第267話 浅原事件
皇道派の支援者は、攘夷党党首・吉田であった。
以前、党員が大河を襲い、解党の危機に陥ったが、西洋文化に馴染めない若者達の支持を集め、地方選挙で勢力を伸ばしつつあった。
そんな彼の影響を、皇道派は強く受けている。
「先生、お逃げ下さい」
皇道派の長であり、陸軍大佐の北が説得する。
「逃げんよ」
吉田は、首を振った。
「追及された以上、秘密警察からは、逃げれん」
「……」
大粛清の時代の
ロンドンの様な監視社会で、テロリストは一度、目をつけられたら、執拗に追われ、最後は死ぬ。
だったら、死ぬ覚悟で蜂起するのが、彼等のやり方だ。
「
「!」
史実の幕末の政争に参加した志士は天皇の事を密かに
「それは、失敗例がありますが?」
陶晴賢等が起こした禁門ノ変が記憶に新しい。
帝を誘拐された新政府軍はあれ以来、御所を
「それは、御所での話だろう?
「!」
当然、近衛兵は分散され、警備も弱まるだろう。
予定では大河は、京に残り、帝には上杉景勝が。
皇子には、島左近が用心棒として付く。
近衛兵は、三つに分かれるのは、皇道派としては、中々無い機会だ。
国軍も不祥事があったばかりで、近衛兵に協力するのは、難しい。
これを好機と呼ばず、何と言うか。
「忠誠!」
北は、敬礼し、連帯を意思表示。
禁門ノ変以来の大事件が迫っていた。
皇道派の不穏な動きは、特別高等警察に確認される。
「又、事件か」
近衛前久は、呆れ顔。
「御予定を延期出来ませんかね?」
「難しいな。折角、奥州の民が心待ちにしているんだ。陛下もそれを望まないだろう。一応、相談してみるが」
「……」
民思いの帝の事、自分の身が危険になろうとも目標は達成したい筈だ。
その信条は、後年のひめゆりの塔事件で体現されている。
昭和50(1975)年7月17日、御訪問中であった沖縄県にて、当時の皇太子御夫妻は、新左翼からのテロに遭う。
御二人に大きな怪我は無く、その後の御予定を
帝も禁門ノ変の際、一時、幽閉されたが、退位される事無く御公務を続けてられている。
昭和天皇も皇太子時代、狙撃されたが、その時も側近に「空砲だと思った」と平然と語った、とされている様に(*2)。
皇族は、平民以上に強心臓なのかもしれない。
「延期も中止も陛下の御心には、無い。出来る事は、警備の強化位だ」
「は」
「但し、分かっているだろうが、崇峻天皇の二の舞は、避けろ。良いな?」
「は」
歴代天皇の中で暗殺されたのは、124人(北朝時代のも含めると129人。令和元年5月1日現在)の内、第32代・崇峻天皇(553? ~592?)のみ。
他には、
・用明天皇(第31代・? ~587?)
死因は、
・淳仁天皇(第47代・733~765)
配流先からの逃亡し、失敗直後に急逝。
公式には病死と伝えられているが、実際には暗殺されたと推定され、葬礼が行われた事を示す記録も存在していない(*2)(*3)。
・孝明天皇(第121代・1831~1867)
毒殺の疑いのあり。
・安康天皇(第20代・401~456)
皇族・
・安徳天皇(第81代・1178~1185)
無理心中とされ、殺害とは区別されている。
禁門ノ変以降、朝廷は、帝を守る為に全力を注いでいる。
崇峻天皇以来の暗殺を防ぎたいのは、当然の事だろう。
「手筈通り、上皇様は、こちらに残って頂く。頼んだぞ?」
「は」
横綱が2人以上居る場合、彼等が同じ飛行機に乗る事は無い。
万一、事故に遭った際、1人だけでも生き残らせる為だ。
それは、朝廷でも同じだ。
朝顔が、東北等に行幸に行った際、帝が京に残っていた。
その逆も然り。
幾ら皇子が1千人以上居るとはいえ、上皇と帝は、
宮内省が重複しない様に日程を調整する苦労は、容易に想像出来るだろう。
「浅原事件を知っているよな?」
「はい。伏見帝暗殺未遂事件ですよね?」
「そうだ」
歴史家でもないのに、打てば響く。
好色家が短所だが、前久が大河を気に入っているのは、この様な突然の質問にも即座に答えられる即応性と博識さが理由の一つだ。
―――浅原事件は、正応3(1290)年に発生した伏見天皇(第92代・1265~1317)暗殺未遂事件だ。
3月9日(4月19日)夜。
浅原は、御所内に居た
危険を感じた女嬬は
