第296話 災難即滅
『夜、天下に大風。
・皇居の門
・高楼
・寝殿
・回廊及び諸々の役所、
・建物
・塀
・庶民の住宅
・神社仏閣
まで皆倒れて一軒も立つもの無く、木は抜け山は禿ぐ。
また洪水高潮有り、畿内の、
・海岸
・河岸
・人
・畑
・家畜
・田
この為皆没し、死亡損害、天下の大災、古今にならぶる無し、云々』(*1)
―――
永祚の風は藤原氏の栄華を襲った、古代日本史中最大の大風(暴風雨)といわれている。
『更に及ばぬ天災なり』(*2)
とも記録されている(*3)。
比叡山では大鐘が吹き飛ばされ、七つの僧坊を破壊しながら谷底に落ちたという。
当時、災害の記録を残す古文書に関しては、地震に関する記述は多く残るものの、台風等の風水害を記録したものは少ない。
然し、永祚の風は被害が大きかった事もあり、記述が残されている(*4)。
「……」
国立校の図書館にて、大河は過去の台風を学ぶ。
映像や写真が無い為、文献の真偽は分からない。
大いに盛られている可能性も否めない。
然し、当時を知る上で貴重な資料である事は確かだ。
以前、襲った台風でも、比叡山等は大きな被害を受けた。
山城国は信玄堤等の災害対策が功を奏し、被害は最小限だったものの、今回も同じ様になるとは限らない。
何にせよ、『備えあれば患いなし』だ。
(……朝顔が、心配だな)
この様な状況下で、国民を動揺させず、
(全権委任法を使ってでも支えるかね)
朝顔を支える為に大河は、全力を出す事を誓うのであった。
図書館から帰り、大河は都庁に寄る。
「おお、真田殿。如何されました?」
「済みません。御予約も無しに」
「いえいえ。都議会と上手くやっていける様になった大恩人を門前払い出来ませんよ」
光秀自ら茶を淹れ、持て成す。
「それで何用ですかね?」
「恐らくですが、今秋は台風が多いです」
「え? もう9月ですよ? その季節は終わったのでは?」
「7月から10月までが我が国の台風の時期なんです。与祢」
「は」
与祢が、世界地図を机上に置く。
「我が国はこの島国です。台風は、この辺りで発生し易いのです」
フィリピン沖を指す。
「6月と11~12月にかけては、西進する為、我が国を逸れる場合が多いです。然し、7~10月にかけては我が国に接近し、上陸し易いのです」
「専門的ですね? 何故、その時期に我が国に?」
「海水温が高くなるからです。他には季節風等、様々な事が関係しています」(*5)
「以前、貴殿が山城国を天災から守ったのは、その知識ですか?」
「そうなりますね」
「近衛大将が気象学を学ぶのは、民思いですな」
感心しきりの光秀。
自身も名君であるが、天気を勉強するのは、選択肢には無かった。
「それで天気と都議会が何を?」
「都民に
「土嚢? 災害対策ですか?」
「はい。何かあった時に使用出来ます。明智殿の代で帝都は、災害に強い地域に生まれ変わって頂きたいのです」
「分かりました。然し、国会の方が良いのでは? 真田殿の御力ならば、直ぐに可能かと」
「出来ますが強行すれば、理解は得られません。何せ国政ですからね。その分、都政の方が身近で
「成程」
現代でも一国会議員より、都知事の方が権限があり、自由に動き易い。
注目も集まる。
だからこそ、国会議員を辞職して都知事を目指し、実際に成る政治家も多いのだ。
「帝都が成功すれば、国も負けじと追いかけてくる筈です。お願いします」
「分かりました。準備が出来次第、早速、次回、提出してみます」
外見上、冷静沈着を装う光秀であるが、内心は大喜びであった。
何しろ前任者・大河と比べると、自分は地味で仕方が無い。
第二次世界大戦中のアメリカの大統領であるルーズベルトの急死後、副大統領から昇格を果たしたトルーマンは、当初、地味でスターリンからも「小物」と見られていた。
その自覚はあった様で、トルーマンは就任初日、
―――
『私の肩にアメリカのトップとしての重荷がのし掛かってきた。
第一、私は戦争の詳細について聞かされていないし、外交にもまだ自信がない。
軍が私をどう見ているのか心配だ』(*4)
