幽趣佳境

第259話 草満囹圄

 日ノ本が仲介に入った事で英西戦争は、一旦、停戦した。

 北海と大西洋を海上封鎖し、グレートブリテン島を包囲したスペイン軍であったが、イギリスの挙国一致体制により迎撃と、大戦に参戦したイスラエルに背後を突かれ、逆に両軍の挟撃に遭う。

 更に、重税に苦しんだ国民の間に革命の機運が高まり、内憂外患に陥る。

 そこで、日ノ本が調停に入ってくれたのは、まさに渡りに船であった。

 もっとも、その日ノ本とイギリスが裏で繋がっていたとは、知る由も無いが。

 迎賓館ではスペインとイギリス、其々それぞれの外務大臣が、信孝が示した地図を見詰めていた。

「「……」」

 外相達の反応は、対照的だ。

 イギリスの領土が増え、逆にスペインのそれが減っている。

 奪われた形のスペインの外務大臣は、渋面だ。

「何故、この様な事に?」

「戦争の結果です。これに御不満なのであれば、我が国の提案を放棄して頂いて、戦争を継続して下さい」

 ばっさりと、切り捨てる。

 日ノ本がスペインに対して、塩対応なのは、


・日西戦争からそれ程時間が経っておらず、国内に反西派が多数存在している事


・スペインから来た宣教師の一部が、未だに無許可の宣教活動を行っている事

 が、関係していた。


 一方、イギリスの方は満足気だ。

 スペインに隠れて、日ノ本と友好関係構築に努めた結果、領土拡大に成功したから。

「首相、御相談なのですが、ここも欲しいのです」

 イギリスの外務大臣が欲張ったのは、イベリア半島の南東端。

 欧州とアフリカを繋ぐ重要な貿易港、ジブラルタルを擁する地域だ。

「……」

 スペイン側が表情で不快感を示すも、何とか耐える。

 戦争では、既にスペインには、余力が無かったのだ。

 日露戦争の時、戦勝国・日本も講和条約の際、余力が無く、結局、賠償金を1円も得られなかった時の様に。

 信孝は、残念そうに首を振る。

「そこは、流石に容認しかねます」

「何故です?」

「欧州に詳しい、ある専門家の忠臣が反対しているからですよ」

 名前は出さないが、外務大臣は察する。

 日ノ本で欧州の専門家といえば限られているからだ。

 事前にその様な人物の事も駐日大使から説明を受けていた。

 史実路線のジブラルタルは、英西間で綱引きの状態にある。

 ―――

 1713年のユトレヒト条約以降、イギリスが統治を続き、スペインは今も返還を求めている。

 同地は、

・欧州に残る最後の「植民地」

・係争当事国がいずれもEU欧州連合加盟国であった

・係争が300年もの長きに渡っている

 点で、世界の領土問題の中でも異色の存在と言えよう。


 スペイン

「ユトレヒト条約第10条はジブラルタルの町、城、それに付随する港、要塞の所有と軍事利用をイギリスに認めたに過ぎず、主権はスペインに残っている」


 スペインにとってジブラルタルは長らく「スペインの靴の中に入った岩山ペニョン」となっている。

 然し、返還を求めるスペインの主張は、モロッコのセウタ等、自らの植民地所有と矛盾するものだ。



 1967年9月

 住民投票にて、英統治支持派が圧倒的勝利


 同年12月

 国連の非植民地化委員会は英のジブラルタル領有を植民地主義的だとして返還を促す決議を採択。


 1704年、1705年、1783年

 スペイン、ジブラルタルを武力で奪還を図るも失敗

 その後の外交による交渉も全て不首尾に。


 19世紀後半以降

 スペインの国力が衰えている時期に英は国境を北へ押し上げ。

 最終的にこれはスペイン本土との間に非武装中立地帯を設置も境界線の画定は今も棚上げ状態。


 1954年2月

 イギリスの植民地を歴訪していたエリザベス2世がスペインの抗議にも関わらず最後の訪問地としてジブラルタルに入ると、スペイン各地で抗議運動。


 1955年

 スペイン、国連加盟し、ジブラルタル問題を国際世論に訴える。


 1957年

 スペイン、返還を求めて国連に提訴。


 1964年

 スペイン、国連の非植民地化委員会へ返還要求を提出。


 1967年

 イギリスはジブラルタルで住民投票実施。

  1万2138 対 44 という圧倒的大差で住民は、イギリスへの帰属を選択。

 

