第266話 門前成市

 根っからの軍人である大河だが、平和主義者でもある。

 その為、日ノ本の平和を維持する為には、どれ程自分の手が汚れても構わない。

「最近、権力闘争が激しいな」

 楠からの報告書に大河は、熟読していた。

「皇道派と統制派だからね」

 両派共、国軍内部に存在する派閥だ。

 建武政権が誕生して以降、朝廷を利用したい輩と、それを阻止したい勢力の暗闘が続いている。

 史実では、皇道派は、大日本帝国陸軍内に存在した派閥だ。

 北一輝等の影響を受けて、天皇親政の下での国家改造(昭和維新)を目指し、対外的にはソ連との対決を志向した。

 統制派も大日本帝国陸軍内に嘗て存在した派閥だ。

 当初は暴力革命的手段による国家革新を企図していたが、あくまでも国家改造の為、直接行動も辞さなかった皇道派青年将校と異なり、その態度を一変し、陸軍大臣を通じて政治上の要望を実現するという合法的な形で列強に対抗し得る「高度国防国家」の建設を目指した(*1)。

 この異世界では、皇道派は、帝が政治を行う現代のサウジアラビアの様な制度を。

 統制派は、引き続き、間接民主制を維持したい、其々の目標を持っている。

 大河の心象としては、

 皇道派→権力を笠に着た無法者

 統制派→まだ話し合う余地が出来る

 と感じていた。

「官舎で以前、乱闘したりと忙しい奴等だ」

「贈り物も盛んね」

「賄賂、な」

 両派からは、毎日の様に贈答品が、届く。

 皇道派が海の幸ならば、統制派は、山の幸を。

 まるで示し合わせた様に、抜群の均衡バランスだ。

 恐らく被らない様に、情報共有をしているのだろうが。

 こういった配慮が出来るなら、巻き込まないで欲しいのが、大河の本心だ。

 確認していた誾千代が、疲れた顔でやって来る。

「今回も金品は、無かったわ」

「有難う。お疲れ様」

 ぐったりした誾千代を、大河は抱き締めて、横に座らせる。

 与祢がその肩を揉み、珠はお茶を出す。

 息の合った連携プレーだ。

 賄賂は、当然、賄賂罪が存在する程の重罪だ。

 公務員に対しては、贈る事も言わずもがな厳禁なのだが。

 何か要求する事は無い為、軽微な罪状しか問われないだろう。

 法律の抜け穴を上手く突く辺り、両派は、賢い。

 法律家の参謀が、居るのかもしれない。

「困り物ね。如何するの?」

「放置するよ。無料だしな」

 しな垂れかかる誾千代を受け入れつつ、大河は答えた。

 が、目は、笑っていない。

 小太郎の姿が無い所から、情報収集させているのだろう。

 何だかんだで法令遵守。

 贈答品は貰いつつ、犯人は許さないのは、無欲を自称する大河の欲深さを表しているだろう。

「これで、宴会出来る?」

「ああ。大宴会だよ」

 海の幸は、生物の為、素早く消費しなければならない。

 昨今話題の食品ロスだが、山城真田家では極力、消費する事を方針としている。

 食べ切れない物は、

・寺社仏閣教会などの宗教施設

・老人保健施設などの福祉施設

 などに提供され、路上生活者や孤児、一人親家庭にも回っている。

 無料で高級食材が食べられる為、利用者からは、評判が良い。

 誾千代に接吻されつつ、大河は報告書を閉じる。

「アプト、今晩、舟盛りを頼む」

かしこまりました」

 メイド服をひるがしつつ、アプトは、台所へ。

 珠、与祢のコンビも倣う。

 勉強熱心な彼女達は、「河豚もさばける様になりたい」と、河豚調理師(現・京都府等では、『ふぐ処理師』の名称)資格の取得を検討中だ。

 彼女達が取得出来れば、河豚が厳禁で食べる事がほぼ無い朝顔も大喜びだろう。

「zzz」

 日頃の疲れが溜まっているのか、誾千代は、寝てしまう。

 大河に寄り掛かったままで。

「お疲れ様です」

 誾千代を起こさぬ様に、楠が、そっと毛布をかける。

 大河も額に接吻し、労う。

「有難うな。お休み」

「えへへ」

 文字通り、夢の中の彼女だが、破顔してみせるのであった。


 黒幕として君臨している大河だが、政争には不干渉だ。

 国の運営には話し合いが必要不可欠であり、流血沙汰にならない限り干渉する必要は無い、と考えている為である。

 その為、彼の影響力を利用したい各勢力は、贈答品だけ奪われ何もされない。

