欧州動乱

第250話 複雑怪奇

 ユダヤ人のが盛んに行われる一方、破壊ポグロムも激化の一途を辿っていた。


『1、

 聖堂シナゴーグ神学校イェシーバーを、跡形残らず徹底的に焼き払うべし。


 2、

 更にユダヤ人の所有する家をも打ち壊し、所有者を田舎に住まわせるべし。


 3、

 宗教書を取り上げるべし。


 4、

 ラビの伝道を禁じ、従わない様であれば処刑すべし。


 5、

 ユダヤ人を撲滅する為の方途を穏便に実行すべし。


 6、

 高利貸しを禁じ、金銀を悉く没収し、保管すべし。


 7、

 ユダヤ人を農奴として働かせるべし』(*1)


 現代日本では、旧教の有名な改革派であり、新教が誕生した契機となったルターであるが、この論文に限って見れば、相当な反ユダヤ主義者である事が分かるだろう。

 数か月後の冊子でも、

 ―――

『神よ、私は、貴方の呪われた敵、悪魔とユダヤ人に抗しながら、必死の思いで、これ程までの恥じらいと共に貴方の神々しき永遠の威厳を語らねばならないのです。(中略)

 私はこれ以上、ユダヤ人と関わりを持ちたくないし、彼らについて、彼等に抗して、何かを書くつもりも全く無い』(*2)

 ―――

 と説き、自身の死の4日前の2月18日の最後の説教でも、ドイツ全土からユダヤ人を追放する事が必要であると訴えた。

 現代では、ゲソ法(フランス 1990年成立)といった法的根拠、名誉毀損防止同盟等の人権団体の厳しい監視の下、この様な反ユダヤ主義は、許されていない。

 その為、この様な事は出来難いだろう。

 聖職者である筈のルターがここまで、反ユダヤ主義に傾倒したのは、

・騎士戦争

・農民戦争

 と言った戦が契機で彼は反乱勢力を批判し、それ以来、人間世界の至らなさや、政治的責任を強く感じる様になり、人間の内的自由に、神によって齎された地上の事物の秩序が対置され、服従の義務を唱え、キリスト教徒は従順で忠実な臣下でなければならないと説く様になった。

