第249話 檸檬

 東北地方各地の歴訪が終わったのは、万和3(1578)年4月下旬の事であった。

 本当は、蝦夷地も周りたかったのだが、上皇が京を長期に留守にするのは、


『国民がその存在を忘れ、上皇の権威が下がりかねない』

 

 という宮内省の意見により、短期間の行幸となったのだ。

 たかだか、約2週間留守にしただけで権威が低下するのは、考え難い。

 公務を極力、都内でして欲しい宮内省の事情だろう。

「「「上皇陛下万歳!」」」

 日章旗を振り、東北地方の人々は、車列を見送る。

 朝顔も窓を開けて、笑顔で手を振る。

 帝と民の距離は、現代並に近い。

『開かれた朝廷』を信条とする朝顔の想いが実を結び始めた証拠だろう。

 終戦直後、全国各地を行幸した昭和天皇を、各地の人々が熱狂的に歓迎し、GHQを驚かせた様に。

 その絆は、外国人が想像している以上に強い。

 沿道には、特別高等警察や国家保安委員会も数多く、潜伏している。

 売名目的等で事件を起こす輩が居るかもしれないのだ。

 不審者は、発見次第、職務質問され、場合によっては、島流しに遭う。

 それは軽い方で、重い場合は、になる。

 越後国と出羽国の境目迄来た時、

「この度の行幸、誠に有難う御座いました」

 饗応役の輝宗が、深々と頭を下げた。

 上皇を接待したのだ。

 伊達家の歴史に残る偉業である。

 同席する政宗も同様に御辞儀した。

 然し、心ここに非ず、と言った感じで、視線はちらちらと、華姫に向けられている。

「こら、政宗。不敬―――」

「そう怒らないで下さい。子供には、詰らない御時間でしょうから」

「は、はぁ……」

 朝顔が擁護し、輝宗は振り上げた怒りを下ろすしかない。

 実際、どれだけ大人びた子供でも、この様な面白味の無い行事は、苦痛だろう。

 大河が間に入る。

「華、お別れしなさい」

「はい―――政宗様」

「はい!」

 想い人に見詰められ、政宗は、天にも上りそうな程、上機嫌だ。

 大人な女児と、子供な男児。

 後輩と先輩の筈なのだが、文字通り、あべこべだ。

「この度、伊達家を代表して持て成して下さり、有難う御座います」

 普段の道化を隠し、ここでは、自分に正直になる。

 未来のファーストレディー候補として、大河への主張もあるのだ。

「おお……」

 舌足らずな可愛い挨拶を想定したので、養父は、感心した。

「(やるじゃないか?)」

「(当然よ。私の子だもの)」

 謙信も満足げだ。

 父親に褒められ、伊達家にも自慢出来た事は、快感だろう。

「「「……」」」

 伊達側も幼女と見ていた為、予想外の事に固まるしかない。

 紫式部文学賞最年少受賞者は、大河の手を握り、子供らしさも見せる。

『貴方とは合わない。私が好きなのは、このだけだから』

 と。

 が、そんな主張も恋は盲目な政宗には、関係無い。

(成程。御父上様に御好意が……支援者で大恩ある御方ですが、認められる様、成長しなければ)

 きっと、恋敵を睨み付け、宣戦布告する。

(……俺、何かしたっけ?)