 大河からの報告書を、信孝は目を通す。

「成程な」

「喧嘩両成敗ですか?」

「そうだが、余り大っぴらに処分はしたくないな。国軍だし」

 事が露見すれば、中央集権体制に反発している武将が処分者を匿い、中央政府の情報を得様とするだろう。

 そうなれば、地方が活気付き、中央政府が脅かされかねない。

 中央集権体制である以上、地方は、中央政府に楯突いてもらっては、困るのだ。

「秘密警察、使えるか?」

「はい。現在、捜査中でして、黒幕を発見次第、処分する予定です」

「賄賂罪には、厳しいな」

 厳罰に信孝は、難色を示している。

 反乱罪等の重罪では無い為、賄賂罪を軽視しているのだろう。

「汚職は国を崩します故、御理解下さい」

 ソ連や北朝鮮等、汚職大国は、総じて先進国とは、言い難い。

 国を守る為には、汚職にも厳しく対応しなければならないのだ。

 法の下の平等を実現する為には、相手が例え国軍であっても、法に則り、対応しなければならない。

 黙認すれば、戦前の様に軍部の力が強まり、結果、国を滅ぼしかねない危うさがある。


『愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。

 私はむしろ、最初から自分の誤りを避ける為、他人の経験から学ぶのを好む』


 と鉄血宰相は、現代にも通じる名言を残した様に。

 大河も歴史から反省し、次代に活かす様に努めているのだ。

「分かったよ。私も国軍の面汚しは、嫌いだ。悟られない様に上手くやれよ?」

「は」

 信孝の追認を得た事で、大河も動き易くなった。

 と言っても、直接行動する事は無く、部下に指示を出すだけなので、その点、汗を流す事は無い。

 特別高等警察が、この事件の捜査を担当する事になった。


 権力闘争はソ連末期のゴルバチョフ派VS.ブレジネフ派残党等が有名だが、皇道派と統制派は、戦前の陸軍と警察の関係性に似ているかもしれない。

 大河が信孝に報告した次の日、事件が起きる。

 京都駅前の大通りにある交差点にて、皇道派の軍人が赤信号を無視。

 これに統制派の軍警が咎め、殴り合いに発展。

 軍警と軍人の応援が来て、其々それぞれに加勢し、トルコ大使館前のクルド人とトルコ人の様に大乱闘になった。

 この時は、近衛兵が仲裁したが、大都会での不祥事は隠蔽出来ず、国軍の失態を全国民が知った。


『【大都会で大失態!!! 国辱不可避!!!】』


 過激な見出しが、紙面を踊る。

 まるでイエロー・ジャーナリズムの様だ。

 防衛大臣・柴田勝家は、記者会見に追われている。

「大臣、この度の失態は、どの様に責任を御取りになるんですか?」

「えー、現在、警察の捜査終了を待っている所です」

「帝都でのこの始末、関係者は死罪ですか?」

「現行法に則っての事になりますので、三権分立の下、検察に御任せする次第です」

 のらりくらりとかわすものの、内心、勝家は激怒していた。

(恥晒し共め)

 史実でも、同様の衝突が起きている。

 ―――

①明治17(1884)年1月4日 松島事件(*2)(*3)

 前(明治16)年大晦日(12月31日)

 夜、酔った大阪鎮台の兵士3名が交番を訪問。

 言葉遣いを巡査と喧嘩になり、兵士達は巡査に暴行し、帽子を奪って引き上げる。


 明治17(1884)年元日、1月2日

 兵士と巡査の殴り合いが立て続けに発生。

 大阪の陸軍兵士と警察官は一触即発の状態に。


 同年1月4日

 西区松島遊廓に登楼中の兵士が、警邏けいら中の西警察署員に放尿。

 署員は兵士を連行。

 この兵士を奪還する為に陸軍兵士約1400名が押し寄せ、警察側も警察官約600名を動員して、互いに刀剣を振りかざし、乱闘に発展。

 鎮圧の為、憲兵100余名が出動したが、鎮圧失敗。

 この日、軍服姿であった予備役陸軍中尉兼大阪府警部長(現・警察本部長)が馬に乗って現場に駆けつけ、双方の上官として現場を鎮定した。

 陸軍側に死者2名、重軽傷者40数名、警察側に重軽傷者10数名の被害が出た。

 陸軍側は、人数が上回っていたのに負けたのは警部長が軍服姿に変装していたからであると抗議し、警察側は正当防衛であると主張した。


②1933年6月17日 進止ゴー・ストップ事件(*4)(*5)