 1969年

 スペイン、国境封鎖。

 →物流とスペイン人の通勤を差し止める、ジブラルタルに対する経済封鎖に。

 これによってジブラルタルは陸の孤島化。

 往来はモロッコ経由orロンドンからの航空便に頼る事に。


 1982年

 スペインに左派政権発足後、両国間の交渉再開宣言。


 1985年

 封鎖完全解除。


 2002年

 共同主権検討。

 ジブラルタルの二大政党である保守政党と革新政党が猛反対。

 住民投票においても90%以上が反対の意思を示した為、この構想は失敗に。


 2009年

・イギリス

・スペイン

・ジブラルタル自治政府

 の三者間会議に移り、初の会議が開催。

 ジブラルタルで自治権拡大を意図した新憲法草案を問う住民投票実施し、可決。


 2016年

 イギリスのEU離脱是非を問う国民投票で、ジブラルタルでは残留支持票が9割超。


 2018年

 スペイン海軍の艦船がジブラルタルの領海に無断で侵入し、スペインの国歌『国王行進曲』を大音量で流す(*1)。

 ―――

 現代まで続く帰属問題を日ノ本が契機にしてはならない、という大河の政治的判断による結果だ。

(イギリスがこの地域を求めてくる事を見抜いていたのか……真田は、予言者だな)

 信孝は、内心で感心しきりだ。

「そうですか……忠臣の提案なら仕方ありませんね」

 スペインの植民地の大部分を譲り受けた為、イギリスは、それ以上の事を望まない。

 戦争をしたとはいえ、両国は、王国同士で繋がりが深い。

 後世には、 スペイン国王、アルフォンソ13世(1886~1941)にヴィクトリア・ユージェニー公女(1887~1969)が降嫁する事で、国王の子孫の全員が同時に”欧州の祖母”―――ヴィクトリア女王(1819~1901)の子孫となった。

 更に最後のギリシャ国王の姉がヴィクトリア・ユージェニーの孫にあたるフアン・カルロス1世(1938~)に嫁ぎ、スペイン王室にも継承者の血統が流れている。

 然し、スペイン王室は旧教信仰であり、前述の2人の継承者は何れも結婚に伴って自ら旧教に改宗している為、子孫も含め継承権が無い。

 特にヴィクトリア・ユージェニーの婚姻においては、ヴィクトリア女王の子孫の殆どが新教各王室との婚姻を行う時代で異例のものであり、彼女がヴィクトリアの血を引くが故の血友病患児出生の可能性も含め出身両国で議論が噴出した。

 因みに、歴代国王の子孫はスペイン以外にも各国の王室と婚姻関係を結んでいる為、非旧教諸外国の王室・名家にも継承権者が存在する。

 これらの順位は、自身より上位の継承権保有者の誕生・死去、もしくは旧教への改宗等によって頻繁に変動する。

 もっとも、現代のイギリス王室とはかなりの遠縁の為、彼等がイギリス国王を継承する可能性は非常に低い(*2)。

 斯うして、欧州を二分した英西戦争は、日ノ本が橋渡しを行い、終戦に至った。

 日ノ本は世界にその存在性を主張出来た事は言うまでも無い。


 将来の帰属問題を回避させた大河だが、家のそれは、中々片付かない。

 今日は、旧浅井家の綱引きに遭っている。

「昨日、散々、楽しんだでしょう? 今日は、私に権利を譲ってくれても良いじゃない?」

「母上は、真田様を独占すると長いですから嫌です」

「そこは、親子の好で」

「兄様、母上の毒牙に引っ掛かっちゃ駄目ですよ」

「そーそー。兄者は、若い人が好きだもんねー?」

 左側からお市に。

 右側から三姉妹に引っ張られている。

 米沢での逢引以来、お市は、三姉妹の様に積極的だ。

 今までは、先夫に配慮して自制していたが、狙撃事件で改めて大河を如何に大切に思っているか、実感したのかもしれない。

 まさか、母娘の対立を招くとは思ってもみなかったが。

「そーれ」

 お市が力一杯引っ張った事で、大河は、彼女の元へ。

「ふふふ。今日は、私と過ごしましょう?」

「えーと?」

 お市と過ごすのは、当然、本望だが、

「「「……」」」

 背後の虎達が、何時襲いかかるか、その恐怖も凄まじい。

 今にも飛びかからん勢いだ。

 先夫も存命していた際、この様な目に遭っていたかもしれない。

「……お市様」

「名前で呼んで♡」

「市」

「はい♡」

 居住まいを正す。

「今日は、茶々の日です。茶々、決めてくれ」

「はぁ……」

 眉間を揉みつつ、琵琶湖全体に響き渡る様な大きな溜息。

「母娘のよしみで、認めましょう。母上ですしね」

「流石、我が娘」

 先夫と居た時、戦国時代だった為、イチャイチャ出来なかった。

 その分、大河としたいのは、茶々から見ても分かる。

「じゃあ、今日は、5人で過ごしましょう」

 決定権は、当番者である茶々にしか無い。

 結局、三姉妹とお市も加わり、敷地内にある浅井家の屋敷へ向かう。

 雨の中、傘を差すと、4人が入ってくる。

 2人なら相合傘だが、5人で一つは狭い。

「風邪引くぞ?」

「兄者に看病してもらうもん!」

「兄様、その時は宜しく」

 お江とお初は、両肩を濡らしつつ、密着。

「しょうがないな」

「「きゃ♡」」

 姉妹を抱っこすると、2人は、嬉しそうに両側から頬擦り。

「甘えん坊さんね~」

「母上もだけどね?」

 今日も母娘は、仲良しだ。


[参考文献・出典]

*1:ウィキペディア

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