一方、浅原等は天皇と春宮を探して御所内を彷徨ったものの、御所内の人々が騒ぎに驚いて逃げ去った後だった為、天皇と春宮の発見に失敗。
その内に
首謀者である浅原為頼は甲斐武田氏または小笠原氏の庶流奈古氏の一族(共に甲斐源氏系)で、霜月騒動に連座して所領を奪われた為に悪党化し追捕の対象となり指名手配されていた。
事件の折に御所内で射た矢には『太政大臣・源為頼』と記す等、事件当時、
又、共に襲撃し自害した2名は彼の息子(光頼・為継)であったという(*2)。
「あの事件と前の事件で少なくとも2回は、御所が汚された。これ以上、汚すな」
「は。重々承知しています」
扇子を鳴らす。
「頼んだぞ?」
翌日、帝が景勝が率いる上杉隊に守られつつ、京を出る。
同時に、皇子も左近と一緒に屋久島へ。
居残った朝顔は、重圧で一杯であった。
「……」
はぁ、と物凄い溜息。
働き方改革の下、公務は楽なのだが、仲良しの帝が近くに居ないのは、寂しい。
が、孤独ではない。
傍らには、常に大河が居るから。
「さなだ~、だっこして~」
「はい、高い高い~」
「きゃはははは!」
皇族の子供達と一緒に童心に帰って遊んでいる。
「しょーぎしよ~」
「では、飛車落ちで」
「だ~め~」
何時もは、女官が遊び相手なのだが、大河が全力で相手してくれる為、最近、彼が御所に来た時は、
「皆、駄目よ。近衛大将は、御仕事で来たのですから」
「「「え~」」」
子供達は、ブーイングの嵐。
幼児なので、朝顔の高位性を理解していないのだ。
大人には無い反応なので、大河は何時見ても新鮮に感じる。
「へいか、またひとりじめ~?」
「そうよ。私の忠臣なんだから」
「ずる~い」
「けち~」
「わがまま~」
「煩い。上皇の特権よ」
子供相手に割と真剣に嫉妬し、大河の襟首を掴むと、近くに座らせる。
現代だと、パワハラとも解釈出来るが、こう見えて2人は
「ちぇ~」
「つまんないの」
「さなだ~、またあそぼ~ね~」
不満を漏らしつつ、子供達は、帰っていく。
「陛下―――」
「名前で呼んで」
「……分かった。朝顔。大丈夫か?」
「え?」
「疲れた顔してる」
「……」
この男は、本当によく自分を見ている。
人には、見せない本心を、まるで超能力者の様に見抜いている。
「そうね。休むわ」
大河の背中に顔を埋め、頬擦り。
「御免ね。嫉妬深くて」
「全然。子供は、純粋に遊びたいだけだから。余り敵意を向けない方が良い」
「
「ああ」
「……そうね。その点は、反省点よ。でも―――」
目を細めて、抱き締める。
「恋敵がこれ以上、増えるのは嫌」
「子供だぞ?」
「子供でも、よ。与祢と婚約している癖に」
「……」
正論に閉口せざるを得ない。
「もう、止めた」
子泣き爺の様に背中にしがみ付く。
「今日の仕事は、終わりよ」
「良いのか?」
「有給取るから」
「分かった」
厳密に公務員、という訳ではないが、働き方改革により、公務を行う成年皇族に対しても、国家公務員同様の有給休暇が付与されている。
多くの場合、夏季休暇と年末年始に合わせて使うのだが、何方でも無いこの時期使用するのは、異例だ。
休暇簿に時間を書く。
上皇が有給休暇を自分の意志で取得するのは、歴史上初めての事。
大河は、歴史的瞬間に立ち会っている事になる。
斯うして朝顔が使った事から、今後、帝も積極的に消化する様になるだろう。
明治4(1871)年に断髪令成立後、世間に浸透しなかったが、散切り頭であったが、明治6(1873)年に明治天皇が髷を落とした後、急速に広まった様に。
「政変の方は、大丈夫?」
「知っていたのか?」
「そりゃあね。公家に扮した近衛兵を見れば、誰だって分かるよ」
便意兵は万一、皇道派が政変を起こし、御所に侵入した時に備えての事だ。
見た目は、痩躯や巨漢と兵士には程遠い体格だが、その実は柔道や空手、相撲等、格闘技に長けた者達だ。
出遭った皇道派が油断した所を叩く。
大河が考えた陽動作戦だ。
当然、作戦は、これだけではないが。
「前線には、出ないよね?」
「ああ。一番槍しなければならない時はあるかもな」
「……引退出来ない?」
「引退すると、近衛大将も辞任しないといけなくなるぞ?」
「……」
近衛大将という身分だからこそ、御所に出入りが可能だ。
