ですよ」
「失礼とは思いますが、真田様を題材とした噺を作っても良いでしょうか?」
「良いですよ。ただ、条件が二つあります」
「何でしょう?」
「『客を笑わせる事』『家族を傷付けない事』。これが、出来れば認めます」
「! 有難う御座います」
「兄者~まだ~?」
お江が、引っ付き虫の様に引っ付く。
「もう終わるよ」
お江を抱き上げて、肩に乗せる。
「では、師匠。改めて有難う御座いました」
「こちらこそ。有難う御座いました」
出て行く大河達を見送る。
(流石、日ノ本一の名君だな)
感心した五郎兵衛は帰宅後、早速、作る。
『大変仲の良い若夫婦があった。
人も羨む夫婦仲の良さであったが、元々病弱だった妻は長患いの床に付く。
夫は献身的に看病するが、死期の近いのを悟った妻は夫に言う。
「私が死んだら、貴方はきっと別の人と再婚するんでしょうねえ……」
「気弱になってはいけないよ。お前の病気は必ず治る。また元気になるとも。もし万が一……万が一だよ、お前にもしもの事があったって、私が惚れた女は生涯お前1人だ。絶対他の女は近づけない」
―——』(*2)
と。
そして、題名を名付ける。
「……確か、真田様は、結婚3年目だった筈……『三年目』で」
こうして、古典落語の代表作の一つ、『三年目』が誕生したのであった。
落語を楽しんだその日の夜。
「ねぇ、大河」
誾千代が、囁く。
場所は、寝室。
布団の中だ。
「お願いなんだけど」
「何?」
「豊後に障碍者施設を作りたい」
「そりゃ又、急な話だな?」
現代の様な、公的な障害福祉政策が行われる様になったのは、戦後の事。
この異世界では、障碍者は差別されてはいないが、健常者と比較すると、軽視されている。
「貴方が癩病に寛容でしょ? だったら、私も何か出来る事無いかな、と思っていたのよ」
「分かった。でも、何で豊後なんだ?」
「上様の故郷だからね。まずは、そこから初めて全国に広げ様と」
「分かった」
納得した大河は、誾千代の手を握る。
「有難う」
「何が?」
「触発されたんだろ?」
「うん」
「障碍福祉の事は、俺も考えていたが、誾千代程深くは考えていなかった。協力者が出来て助かるよ」
誾千代の胸に文字通り、飛び込む。
「あん♡」
「幾らでも出すよ。慈善事業だからな」
癩病ばかり重視していた為、その他の事は、忘れていた。
誾千代の提案は、非常に有難い。
(法律も整備し、雇用率も上げるかね)
誾千代と愉しみつつ、大河は、現代日本に近付ける様、思案するのであった。
[参考文献・出典]
*1:本田宗一郎『本田宗一郎 夢を力に 私の履歴書』 日経ビジネス人文庫・日本経済新聞出版社
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