―――
と日記に記している。
その弱気な大統領が一気に自信家になれたのが、原子爆弾の開発成功である。
これを機にトルーマンは、ソ連にも強気に出る事が出来、戦後、スターリンと互角に渡り合えたのであった。
光秀もトルーマンと同じ状況だ。
然し、切り札である大河が協力者になって以降、日増しに強気になり、強大な都議会相手でも論戦を繰り広げている。
(災害対策は、真田殿の猿真似になるが、災害大国であるこの国の現実からして当然の事だ。真田殿の政策を継承し、災害に強い首都を目指そう)
後日、光秀は大河を相談役とした災害対策案を議会に提出し、満場一致で可決されたのであった。
台風の事は、朝顔も気にしている。
「御所は大丈夫かな?」
「多分な。でも、絶対は無いから、最悪、この城に皇族の方々は、避難して頂く」
「ここは丈夫なの?」
「地震は震度7まで。台風は猛烈にも耐えれる」
「万全なのね?」
「俺の家だからな」
「自信家なんだね?」
朝顔は満足気に頷き、いつもの様に膝に座る。
大河には癒しの効果がある様で、利用すればする程、体力回復の効果がある様に思われる。
当然、学術的根拠は無い為、ただの
弱気な夫より、強気な夫の方が良い。
それも、朝顔が惚れた理由の一つであろう。
「あ~。兄者、又、陛下にごますってる~」
お江に見付かり、背後に抱き着かれる。
「そうか?」
「そう!」
珍しく、お江は
平日は仕事の為、朝顔と出勤し、日中は彼女と過ごし、帰宅しても彼女の傍に居る事が多い。
朝顔もそれは、引け目に感じているらしく、
「御免ね」
と、素直に謝った。
そして、席を譲る。
「お江、どうぞ」
「い、いえ。陛下を責めた訳では―――」
「良いから」
2人は、どうぞどうぞとお互い譲歩。
こういう時の解決方法を大河は、一つしか知らない。
「じゃあ、お江にもごまをすろうかね」
そう言って、2人を掴んで、膝に乗せる。
「兄者?」
「真田?」
「平等に愛しているから」
「兄者……」
大河の決意表明にお江は、感動を禁じ得ない。
「真田に甘え過ぎたわね? 私も反省するわ」
「有難う」
「でも、真田。私は、こう見えて嫉妬深い所もあるから―――」
「(知ってる)」
「はい?」
「何でもないです。御免なさい」
速攻に謝ると、朝顔は、頭を撫で始めた。
「素直なのは、良い事よ」
家では対等な夫婦の筈だが、やはり、上皇と近衛大将の関係もある。
「それはそうと、真田。最近、お市と余り接していないでしょ?」
「うん……そうだなぁ」
茶々が出産後、お市は、孫・猿夜叉丸の育児を手伝ったり、近江に帰郷し、お墓参りと何かと忙しい。
その為、時機が合わなければ、数日間、会えないというのは、ざらだ。
「お市がどうかしたのか?」
「最近、貴方と会っていないから、落ち込んでいたわよ。私を愛してくれるのは、嬉しいけれど、多妻なのだからちゃんと、責任取りなさいよね?」
「ああ……分かった」
事実の為、耳が痛い。
三つ盛亀甲が
「……」
浅井長政の肖像画の複写にお市は、合掌していた。
仏壇もある。
骨壺には、徳勝寺から分骨された夫が居た。
前夫を連れて来るのは、本来、夫が嫌がるだろう。
然し、大河は、快諾してくれた。
良いよ、と。
後に聞いた話によれば、誾千代も同じ様に私室に仏壇を設置し、立花宗茂を連れて来ている、という。
「貴方、私は今、真田様の御蔭で、多くの娘達に囲まれ、孫とも過ごす事が出来ています。幸せですよ」
……
当然、前夫は答えない。
だが、極楽浄土で見守ってくれる事だろう。
織田家と浅井家が緊張感が生じた時も、金ヶ崎の戦い(1570年)から小谷城の戦い(1573年)までの間、肩身が狭かった自分を優しく接し、娘達も愛してくれたから。
今頃、宗茂と会って、酒を酌み交わしているかもしれない。
「真田様は、出自が不明ですが、貴方の生まれ変わりかもしれませんね? 貴方と出会って欲しかったです。恐らく、意気投合して下さる事でしょうから」
骨壺を抱き締める。
映画の様に、見えない手が、抱き締め返している事だろう。