 更に、以前から行っていたユダヤ人に対するキリスト教への改宗運動も失敗し、改宗者はごく僅か。

 それも殆どが間を置かずしてユダヤ教に回帰した為か、1532年には、

「あのあくどい連中は、改宗する等と称して、我々と我々の宗教をちょっとからかってやろうという位にしか思っていない」

 と述べている。

 その内にルターは、不首尾の原因をユダヤ人のなせる業とみなす様になっていった。

 晩年の反ユダヤ主義については、改革派の協力者やユダヤ人等が、批判したが、死ぬ迄その姿勢を保っていた事は、それ程根が深かった証拠であろう。

 こうしてルターの反ユダヤ主義は、タルススのパウロス(聖パウロ)やムハンマドと同様の転機を経て、ユダヤに対する深い憎悪となった。

 ルターの反ユダヤ文書は彼の死後、余り重視されなかったが、ヒトラー政権になって一般向けの再販が出てよく読まれた。

 ルターの反ユダヤ的声明は、ナチス政権下のドイツで反ユダヤ主義の宣伝材料として使用された(*3)。

 1946年、ニュルンベルク裁判でユリウス・シュトライヒャー(反ユダヤ主義新聞『前衛シュテュルマー』発行人)は、

「もしルターが生きていたなら、必ずや本日、私の代わりにこの被告席に座っていた」

 と述べている(*4)。


『イスパニアとエゲレスの戦は、長期化が予想され、友好国、以色列もその状況を注視している。エゲレスは、香港を占領し、中国大陸進出を果たした』


 瓦版の報道に、大河は熟読していた。

 欧州大戦は、日ノ本に無関係ではない。

 最大の被害が貿易だろう。

 欧州人と契約している輸入専門の商人は、悲鳴どころの騒ぎではないだろう。

・お金は払ったのに商品が届かない

・戦争を理由に踏み倒される

・戦時国債の要求される

 等、被害も多い。

 又、欧州に耶蘇教を学びに行った少年使節団も現地で大使館に避難したり、関係者が殺傷される等、人的被害も出ている。

 国内のイギリス人とスペイン人の関係も悪化している。

「「……」」

 国内では、御互い、日ノ本で少数派の外国人であるから、平時では、仲が良いのだが。

 こうなってしまうと、気まずい。

 なので、外務省は、行事の際、両国関係者が顔を合わせない様、席を離したり、対面出来ない様に、心労が絶えない。

 流石に第三国で、乱闘になる様な事は、両国共自制するだろうが、戦争なので何が起きるか分からない。

 現代でもトルコ大使館の前で、トルコ人とクルド人が大乱闘を起こした例がある。

 又、ユダヤ人も心配だ。

 破壊で沢山の同胞が虐殺されている現状に、多くのユダヤ人は怒り狂い、参戦国の大使館襲撃を図る過激派も現れている。

「……」

 大河の頭に顎を乗せて、一緒に読んでいるエリーゼも困り顔だ。

 これでユダヤ人の心象が悪くなる可能性を考えているのだろう。

 現在、国内に反ユダヤ主義は、蔓延していない。

 然し、欧州の文化が入って来たからには、反ユダヤ主義も又、渡来している可能性がある。

 大河達の知らない間に。

「……大使館、大丈夫かな?」

「駐在武官が居るよ」

「そうだけど……」

 乳母車のデイビッドを心配そうに見詰める。

 転生先が欧州であったら、危なかっただろう。

「心配は、禁物だ。デイビッドに伝わる」

「……それもそうね」

 デイビッドは、母親の不安定さを察知したのか、涙目だ。

 今にも泣き出しそうな位である。

「ちょっとあやしてくるわ」

「分かった。その前に」

 デイビッドの頭を撫で、エリーゼの頬に接吻。

「本当、恥ずかしがり屋の日本人とは思えない程、熱いわね?」

「正直者なだけさ」

 エリーゼは、笑顔で接吻し返し、デイビッドを抱いて出て行く。

 一部始終を見ていた松姫は、唇を尖らせる。

「えりーぜ様とは、仲良しですね?」

「良い事だろう?」

「はい。勿論」

 棘がある言い方。

 エリーゼ達が育児で忙しい為、その分、御鉢が回って来ると踏んだが、意外にも手堅いからだ。

「たのもー」

 下校したお江が、背嚢をバスケットボールの様に投げては、大河にタックル。

 そのまま、膝に居座る。

「只今、兄者♡」

「お帰り。久し振りの学校、如何だった?」

「行幸の話ばかりしてた。皆、東北に行った事無いから」

「そうだなぁ。遠いからなぁ」

 旅行出来なくは無いが、やはり、外様には、厳しい所も否めない。

 江戸時代、伊能忠敬がA村とB村の中間地点で、測量していた所、両村から間諜と勘違いされた逸話がある様に。

 まだまだ村社会な所がある。

 遅れて、お初も帰宅。

「兄様、今日の授業で兄様が出たよ」

「俺?」

「うん。見て見て」

 上機嫌に浮世絵を見せる。

『金色夜叉』の御宮おみやの像の様に、女性を足蹴りしている絵だ。

 顔はペリーの肖像画の一つの様に強面に描写され過ぎて、とても人間には、思えない。

 上皇の夫がこの様なのは、ある意味、不敬だろう。

「……何、これ?」

「兄様が女性をとっかえひっかえする図、だそうです」

「……」

 御宮の像は、御宮の方が悪役なのだが、この絵に限っては、非常に印象操作がなされている。

 恐らく、作者は、大河の女癖の悪さ(?)を最大限に表現したかった、と思われる。

「これ、誰が描いたんだ?」

「華様」

「……」

 まさかの跡継ぎの裏切りである。

(……累を跡継ぎにし様かな?)

 養女にそんな風に見られ、軽くショックを受ける”一騎当千”であった。


[参考文献・出典]

*1:『ユダヤ人と彼らの嘘について』 マルチン・ルター 1543年

*2:『口にするまでもない名前』

*3:レオン・ポリアコフ『反ユダヤ主義の歴史 第1巻 キリストから宮廷ユダヤ人まで』訳:菅野賢治 筑摩書房 2005年 原著1955年

*4:大澤武男 『ユダヤ人とドイツ』 講談社〈講談社現代新書〉1991年

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