それを失えば、朝顔は1人で仕事しなければならない。
夫を長生きさせたいが、孤独なのは、嫌だ。
一緒に居る時間を考えると、現状維持が最善の選択だろう。
「……御免。さっきのは無しで」
「良いよ。心配してくれて有難う」
「……」
服の上から、背中の傷を擦る。
ゴ〇ゴ13の様に全身傷だらけの夫は、その傷さえ愛おしく思える。
この一つ一つが、大河の自己同一性の一つ一つなのであり、生き様だ。
朝顔は、頭を振り、更にきつく抱擁。
「大好き」
「俺もだよ。さ、帰ろうぜ」
「うん」
2人は、手を繋ぎで御所を出ていく。
帝が留守の間、大河は御所の敷地内にある詰め所で滞在する。
京都新城から御所は近いのだが、心配性の帝が「念には念を入れよ」との事で、この様な事になっているのだ。
この間、誾千代達もここで過ごす事になる。
京都新城と比べると狭いが、住めない事は無い。
「兄者、ここなら毎日、徒歩1分位の距離だね?」
「そうだな」
私室にて、お江と過ごす。
部屋数が少ない為、ここが食堂でもあった。
・
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・
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と、6月の旬の魚が並ぶ(*5)。
焼き魚に刺身に寿司に煮魚……と、味に飽きる事は無い。
「真田様」
「山城様」
「兄様」
「兄者」
4人が、一斉に口を開く。
あ~んしてくれ、という催促だ。
「はいよ」
食べるのもそこそこに大河は、忙しい。
右に誾千代。
左に謙信。
膝に朝顔、御国、楠を抱えて。
「も~。甘えたいのに」
「貴女は、事実婚の身でしょう? まずは、正妻からよ」
お市はエリーゼに
「累様、山葵、大丈夫ですか?」
「だー」
「元康様、熱いですから少し冷ましますね?」
「だ!」
「デイビッド様、御飲み物は、何に致しましょう?」
「だっ」
アプト、与祢、珠は
ナチュラ、鶫、小太郎は、愛人なので隣室だ。
彼女達も大河の配慮で同じ料理を食べる事が出来るが、身分上、正妻とはやはり一線を画さなければならない。
「私もいつか、御主人様の子供、産みたいな」
「あら、ナチュラは、そういう願望あるんだ?」
「鶫は無いの?」
「あるけど、遺伝が怖いからね」
「風魔は?」
「私は奴隷だから。子供が可哀想だから産まないかな」
3人共
鶫が不安げに尋ねる。
「庶子になるけど、良いの?」
武家社会(及びその影響下にある社会)においては嫡男以外の家督相続権のない男子の事を庶子と言い、この場合正室の子供である無しは関係なく、長男が嫡男とは限らない。
嫡男は総領等と呼ばれ、庶子は分家して庶家となり、庶流を形成する事があった。
戦国時代においては奇しくも3人の天下人(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)の跡継ぎは何れも庶子である(信長、秀吉は正室との間に子が無く、家康は正室・築山殿との間に信康が居たが若くして自害している)。
但し、庶子と
現に沢山の庶子(とされる)が、歴史に名を残している。
・織田信忠 一説では父の正室の実子に
・武田勝頼
・吉川広家
・徳川秀忠
・豊臣秀頼
・前田利常
・保科正之
・井伊直弼
・松平容保
等がその例だ(*2)。
「子供は、授かりものだから。御主人様も子供好きだしね」
「「……」」
否定は出来ない。
華姫に実子同様の愛情を注いでいた所を見ると、愛妾の子供でも同じ様に愛すだろう。
「私はね。子供に分家の長を託したいの。それが、私が家を支える最大限の事だろうから」
「「……」」
愛妾でも良いから支えたい。
純粋な愛に鶫達は、眩しく見えた事は言うまでも無かった。
[参考文献・出典]
*1:世界大百科事典 第2版 平凡社 一部改定
*2:ウィキペディア
*3:日本初の歴史戦国ポータルサイト BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
*4:コトバンク
*5:旬の食材カレンダー
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