若し、お市に霊感があれば触れなくても、長政を抱擁し、接吻したい。
幾らでも。
「……」
ふと、涙が溢れ出す。
長政との短いながらも、幸せな夫婦生活を思い出したのだ。
新婚旅行に長浜の温泉に行った事。
茶々が生まれた時、子供の様に
義兄を裏切る決心をし、子供達に泣いて詫びた貴方。
落城寸前の小谷城で、泣きじゃくる子供達を笑顔で励まし、「達者でな」と笑って別れた貴方。
今まで、隠していた感情が
お市は、自分を責めた。
(貴方が好きなのに……若い夫に目移りした私は、悪女だわ。幸せになってはいけないのに)
落城の時、本当は長政と心中する気であった。
が、夫は許してくれなかった。
「子供が居る。子供達の為、俺の分も長生きしてくれ」
と。
子供を産んでいなければ、恐らく、了承してくれていたかもしれない。
1人で逝くのは、怖かった事だろう。
何度も後を追う事を考えたが、その度に子供達が過って死にきれなかった。
子供達は、夫の残した形見だ。
夫の為にも生きねば、と思い今迄生きて来た。
そんな時、今の夫と出会った。
最初は、子供達の男友達と思っていたが、段々と子供達が惹かれるにつれ、お市も又、無意識の内に惚れていた。
子供達と遊び、優しく接する彼に、長政を連想したからだろう。
自分は幸せになってはいけない、と思っていたが、結局、押し掛け女房の形で事実婚してしまった。
自分は何て身勝手な女なのだろう。
悲しみの次に押し寄せたのは、自己嫌悪。
本当に嫌になる。
骨壺を抱いたまま、深い溜息。
「疲れてるな?」
「うん。もうね、一杯いっぱ―――い?」
思わず、骨壺を落としかける。
自分を覗き込んでいたのは、今、最愛の人・大河であったから。
「ど、どうして?」
「御免な。最近は、孤独にさせて」
「……!」
心臓が早鐘を打つ。
「”新九郎”様、申し訳ありません」
骨壺に礼をした後、大河は、襲い掛かる。
「真田様?」
「市。御免な。俺は、こう見えて嫉妬深いんだ」
「え……?」
「前夫の事は忘れろ、とは言わん。ただ、想うのであれば、俺だけを見てくれ。じゃないと嫉妬で前夫の墓を破壊するかもしれん」
大河の背後には、不可視の炎が。
「……」
「自分を責めるな。俺が全身全霊で支える。困ったら何でも相談してくれ。弱った市を見たくない。好きなんだよ。だから、俺より先に死なないでくれ」
(……ああ、そういう事か)
お市は、納得した。
自分が病んで自殺するのでは? と勘違いしたのだろう。
よくよく見ると、襖は蹴破られいる。
これは奇しくも、金ヶ崎の戦い直後にも同じ様な事があった。
敵、と判断した浅井家の家臣の一部がお市を包囲し、殺そうとしたのだ。
その際、長政が駆け付け、自ら成敗した。
その時の焦り様とよく似ている。
(やっぱり、この人は長政様の生まれ変わりなんだ)
若しくは、極楽浄土の長政が送った見える守護霊なのかもしれない。
「大丈夫よ。自刃する気は無いわ」
「本当?」
見上げた大河と目が合う。
うっすらと涙が溜まっていた。
相当、心配していた様だ。
この顔をされると、襖を壊された怒りを出せない。
本当に狡い夫である。
「ええ。長政様と同じ位に好きだからね。貴方を悲しませる事は、私も本意じゃないわ」
「……同じ位?」
やっぱり、反応した。
大河は、嫉妬に満ちた顔で、宣戦布告する。
「”新九郎”様。貴方を今後は、敵と認定します」
「敵って―――」
「俺が、上位に来る様に4人の子供、目指すって事ですよ」
「あ―——」
そして、大河は仏壇を前にお市を襲う。
(あなた……ごめん)
仏壇の肖像画に手を伸ばすも、大河に捕まり、お市はその場で激しく愛されるのであった。
[参考文献・出典]
*1:『扶桑略記』 永祚元年8月13日
*2:『愚管抄』
*3:岳真也『今こそ知っておきたい「災害の日本史」: 白鳳地震から東日本大震災まで』PHP研究所 2013年
*4:ウィキペディア
*5:頭痛ーる あなたの頭痛を予報! 『気象病に関する気象用語』
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