 寝耳に水な事に、只々、混乱する大河であった。


 帰りの経路は、北陸道を使う。

 元々予定には無かったが、軍事作戦に上杉家が派兵した為、その恩返しの意味により決定したのであった。

 北陸道は、朝廷に近い上杉家が統治している為、東北地方よりも歓迎的だ。

「……疲れたわ」

 手を振りつつ、朝顔は、ぼそりと呟く。

 宿泊先以外、ずーっと、仕事なのだから、疲労はピークに達しているのだろう。

「そうだな。休んだ方が良い」

「……有難う」

 隧道に入った時機に、朝顔は、窓を閉め、車内にある宿泊室へ行く。

 ……が、途中で足を止め、引き返す。

「忘れ物か?」

「そうよ」

 朝顔はそう言うと、寝転がり、大河の膝を枕にする。

「……固いだろう?」

「良いの」

 強い口調で答え、朝顔は毛布を被り、そのまま寝る。

 相当、疲労困憊だったらしく、寝息を立て始めたのは、その直後であった。

「「「……」」」

 お初、お江、与祢は、羨ましそうな表情から、一転、大河を睨む。

「兄者の膝がもう一つありゃあいいのに」

「道鏡に頼んでくれ」

 座りたい所だが、上皇が快眠しているのを邪魔する猛者は、誰も居ない。

 外では常に気を張っている朝顔の精神的疲労度は、想像出来ない。

 例えば、民間人時代、外交官としてバリバリ働いていた皇族もある時、適応障害を患われ、療養された。

 宮内省が発表していない、内内の仕事も沢山あるのだ。

 年間休日も少ない。

 それで病まない方が稀だろう。

「……あ……な、た」

 夢の中で夫を呼ぶ。

「はいよ」

 大河は、優しく答え、泣き顔の手を握る。

 すると、朝顔は、安心したのか、笑顔になった。

 外で主導権イニシアティブを握っていたのは、朝顔だが、内では大河が支える。

 内外で近衛大将として、補助するのは、息つく暇も無い。

 斜向かいでその様子を見ていたエリーゼは、嫉妬してしまう。

(本当……良い夫婦。可愛い幼帝と馬鹿な夫)

 大河を白眼視し、震え上がらせた事は言う迄も無い。

 

 北陸道を散策しつつ、帰京したのは、黄金週間の時であった。

 休学していた幼妻や華姫等も連休明けに復学する。

「兄者、勉強教えて~」

「おいおい、自主勉してなかったのか?」

「してたけど、兄者に教わりたい」

「分かったよ」

 仕事を一旦、中断し、お江の相手をする。

「若殿、南蛮語、読めるんですか?」

「得意ではないがな。与祢も学ぶか?」

「! 良いんですか?」

「ああ。珠も呼んでくれ。彼奴あいつも多分、好きだろう?」

「はい!」

 切支丹でゴスロリを愛する珠が、外国文化を嫌う可能性は少ない。

 雑巾がけを止め、調理場に居る同僚を呼んで来た。

「若殿、教えて下さい!」

 ヘッドスライディングし、懇願する。

 珠を抱き寄せて、膝に座らせる。

「で、何処が、分からないんだ?」

「これ」

 お江が指で示したのは、『桃夭とうよう』。

 古代中国を代表する、恋を扱った詩だ。

 振り仮名が付いていない為、読めないらしい。

 ……本当は読めるのだが、大河に付き合って欲しくて、読めない振りをしている可能性も否めないが。

「『とうよう』って読むんだよ。意味は、『嫁入り時』だよ」

 忙しいのに、付き合う。

 仕事は溜めても、後々、熟せば問題無い。

 然し、人との時間は、取り返せない。

 家族との時間を何よりも優先にするのが、大河の信条だ。

「元々は、嫁ぐ若い女性の美しさを桃の瑞々しさに例えた言葉だよ」

 ―――

『【桃夭】

『詩経』周南・桃夭から。

 嫁ぐ若い女性の美しさを桃の瑞々しさに例えた語。

 女性の婚期。

 嫁入り時』(*1)

 ―――

 まさに幼妻達に適当な言葉だろう。

 お江は、自分の事を言われていないのに胸を張る。

「兄者、私、瑞々しい?」

「ああ。果物だよ」

「もー、馬鹿」

「ぐえ」

 褒めたのに背中を思いっ切り、叩かれる。

 否定すれば暴力被害は間違い無かったが、肯定してもこの仕打ち。

 女性の心は、難しい。

 騒ぎを聞いたお初が、やって来た。

「兄者、まんどころちゃです」

「有難う」

 御茶を机に置いた後、お初は、然も当然の様に、膝に座る。

 右膝に珠、左膝にお初という布陣。

 大きな2人の体重を感じるのは、言わずもがな重いが、口が裂けても言えない。

 漢詩を詠む。


『 桃のえうえうたる(桃の若々しく)

 灼灼しゃくしゃくたる其の華(赤々としたその花)

 の子 とつがば (この子は嫁いで行くが)

 其の室家に宜しからん(彼方あちらの家に御似合いだ)


 桃の夭夭たる(桃は若々しく)