 大阪市北区の天神橋筋6丁目交叉点で、慰労休日に映画を見に外出した陸軍第4師団歩兵第8連隊第6中隊の一等兵が、市電目がけて赤信号を無視して交差点を横断。

 交通整理中であった大阪府警察部曽根崎警察署交通係の巡査はメガホンで注意し、天六派出所まで連行した。

 その際、一等兵が、

「軍人は憲兵には従うが、警察官の命令に服する義務はない」

 と抗弁し抵抗した為、派出所内で殴り合いの喧嘩となり、一等兵は鼓膜損傷全治3週間、巡査は下唇に全治1週間の怪我を負った。

 騒ぎを見かねた野次馬が大手前憲兵分隊へ通報。

 駆けつけた憲兵隊伍長が一等兵を連れ出してその場は収拾。


 2時間後、憲兵隊は、

「公衆の面前で軍服着用の帝国軍人を侮辱したのは断じて許せぬ」

 として曽根崎署に対して抗議。

  事情聴取では、

 巡査 「信号無視をし、先に手を出したのは一等兵である」

 一等兵「信号無視はしていないし、自分から手を出した覚えはない」

 と述べ、主張が対立。


 この日、第8連隊長大佐と曽根崎署署長が共に不在であった為、上層部に直接報告が伝わって事件が大きくなった。


 6月21日

 事件の概要が憲兵司令官や陸軍省にまで伝わり、最終的には昭和天皇に。

 最終的には、事態を憂慮した昭和天皇の特命により、兵庫県知事が調停開始。

 天皇が心配している事を知った陸軍は恐懼きょうくし、急速に和解成立。


 11月20日

 当事者の巡査と一等兵が検事正の官舎で会い、互いに詫びた後、握手して幕引き。

 和解内容は未公表だが、警察側が譲歩したというのが定説。

 ―――

 今回の京都駅前の大乱闘は、安土桃山時代版進止事件と言えるだろう。

「不味いな」

 記事を見て、大河は呟く。

「如何したの?」

「怖い顔」

 同衾していた誾千代と謙信が、心配する。

「いや、ちょっとな」

「何よ」

 誾千代が、詰め寄る。

 美顔がこれほど近距離なのは、夫でも緊張を隠せない。

「軍人は、帝国軍人としての自尊心が強い。処分者は、暴発しかねない」

「政変?」

「かもな」

 現代では、自衛隊が法律の下で動いているが、戦前は、

・日清戦争

・日露戦争

・第一次世界大戦

 と、祖国を戦勝国に押し上げた軍人の力が強かった。

 現代感覚でいうと、野球選手や蹴球選手、ユーチューバー等、子供が憧れる職業の一つの様な感じであろう。

 ここでも、戦前同様、軍人の権限は強い。

 滅び行く侍の代わりに国防を担う、という意識があるからかもしれない。

 その為、処分者の一部が暴発する事も考えられる。

 天六事件の様に帝の協力が必要かもしれない。

「陛下を悩ませる前に対応した方が良いわよ」

 尊皇派の謙信の助言。

 大河と同じ位、皇室を重んじる彼女らしい言葉だ。

「そうだな。朝顔とも相談しなきゃな」

 政治的には、中立な立場にある皇族だが、両派は其々それぞれ、上皇と帝を担ぎ出す可能性もある。

 位的には、上皇の方が上だが、事実上の国家元首は、帝である。

 この様な二重権威が、政争に利用されても何ら不思議ではない。

「小太郎、楠」

「「は!」」

 いつも通り、天井から降りてくる。

「ぐえ」

 楠が大河の腹部に着地した事で、彼は衝撃を諸に食らう。

 そして、悶絶。

 一方、小太郎は、足元へ。

 流石に楠の様な無礼はしない。

「死ぬぞ?」

「死なない癖に」

 コアラの様に抱き着いたまま、離れない。

「楠、今晩は、貴女、非番でしょ?」

「中々、始めないから、良いかなって」

 誾千代に舌を出す。

「全くもう」

 付き合いが長い為、謙信も怒らない。

 古株な3人は、親友の様に仲良しなのだ。

 楠に抱き締められつつ、大河は指示を出す。

 軍人の為、復活は早い。

「小太郎、国軍を監視しろ。何れ、を出すかもしれん」

「は」

「楠、国家保安委員会を率いて、御所と二条城、この城の防備を固めろ」

「分かったわ」

 同衾中でも臨機応変に対応する大河。

 寝台でも仕事人な彼に女性陣は、つくづくを感じるのであった。


[参考文献・出典]

*1:池田純久 『日本の曲り角』 千城出版 1968年

*2:香川悦次 松井広吉『大浦兼武伝』大浦氏記念事業会

*3:三善貞司『大阪日日新聞 なにわ人物伝 -光彩を放つ- 大浦兼武』

*4:東京12チャンネル報道部『証言私の昭和史2 戦争への道』学芸書林

*5:山田邦紀『軍が警察に勝った日――昭和八年 ゴーストップ事件』現代書館

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