 ふんたる其の実有り(どっさりと実がなる)

 之の子 于き帰がば(この子は嫁いで行くが)

 其の家室に宜しからん(彼方の家に御似合いだ)

 桃の夭夭たる(赤々としたその花)

 其の葉 蓁蓁しんしんたり(その葉は生い茂る)

 之の子 于き帰がば (この子は嫁いで行くが)

 其の家人に宜しからん(彼方の家の人に御似合いだ)』


 読み終わると、女性陣は、尊敬の眼差しでいた。

 やはり、無教養と教養がある場合、後者の方が良いだろう。

 更に大河の場合は漢詩以外にも、和歌や外国文化にも精通している。

 負傷等して軍人の道が断たれた場合、文官や学者等に華麗なる転身を果たす事も出来るだろう。

「若殿、流石です」

 珠は、惚れ直したのか、両目を♡にし、大河に抱き着く。

「こら、珠さん。駄目ですよ」

 諫めつつ、お初もどさくさに紛れて、バックハグ。

 そして、胸筋をベタベタと触れる。

 彫刻の様に美しいその筋肉は、女性陣が虜になる理由の一つだ。

 恐らく、日ノ本一の肉体美であろう。

「「……」」

 お江、与祢の視線が厳しい。

 末妹は姉に、侍女は同期に嫉妬しているのは、間違い無い。

「お江、御出で」

「はーい♡」

 指名された彼女は、途端、上機嫌に膝に乗る。

「珠先輩―――」

「与祢」

 激切れする前に大河は、話を変えた。

「以前、『予備役に登録した』って言ってたろ?」

「は、はい」

 話しかけられ、与祢の殺気も収束していく。

「ああいう話は、大事だから、一応、相談してくれよ。大事な婚約者なんだから」

「あ……済みません」

 子犬の様に与祢は、小さくなっていく。

 悪気は無かったのは、明白だ。

 純粋に大河を護りたい。

 そんな思いに駆られた行動なのだろう。

 頭を撫でる。

「ただ、想いは有難い。槍術は、今でも健在なんだろう?」

「はい」

「じゃあ、華や累が成長した時に教えてやってくれ」

「分かりました」

「後、土日くらいは、実家に帰る様に」

「え?」

 与祢は、言葉を失った。

 山城真田家に於いて、帰宅を命令される妻は、過去に例が無い。

「な、何故です……?」

「御両親が折角、近くに居るんだ。俺の義理の両親にもなる。余り心配させたくない」

「……仕事の方は?」

「心配するな。分担すれば良い」

「……はい」

 配慮は分かるが、与祢としては、バリバリ働きたい所だ。

 又、大河との時間が減るのも惜しい。

 山内家を代表して、奉公(嫁いでいる)に一時帰宅は本意ではない。

「嫌か?」

「……はい」

 迷わず答えると、大河の背後の鶫が嫌な顔をした。

「鶫、怒るな。正直者だ―――」

「ですが」

「……は」

 二度も言わせるな、と眼力で黙らせる。

 大河は、与祢の頭を撫で、

「嫌ならしょうがない。だけど、御両親が心配しているのは、確かだ。将来的には、結婚式に招待したいからね」

「しょ、しょーたい?」

 ポッと、爆発した様に与祢は赤くなる。

「その為にも仲良くしておきたいんだよ。分かってくれるかな?」

「……はい」

 満面の笑みで答える。

 本当の理由は、山内一豊の妻・千代から、


『大変申し訳無いのですが、家族になった以上、そちらでの生活の御話を伺いたいです。

 娘を定期的に帰宅させる事は出来ますでしょうか?』


 という手紙が届いたからだ。

 京都新城の山内邸までは、非常に近い。

 徒歩数分と言った所か。

 その為、千代も失礼を承知で手紙を書いたのである。

 大河が名君で滅多に怒らない人格者である事を見抜いての行動かもしれないが。

(本当に出来た御方だ。千代様は)

 戦国武将の妻らしく、計算づくの行動は、流石、武家の生まれであろう。

 与祢は大河に抱き着き、頬擦り。

 2人の仲は、正妻と夫の関係の様に深まるのであった。


[参考文献・出典]

*1:コトバンク

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